岩手東海新聞
岩手東海新聞 | |
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種類 | 週7日発行 |
サイズ | ブランケット判 |
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事業者 | 岩手東海新聞社 |
本社 | 岩手県釜石市 |
代表者 | 金田弘子 |
創刊 | 1948年 |
廃刊 | 2011年3月11日 |
言語 | 日本語 |
発行数 | 1万4000部 |
株式会社岩手東海新聞社 | |
本社所在地 |
日本 岩手県釜石市大町2丁目40-3 |
事業内容 | 新聞発行 |
業種 | 情報・通信業 |
特記事項: 2011年の東日本大震災により被災し、従業員全員を解雇して休刊[1]。 |
『岩手東海新聞』(いわてとうかいしんぶん)は、かつて岩手県釜石市を拠点に釜石市、宮古市、上閉伊郡大槌町、下閉伊郡山田町をエリアとして発行されていた日刊地域紙。東日本大震災に際して津波被害を受け、事実上の廃刊に追い込まれた[1]。廃刊前の発行部数は1万4000部とされていた[1]。
概要
[編集]1948年創刊。毎日夕刊・4ページ立てで発行されていた。
大船渡市で発行されている東海新報と紙名が似ているが本紙との間に資本・業務などの関係は存在しない。
東日本大震災で被災
[編集]2011年3月11日、東日本大震災の津波により、社員19人のうち記者2人が死亡し、輪転機も水没して発行できなくなった。多くの読者宅も津波で流されるなど被災し、収入源が断たれたため、3月29日付で全社員が解雇された。県域の地元紙である岩手日報の同年4月15日付に「発行に向け鋭意努力する」という内容の広告を掲載し、地元民に再発行を約束した[2]。
地震後、釜石市の大渡川河口へ取材に行った記者が津波に巻き込まれたが、奇跡的に軽傷で一命を取り留めた。この記者は、津波に飲み込まれながらも必死にカメラのシャッターを切り、その様子を国土交通省釜石港湾事務所職員が事務所屋上から撮影し、この写真がイギリス最大手の新聞デイリー・メールでも報じられた。この記者は同新聞社退職後、2016年3月までFM岩手の釜石支局員として同支局制作のラジオ番組『ふるさと元気隊・釜石やっぺしFM』や2014年4月より同支局が運営を受託しているかまいしさいがいエフエムの番組にレギュラー出演する他、支局長を務めた。
『復興釜石新聞』
[編集]震災後、前記の通り新聞の再発行を模索し続けていた元社員11人によって「合同会社釜石新聞社」が設立。被災を免れた住宅の一室を仮の事務所とし、当面は市の広報を請け負う形で、2011年6月11日より「復興釜石新聞」として週2回(水曜日と土曜日・4ページ刷)発行、再出発を切った[3]。印刷は盛岡タイムスに委託している。
2014年9月で助成が終了、10月から有料化され現在に至る。2015年7月には市の第三セクターが運営するWEBサイト「縁とらんす」へのニュース提供を開始。
関連項目
[編集]- 釜石新報 -1982年4月1日、釜石新報社によって創刊。1992年4月からは河北新報社の関連会社、三陸河北新報社の発行で1999年12月31日まで存在した競合紙。こちらは釜石市、大槌町を(1992年4月以後は遠野市、山田町も)エリアとしていた。
脚注
[編集]- ^ a b c 一條裕二、吉永亜希子「釜石「復興新聞」きょう創刊 休刊の地域紙記者ら 市援助受け」『読売新聞・東京朝刊』2011年6月11日、38面。 - ヨミダス歴史館にて閲覧
- ^ “東日本大震災:輪転機水没、記者2人失う 岩手の夕刊紙”. 毎日新聞. (2011年4月20日) 2011年4月30日閲覧。
- ^ “廃刊地元紙、記者集まり再出発=「復興釜石新聞」初刷り-岩手”. 時事通信. (2011年6月10日) 2011年6月11日閲覧。