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岡部長修

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
岡部長修
岡部長修肖像(泉光寺所蔵)
時代 江戸時代中期
生誕 延享3年3月29日1746年5月19日
死没 寛政7年11月25日1796年1月4日
改名 鍋吉、長修
墓所 大阪府岸和田市の泉光寺
官位 従五位下美濃守駿河守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治
和泉岸和田藩
氏族 岡部氏
父母 岡部長著岡部長住
兄弟 長住長修長房久世広明正室、
内藤政陽正室、朝比奈稠池室、
岡部長剛正室、岡部長堅
長備長祥
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岡部 長修(おかべ ながなお)は、江戸時代中期の大名和泉国岸和田藩7代藩主。官位従五位下美濃守駿河守。岸和田藩岡部家8代。

略歴

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5代藩主・岡部長著の四男として岸和田にて誕生。幼名は鍋吉。

兄で先代藩主の岡部長住の実子のほとんどが早世したため、明和8年(1771年11月28日に兄の養嗣子となり、明和9年(1772年4月23日の長住の隠居により跡を継いだ。同年8月、村方に3か条触書を発布し、改元後の同年、安永元年12月に24か条の触書を発布し、後年岸和田藩の農政の模範とされた。兄と同じく病弱だったことから、安永5年(1776年8月18日に長男の長備に家督を譲って隠居した。

寛政7年(1795年)11月25日、50歳で岸和田にて死去した。墓所は大阪府岸和田市の泉光寺。

系譜

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