山田かがり
表示
引退 | ||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
愛称 | カガリ | |||||||||||||||||
日本語 | 山田かがり | |||||||||||||||||
国籍 | 日本 | |||||||||||||||||
生年月日 | 1972年6月4日(52歳) | |||||||||||||||||
出身地 | 愛知県名古屋市 | |||||||||||||||||
身長(現役時) | 178cm (5 ft 10 in) | |||||||||||||||||
体重(現役時) | 70kg (154 lb) | |||||||||||||||||
選手経歴 | ||||||||||||||||||
1991-2003 2003-2004 |
シャンソン化粧品 富士通 | |||||||||||||||||
指導者経歴 | ||||||||||||||||||
2008-2011 2011-2015 |
山形銀行 (HC) アイシンAW (C) | |||||||||||||||||
|
山田 かがり(やまだ かがり、1972年6月4日 - ) は、愛知県名古屋市出身の元バスケットボール選手である。ポジションはフォワード。シャンソンVマジック→富士通レッドウェーブでプレーした。アトランタオリンピック日本代表。奈良岡幾子は弟の妻[1]。
来歴
[編集]守山中学校時代は174cmの長身とシュートを武器に全中8連覇[2]に貢献。
名古屋短大付高(現桜花学園高)3年次に全日本に初選出され、世界選手権に出場。
卒業後シャンソン化粧品に入社。本来のポジションはフォワードながらマルチプレイヤーとしても活躍。公式戦54連勝を記録するなど黄金時代に貢献した。
1996年にはアトランタ五輪に出場。コートではフロアリーダーとして、ベンチではアドバイザーとして、チームを引っ張った。
1998年のバンコクアジア大会では金メダルを獲得した。
2003年、富士通に移籍。2004年のオールジャパン準優勝、Wリーグ第3位に貢献。
シーズン後に退社。クラブチームに所属して国体優勝を経験後に現役引退。
その後、母校でコーチを務めたが、2008年4月より山形銀行のヘッドコーチとして招かれた。同年度の全日本実業団バスケットボール競技大会・全日本社会人バスケットボール選手権大会・全日本実業団バスケットボール選手権大会でいずれも初優勝の3冠に導く。国体成年女子山形県チームの監督も務めた。
2011年、アイシン・エィ・ダブリュ ウィングスのアシスタントコーチ就任。加藤コーチがチームの成績不振のため休養した後は、ヘッドコーチとしてチームの指揮を執る。2014年、李玉慈がヘッドコーチに就任したことに伴いコーチとなる。2015年退団。
経歴
[編集]- 選手歴
- 名古屋短大付高 - シャンソン化粧品(1991年〜2003年) - 富士通(2003年〜2004年)
- コーチ歴
- 山形銀行(2008年-2011年、ヘッドコーチ)
- アイシン・エィ・ダブリュ ウィングス(2011年:コーチ 2012年-2014年:ヘッドコーチ 2014年-2015:コーチ)
日本代表歴
[編集]- 1990年世界選手権
- 1996年アトランタ五輪
- バンコクアジア大会
脚注
[編集]- ^ トップアスリートの高校時代 オリンピアン【第5回】 山田かがり 高校生へのメッセージ&プロフィール 高校バスケPRESS 2017年3月26日
- ^ トップアスリートの高校時代 オリンピアン【第5回】 山田かがり (Vol.2) 名短付高(現・桜花学園高) 1年次の苦い思い出 高校バスケPRESS 2017年2月21日