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岡田八十次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岡田 八十次(おかだ やそじ)は、慶長から元和年間(1596年 - 1624年)に蝦夷地へ進出した老舗近江商人。屋号は松前恵比寿屋近江松前屋。歴代当主が襲名した名称(なお、第6代まで弥三右衛門を当主名として用いた)[1]

岡田八十次家

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歴代当主[1][2]

  • 岡田藤左衛門- 岡田家高祖とされ、安土城下に生まれる。
  • 岡田弥三右衛門 (初代)玄悦:(永禄11年(1568年)-承応3年(1654年))慶長年間(1596年-1615年八戸に進出し、後蝦夷地松前に出店。
  • 岡田弥三右衛門 (3代)秀慶:(生年不詳-元禄6年(1693年))3代秀慶の頃から享保年間(1736年)に『場所請負人』となったとされる。
  • 岡田弥三右衛門 (4代)玄正:(生年不詳-宝永7年(1710年))3代秀慶嫡子。
  • 岡田弥三右衛門 (5代)秀悦(正広):(生年不詳-明和2年(1765年))4代玄正次男、通称清八。弟玄慶をもって小八郎家を立てる。
  • 岡田弥三右衛門 (6代)礁意(正利又は広孝):(生年不詳-天明元年(1781年))5代次男、幼名弥二郎。
  • 岡田八十次 (7代)秀遠:(生年不詳-安永9年(1780年))6代広孝長男、幼名治郎。10代までは弥三治とも記される。
  • 岡田八十次 (8代)秀山(常広):(生年不詳-天保12年(1841年))6代広孝次男、通称清八。
  • 岡田八十次 (9代)誠定(広房):(生年不詳-文化12年(1815年))8代常広嫡子、幼名清次。
  • 岡田八十次 (10代)松住:(生年不詳-文政4年(1821年))今須三和の三男、8代娘婿、幼名弥三郎。23箇所の場所請負人となる、岡田家最盛期。
  • 岡田八十次 (11代)広猷(正期):(生年不詳-明治40年(1907年))10代の娘婿、愛知郡柳川村大橋仁右衛門次男。慶應元年(1865年小樽内場所の請負を失う。
  • 岡田八十次 (12代)眞哲:(生年不詳-大正2年(1913年))11代正期の娘婿、蒲生郡森尻村大梁氏。幼名弥一郎。 
  • 岡田八十次 (13代):(生年不詳-昭和15年(1940年))12代長男。明治16年(1883年)家督を継ぐが、明治34年(1901年)岡田家は事実上倒産。

岡田小八郎家

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歴代当主[3]

脚注

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  1. ^ a b 「近江商人岡田弥三右衛門家の経営」(上村雅洋 滋賀大学経済学部附属史料館 1986年)
  2. ^ 「北海道『海』の人国記」(伊藤孝博著 無明舎出版 2008年)
  3. ^ 「続 近江商人列伝」 P41「岡田小八郎」の項(江南良三著 サンライズ印刷出版部 1990年)