岐阜市立黒野小学校
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岐阜市立黒野小学校 | |
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北緯35度27分56秒 東経136度43分02秒 / 北緯35.4655度 東経136.71709度座標: 北緯35度27分56秒 東経136度43分02秒 / 北緯35.4655度 東経136.71709度 | |
過去の名称 |
鵜飼尋常高等小学校 黒野高等尋常小学校 黒野国民学校 黒野村立黒野小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 岐阜市 |
校訓 | 仲間と共に 自分をみがき やりぬく |
設立年月日 | 1873年3月[1] |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B121220100218 |
所在地 | 〒501-1121 |
岐阜県岐阜市古市場20-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
岐阜市立黒野小学校(ぎふしりつ くろのしょうがっこう)は、岐阜県岐阜市古市場にある公立小学校。
概要
[編集]校区には岐阜大学医学部附属病院があり、小児病棟にある院内学級「むくのき学級」は黒野小学校が担当している。
沿革
[編集]- 1873年(明治6年)[2][1]
- 1874年(明治7年) -
- 黒野村に忘筌義校が開校する。
- 拡充義校に含秀義校が統合される。
- 1880年(明治13年) - 拡充義校が御望学校、忘筌義校が黒野学校に、それぞれ改称する。
- 1889年(明治22年) - 西郷学校[注釈 1]校区の小野村、中村が御望学校へ委託される。
- 1890年(明治23年) - 御望学校が御望小学校、黒野学校が黒野小学校に、それぞれ改称する。
- 1897年(明治30年) -
- 1898年(明治31年)9月 - 鵜飼村が黒野村に改称する。同時に黒野尋常高等小学校に改称する。
- 1899年(明治32年)- 黒野尋常高等小学校の校舎が完成する。
- 1941年(昭和16年) - 黒野国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年) - 黒野村立黒野小学校に改称する。
- 1949年(昭和24年) - 岐阜県立北方高等学校黒野分校(1952年に岐阜県立岐阜農林高等学校黒野分校に改称)が北舎に移転する。
- 1950年(昭和25年)8月20日 - 黒野村が岐阜市に編入される。同時に岐阜市立黒野小学校に改称する。
- 1956年(昭和31年) - 岐阜農林高等学校黒野分校の校舎が黒野小学校の隣接地に完成し、移転する。
- 1974年(昭和49年) - 校舎(鉄筋コンクリート造)が完成。
- 1981年(昭和56年) - 校舎を増築する。
通学区域
[編集]- 今川、洞、折立、黒野、交人、古市場、御望、下鵜飼、黒野南1-4丁目、大学北1-3丁目、大学西1・2丁目、深坂1・2丁目、柳戸、御望1-6丁目、下鵜飼1・2丁目、古市場老ノ上、古市場神田、古市場高宮、古市場中原、古市場東町田[3]。
交通アクセス
[編集]- 黒野線(JR岐阜駅バスターミナルからは御望野(C45)・本巣市役所(C47)・宝珠ハイツ(C48)・西秋沢(C46)・谷汲山(C49)行)「黒野小学校」より徒歩約3分。
校区内の主な施設
[編集]- 岐阜市立岐北中学校(進学先中学校)
- 岐阜大学
- 岐阜薬科大学
- 平成医療短期大学
- 岐阜大学医学部附属病院
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b “岐阜市立黒野小学校について”. 岐阜市立黒野小学校. 2021年6月22日閲覧。
- ^ 岐阜市黒野史誌(黒野史誌編集委員会編 黒野校下自治会連合会 1987年発行)P.1079 - P.1125
- ^ “岐阜市立小・中学校及び高等学校通学区域に関する規則”. 岐阜市教育委員会. 2021年6月22日閲覧。
参考文献
[編集]- 岐阜市黒野史誌(黒野史誌編集委員会編 黒野校下自治会連合会 1987年発行)