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山本清 (海軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山本 清
生誕 1883年12月17日
死没 (1960-07-05) 1960年7月5日(76歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1907年 - 1923年
最終階級 海軍中佐
除隊後 貴族院議員
外務省嘱託
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山本 清(やまもと きよし、1883年明治16年)12月17日 - 1960年昭和35年)7月5日)は、日本の海軍軍人政治家華族。最終階級は海軍中佐貴族院議員、伯爵位階勲等1944年(昭和19年)時点で従三位勲三等[1]

親族

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山本権兵衛
山本登喜子

実父は海軍大将山本権兵衛でその長男。妻は海軍主計大佐・平井七三郎の長女マサ子。義兄に財部彪山路一善、義弟に上村彦之丞の嗣子従義松方正義の八男・乙彦がいる。長女は中南米に詳しく、キューバカストロ議長とも面識があった満喜子[2]。満喜子の夫清二(旧姓阿部)は山本家の婿養子となるが戦病死し、山本家は衛(石川島播磨重工勤務)が継承した[2]。三女の登茂子は朝吹常吉の四男・四郎の妻。

経歴

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海軍兵学校34期古賀峯一住山徳太郎平田昇らが同期生である。1907年(明治40年)少尉任官。大尉時代に語学研究のため英国留学[3]第一次世界大戦では「出雲」分隊長として出征[4]。「出雲」は当初遣米枝隊に属して北米での通商保護にあたり[5]、のち第二特務艦隊に編入された。同艦隊は地中海連合国艦船の護衛任務に従事した部隊で、山本は同艦隊副官を務めた[6]。その後軍令部出仕[7]第一遣外艦隊副官、横須賀海兵団副官を経て[8]1923年大正13年)予備役編入となる[2]。昭和期はロンドン海軍軍縮会議に全権随員として参加[8]外務省嘱託として籍をもち[8]1933年(昭和8年)父の死去により翌年1月に襲爵。1939年(昭和14年)7月10日には貴族院伯爵議員に互選され[9]研究会に所属し1946年(昭和21年)5月8日[10]まで在任した[11]

脚注

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  1. ^ 『貴族院議員名簿』
  2. ^ a b c 『華族総覧』p.593
  3. ^ 『5年7月1日任務実行に関する件』
  4. ^ 『軍艦出雲戦時日誌 大正6年』
  5. ^ 『海戦史に学ぶ』pp.142-143
  6. ^ 『第二特務艦隊職員名簿』
  7. ^ 『職員録』
  8. ^ a b c 『大衆人事録』「山本清」
  9. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、47頁。
  10. ^ 『官報』第5803号、昭和21年5月22日。
  11. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』31頁。

参考文献

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  1. 『5年7月1日任務実行に関する件』 (ref:C10100775500)
  2. 『軍艦出雲戦時日誌 大正6年』(ref:C10080954400)
  3. 『第二特務艦隊職員名簿』(ref:C10081116000)
  • 貴族院『貴族院議員名簿』(1927年12月 - 1944年9月)
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
  • 内閣印刷局『職員録』1918年(大正8年)
  • 明治百年史叢書第74巻『海軍兵学校沿革』原書房
  • 帝国秘密探偵社『大衆人事録 東京篇』(第13版)1939年
  • 千田稔『華族総覧』講談社現代新書 ISBN 9784062880015
  • 野村實『海戦史に学ぶ』 文春文庫 ISBN 4-16-742802-4


日本の爵位
先代
山本権兵衛
伯爵
山本(権兵衛)家第2代
1934年 - 1947年
次代
華族制度廃止