コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

岡崎市立梅園小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岡崎市立梅園小学校
岡崎市立梅園小学校
地図北緯34度57分47.08秒 東経137度10分26.9秒 / 北緯34.9630778度 東経137.174139度 / 34.9630778; 137.174139座標: 北緯34度57分47.08秒 東経137度10分26.9秒 / 北緯34.9630778度 東経137.174139度 / 34.9630778; 137.174139
過去の名称 市学校
岡崎小学校
額田郡第一番小学岡崎学校
愛知県額田郡尋常小学校
額田郡岡崎町立岡崎高等小学校
愛知県額田郡岡崎高等小学校
愛知県額田郡梅園尋常小学校
岡崎市梅園尋常高等小学校
岡崎市梅園国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 岡崎市
校訓 めあてを高く、できるまでやれ
設立年月日 1871年明治4年)2月22日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B123210003144 ウィキデータを編集
所在地 444-0071
愛知県岡崎市稲熊町字4丁目68番地1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

岡崎市立梅園小学校(おかざきしりつうめぞのしょうがっこう)は、愛知県岡崎市稲熊町にある公立小学校

概要

[編集]

1871年(明治4年)に創立された「市学校」を前身とする。

根石小学校とともに岡崎市立甲山中学校の学区を構成する。

調査日 児童数 通常学級 特別支援学級 出典
2013年4月8日 733人 22 2 [1]
2019年5月1日 820人 24 4 [2]
2020年5月1日 792人 23 4 [3]
2021年5月1日 783人 23 5 [4]
2022年5月1日 769人 23 5 [5]
2023年5月1日 748人 23 5 [6]
2024年5月1日 710人 23 4 [7]

学区

[編集]
町名 進学先
梅園町伝馬通曙町門前町久右ヱ門町花崗町亀井町籠田町西中町六地蔵町祐金町、十王町、箱柳町字中立(通称滝団地を除く。)、両町1丁目、両町2丁目(市道伝馬線以北)、中町(字野添・字屋敷裏・字北野・字天神ケ入・字長狭間のうち通称稲熊6区)、
稲熊町字1丁目、稲熊町字2丁目、稲熊町字3丁目、稲熊町字4丁目、稲熊町字5丁目、稲熊町字6丁目、稲熊町字7丁目、稲熊町字8丁目、稲熊町字赤松、稲熊町字祭田、稲熊町字大岩、稲熊町字猫沢、稲熊町字大岡作、稲熊町字蓬田、稲熊町字山道、稲熊町字宮下、稲熊町字海深、稲熊町字滝道、稲熊町字山神戸(1番地1~3番地1・32番地~37番地・40番地1~40番地6・40番地10~40番地16・40番地19~40番地35・41番地1)、稲熊町字森下、稲熊町字中屋敷、稲熊町字寺下、稲熊町字向畑、稲熊町字後田(愛知県立岡崎北高等学校東門に通ずる東西の道路以南)、
伊賀町字3丁目(29番地~36番地・68番地~75番地)、六供町字南丸根、六供町字南佐助、六供町字南床屋、六供町字杉本、六供町字1丁目(85番地~96番地)、六供町字2丁目(1番地~22番地・30番地~32番地・42番地1)、六供町字3丁目、六供町字4丁目
甲山中学校

(2022年12月26日現在[8]

歴史

[編集]

1869年明治2年)に設立した岡崎藩藩校允文館を起源とする。1871年(明治4年)、伝馬鹿ヶ谷饗応所(俗称:御馳走屋敷)に市学校が設立され、允文館の書籍などが引き継がれた。1872年(明治5年)、廃藩置県で額田県小学校と改称して魚町の大林寺内に移転し、同年に岡崎小学校と改称した。さらに1873年(明治6年)に門前町の随念寺に移転し、公立学校となり第2大学区内愛知県管下第8番中学区内額田郡第1番小学岡崎学校と改称した。さらに1892年(明治25年)に額田郡岡崎町立岡崎高等小学校、1906年(明治39年)に愛知県額田郡岡崎高等小学校に校名を変えている。

1916年大正5年)、大字梅園字六本37番地に新校舎落成移転。同年3月4日、愛知県額田郡梅園尋常小学校が創立され、7月1日の市制施行に伴い、10月1日に岡崎市梅園尋常高等小学校と改称した。1938年昭和13年)には、学校統合で根石小学校を統合した。1941年(昭和16年)に梅園国民学校と改称し、1944年(昭和19年)に愛宕国民学校の廃校により同校の児童を受け入れた。1945年(昭和20年)の岡崎空襲では被害を被らず、岡崎高等女学校が校舎の一部を使用した。1947年(昭和22年)に学制改革により岡崎市立梅園小学校と改称した。1962年(昭和37年)に鉄筋コンクリート校舎の第1期工事が完工し、1968年(昭和43年)に体育館と校門が完成した。その後も、児童数の増加により校舎の増築などを繰り返した。また、2005年スウェーデン皇太子ヴィクトリア王女が来校した。 また岡崎に移住して100周年という記念の年でもある。

年表

[編集]
  • 1871年2月22日 - 鹿ヶ谷饗応所に「市学校」を創設。
  • 1872年
    • 1月 - 廃藩置県により額田県小学校に改称。
    • 3月25日 - 魚町の大林寺に移転。
    • 11月 - 岡崎小学校に改称。
  • 1873年
    • 2月 - 門前町の随念寺に移転。
    • 9月10日 - 額田郡第一番小学岡崎学校として、第二大学区内愛知県下第八番中学区の公立学校となる。
  • 1887年4月1日 - 愛知県額田郡尋常小学校を創立。
  • 1892年10月1日 - 額田郡岡崎高等小学校に改称。
  • 1899年10月20日 - 岡崎町大字六供字甲山に移転。
  • 1906年12月31日 - 市町村合併に伴う学校の統廃合により愛知県額田郡岡崎高等小学校に改称。
  • 1909年4月13日 - 康生町の連尺小学校跡に移転。
  • 1916年
    • 1月31日 - 額田郡岡崎町大字梅園字六本37番地に移転。校舎竣工。
    • 3月4日 - 愛知県額田郡梅園尋常小学校創立。
    • 3月31日 - 岡崎高等小学校を廃止。
    • 7月1日 - 岡崎町が市制施行。
    • 10月1日 - 愛知県岡崎市梅園尋常高等小学校に改称。
  • 1941年4月1日 - 岡崎市梅園国民学校に改称。
  • 1947年4月1日 - 岡崎市立梅園小学校と改称。
  • 2004年 - 新校舎完成[9]
  • 2007年3月1日 - 新体育館完成。

ギャラリー

[編集]

活動

[編集]

行事

[編集]

部活動

[編集]

音楽部は県内の大会で優勝し、NHK全国コンクール出場したこともある。

周辺

[編集]

著名な出身者

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 教育要覧(平成25年度)”. 岡崎市教育委員会. pp. 106-107 (2013年7月). 2020年7月26日閲覧。
  2. ^ 教育要覧(令和元年度)”. 岡崎市教育委員会. pp. 120-121 (2019年8月). 2020年7月26日閲覧。
  3. ^ 教育要覧(令和2年度)”. 岡崎市教育委員会. pp. 122-123 (2020年9月). 2020年9月27日閲覧。
  4. ^ 教育要覧(令和3年度)”. 岡崎市教育委員会. pp. 120-121 (2021年9月). 2021年9月21日閲覧。
  5. ^ 教育要覧(令和4年度)”. 岡崎市教育委員会. pp. 120-121 (2022年9月). 2022年9月27日閲覧。
  6. ^ 教育要覧(令和5年度)”. 岡崎市教育委員会. pp. 122-123 (2023年9月). 2023年9月20日閲覧。
  7. ^ 教育要覧(令和6年度)”. 岡崎市教育委員会. pp. 125-126 (2024年11月). 2024年11月18日閲覧。
  8. ^ 岡崎市立小学校の通学区域”. 岡崎市教育委員会 (2022年12月26日). 2023年10月30日閲覧。
  9. ^ 岡崎まちものがたり 01 梅園学区”. 岡崎市ホームページ (2023年7月14日). 2024年1月17日閲覧。
  10. ^ 柄澤照文「ペン画家のみた岡崎の風景~鳥瞰画の視点から~」『第2回「岡崎学―岡崎を考える―」講演録』、岡崎大学懇話会、2007年6月、92頁。 
  11. ^ 中日新聞 2014年4月21日、朝刊、三河版、12面 「こころは三河 私の古里」
  12. ^ 今井亮 (2019年1月20日). “ベストの状態めざす 岡崎市出身 ラグビーの田村選手がW杯へ抱負”. 東海愛知新聞. http://www.fmokazaki.jp/tokai/190120.php 2019年1月20日閲覧。 
  13. ^ 『知っておきたい岡崎の人物伝 第8号』 情報文化社、2005年1月10日、9頁。

参考文献

[編集]
  • 『新編 岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日。 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]