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山田忠次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山田 忠次(やまだ ちゅうじ、1890年明治23年〉7月8日[1] - 1986年昭和61年〉3月22日[2])は、日本逓信官僚朝鮮総督府官僚。

経歴

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山形県出身。1917年大正6年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高等文官試験に合格[3]。逓信局書記、同属、通信事務官補、秋田郵便局長福島郵便局長、朝鮮総督府逓信事務官、京城貯金管理所長、通信事務官、京都郵便局長、逓信局事務官、広島逓信局規画課長、大阪逓信局規画課長、同用品課長、逓信書記官、郵務局規画課長、経理局需品課長、大臣官房保健課長、同秘書課長を経て、1936年(昭和11年)に仙台逓信局長に就任した[3]。同年7月、朝鮮総督府逓信局長に移り、高等海員審判所長を兼ねた[3]

1941年(昭和16年)に退官した後は、朝鮮住宅営団理事長を務めた[3]

脚注

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  1. ^ 大衆人事録 1943.
  2. ^ 『逓信協会雑誌 5月』77頁。
  3. ^ a b c d 人事興信録 1941.

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版(下)』人事興信所、1941年。 
  • 『逓信協会雑誌 5月』逓信協会、1986年。