小林賢司
オリックス時代 | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 山形県酒田市 |
生年月日 | 1985年7月3日(39歳) |
身長 体重 |
184 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2007年 大学生・社会人ドラフト1巡目 |
初出場 | 2009年8月14日 |
最終出場 | 2009年8月16日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
小林 賢司(こばやし けんじ、1985年7月3日 - )は、山形県酒田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]酒田第二中学時代は軟式野球部に所属し、投手兼外野手として活躍。高校は酒田南高校へ進学。1学年上の先輩には福岡ソフトバンクホークスの長谷川勇也がいる。2年の春・夏に甲子園出場するも、いずれも初戦敗退。
青山学院大学では、3年次に春のリーグ戦で最優秀防御率を獲得。4年次には高市俊の抜けたあとのエースピッチャーとしてチームを牽引した。東都大学野球連盟のリーグ戦通算38試合登板し14勝9敗、防御率2.82、184奪三振。
2007年の大学生・社会人ドラフトでは、大場翔太、篠田純平と2度の抽選に外れたオリックスから1位指名を受けた。11月29日に契約金8000万円、年俸1200万円(いずれも推定)で仮契約を交わした。
プロ入り後
[編集]2008年は即戦力として期待されたが、故障により[1]一軍登板がなく、ウエスタンでも1勝、防御率4点台後半と首脳陣の期待を裏切った形になってしまった。
2009年8月14日、対ソフトバンク戦でプロ初登板を果たす。しかし打者2人に対し2四球で1死も取れずに降板というほろ苦いデビューとなり、一軍で2試合投げたところで登録を抹消された[1]。この抹消は一軍での先発登板に備えるものであったのだが、二軍で調整登板をしたところ右肩を痛めてしまった[1]。以後リハビリ生活を送ることになる[1]。
2011年12月2日に戦力外通告を受け、育成選手として再契約した[2]。
2012年10月4日に再び戦力外通告を受け、現役を引退する事となり[3]、10月31日に自由契約公示された。
引退後
[編集]引退後はマネジメント会社に就職した[1]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2009 | オリックス | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 6 | 1.0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 3.00 |
通算:1年 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 6 | 1.0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 3.00 |
記録
[編集]- 初登板:2009年8月14日、対福岡ソフトバンクホークス15回戦(スカイマークスタジアム)、9回表に3番手で救援登板、2与四球で降板
- 初奪三振:2009年8月16日、対福岡ソフトバンクホークス17回戦(京セラドーム大阪)、9回表に田上秀則から見逃し三振
背番号
[編集]- 29 (2008年 - 2011年)
- 129 (2012年)
脚注
[編集]- ^ a b c d e 週刊ベースボール2013年12月2日号 P90
- ^ “育成選手契約のお知らせ”. オリックス・バファローズ (2011年12月2日). 2011年12月2日閲覧。
- ^ “オリックスが9選手に戦力外通告”. デイリースポーツ (2012年10月4日). 2012年10月4日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 小林賢司 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube