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岩手県立千厩高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岩手県立千厩高校から転送)
岩手県立千厩高等学校
校門前(2024年5月)
地図北緯38度55分11.8秒 東経141度20分32.5秒 / 北緯38.919944度 東経141.342361度 / 38.919944; 141.342361座標: 北緯38度55分11.8秒 東経141度20分32.5秒 / 北緯38.919944度 東経141.342361度 / 38.919944; 141.342361
過去の名称 東磐井郡立東磐井蚕業学校
岩手県立蚕業学校
岩手県立農蚕学校
国公私立の別 公立学校
設置者 東磐井郡(1901年 - 1919年)
岩手県(1919年 - )
学区 普通科:両磐学区
その他:岩手県全域と宮城県気仙沼市
併合学校 岩手県立千厩高等学校定時制薄衣分校
岩手県立千厩東高等学校
岩手県立藤沢高等学校
校訓 質実剛健 文武両道
設立年月日 1902年4月1日
開校記念日 6月8日
共学・別学 男女共学
分校 藤沢分校(1950年独立)
1948年 - 1950年
薄衣分校(1964年廃止)
1948年 - 1964年
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
産業技術科
生産技術科
学期 2学期制
学校コード D103210000414 ウィキデータを編集
高校コード 03144F
所在地 029-0803
岩手県一関市千厩町千厩字石堂45-2
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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岩手県立千厩高等学校(いわてけんりつ せんまやこうとうがっこう、英: Iwate Prefectural Senmaya High School)は、岩手県一関市千厩町にある公立高等学校。通称は千高(せんこう)。

概要

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東磐井郡で当時盛んだった養蚕業の技術向上を目指し、1902年4月に県内では2校目の農学校[注 1]として東磐井郡立東磐井蚕業学校を開校した[1][2]。当初は千厩町千厩字宮敷に校舎を置いていたが、1939年に現在地へ移転した。戦後の学制改革により現校名の岩手県立千厩高等学校と改めたのち、千厩農業高等学校として分離した千厩東高等学校(2002年閉校)や、当校の分校から分離独立した藤沢高等学校(2008年閉校)を再統合して現在に至る[3]

旧一関市域以外の高等学校の中では生徒数・学級数共に最大規模を誇っており、2024年度時点では458人・15学級で、大東高等学校の161人・9学級や花泉高等学校の86人・3学級と比較すると、倍以上の規模となっている[4]

2年次より進学と就職に分かれて学ぶ「普通科」、農業や生活科学分野を専門として学ぶ「生産技術科」、工業分野を専門として学ぶ「産業技術科」の3学科を併せ持つ全日制の高等学校である[5]

沿革

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  • 1901年明治34年)
  • 1902年(明治35年)
  • 1904年(明治37年)4月1日 - 本科(男)の修業年限を2か年、別科(女)の修業年限を6か月の設置が認可。日露戦争の戦役により別科を募集停止[3]
  • 1908年(明治41年)4月11日 - 別科の募集を再開[3]
  • 1911年(明治44年)4月1日 - 本科を甲種程度へ昇格。別科の修業年限を1か年に延長[3]
  • 1912年大正元年)12月6日 - 運動場を設置[7]
  • 1919年(大正8年)
    • 3月1日 - 蚕友会(同窓会)を結成[7]
    • 4月1日 - 岩手県に移管し、「岩手県立蚕業学校」に改称[3][6]
  • 1923年(大正12年)- 校歌を制定(作詞:小山眞菅)[8]
  • 1927年昭和2年)4月1日 - 別科を女子部に改称し、修業年限を2か年に延長[3]
  • 1936年(昭和11年)4月1日 - 「岩手県立農蚕学校」に改称[3]
  • 1939年(昭和14年)5月8日 - 現在地に新校舎を落成し、移転[3]
  • 1940年(昭和15年)4月1日 - 実習農場を設置[7]
  • 1946年(昭和21年)4月1日 - 女子部の修業年限を3か年に延長[3]
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革に伴い「岩手県立千厩高等学校」に改称。全日制普通科・農蚕科・女子農業科を開設[9]定時制を当校のほか、藤沢分校と薄衣分校に開設[10]。併設中学校を開設[3]。校章を制定[11]
  • 1950年(昭和25年)
  • 1951年(昭和26年)
  • 1953年(昭和28年)5月3日 - 薄衣分校の校舎を落成[3]
  • 1955年(昭和30年)
  • 1957年(昭和32年)4月1日 - 定時制の家庭科前期2年課程を廃止[3]
  • 1958年(昭和33年)3月31日 - 定時制教室と農舎2棟を設置[3]
  • 1961年(昭和36年)
    • 4月30日 - 女子用蚕室を移転。特別教室を増築[3]
    • 10月31日 - 60周年記念事業として、日本庭園を造成[3]
  • 1963年(昭和38年)- 昼間定時制の農業科を、夜間定時制の普通科に移行。片倉教室を開設し、昼夜授業を開始[3][10]
  • 1964年(昭和39年)4月1日 - 薄衣分校の募集を停止(生徒は当校に収容し、閉校)[3]
  • 1967年(昭和42年)9月23日 - 第2グラウンド・新農場の落成式を挙行[3]
  • 1969年(昭和44年)12月25日 - 体育館を落成[3]
  • 1970年(昭和45年)9月30日 - 部室を設置。柔剣道場を改装[3]

千厩農業高校開校後

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千厩東高校統合後

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設置学科

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  • 全日制課程
    • 普通科 - 1948年の開設で、定員は120人(3学級)。
    • 産業技術科 - 1986年の開設で、定員は40人(1学級)。
    • 生産技術科 - 1993年の開設で、定員は40人(1学級)。

出典:[21]

廃止学科

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千厩東高校(旧千厩農業高校)の学科は含めない[3]
課程 学科 設置年度 廃止年度 備考
全日制課程 男子部 1902年 1948年 1945年本科から改称
女子部 1927年別科から改称
農蚕科 1948年 不明
農村家庭科 1949年女子農業科から改称
農業科 1963年 1974年 千厩農業高校へ移行
畜産科
生活科
定時制課程 普通科 1948年 2005年
農業科 1963年 夜間定時制普通科に変更
家庭科 1951年 1957年

校訓

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質実剛健

  • 質素で飾り気がなく、誠実であり、心身ともに強くたくましい人間育成をめざす。

文武両道

  • 学習活動と部活動を両立させ、知・徳・体のバランスのとれた人間育成をめざす。

出典:[11]

校章

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本校舎東棟に設置されている校章

校章は、戦後の学制改革による千厩高等学校の発足時に制定された。1974年の学校分離により千厩農業高校に、1988年の校名改称により千厩東高校に、さらに2002年の学校再編計画により開校した現在の千厩高校に受け継がれた。

葉に生糸を配したデザインとなっている。桑樹は、生命力が旺盛にして強靭、生糸は、純粋無垢・優美高尚の象徴である。当校の磯が堅固であり、絶えず進展し、躍動する青春を意味している。

出典:[11]

スクールカラー

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ネイビーブルー(明るい濃紺色)

開校100年の伝統を踏まえた落ち着いた色調の中に、清楚さと礼儀正しさを併せ持っている[11]

学校活動

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主な学校行事[22]

  • 4月 - 新任式、始業式、入学式、オリエンテーション
  • 5月 - 高総体壮行式・前期
  • 6月 - 前期中間考査、クラスマッチ
  • 7月 - 終業式
  • 夏季休業 - 夏季課外、中学生体験入学
  • 8月 - 始業式
  • 9月 - 前期末考査
  • 10月 - 千仰祭、芸術鑑賞
  • 11月 - 後期中間考査
  • 12月 - 修学旅行(2年生)、終業式
  • 冬期休業 - 冬季課外
  • 1月 - 始業式
  • 2月 - 後期末考査
  • 3月 - 卒業式、一般入学者選抜検査、終業式、離任式
  • 学年末休業

部活動

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運動部

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計14部が活動している[21]

  • 硬式野球部(男子)
  • ボクシング部(男子)
  • サッカー部(男子)
  • ソフトボール部(女子)
  • 陸上競技部
  • バスケットボール部
  • バレーボール部
  • ソフトテニス部
  • バドミントン部
  • 卓球部
  • 柔道部
  • 剣道部
  • 弓道部
  • ワンダーフォーゲル部

文化部

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計8部が活動している[21]

  • 美術部
  • 写真部
  • 書道部
  • 音楽部
  • 吹奏楽部
  • 筝曲部
  • 演劇部
  • 茶道部

廃止した部活動

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文化部

  • アマチュア無線部(2006年度廃部[23][24]

同好会

  • 囲碁将棋同好会(2016年度廃部[25][26]
  • コンピュータ同好会(同上)
  • インターアクト同好会(同上)
  • 英会話同好会(同上)
  • 器楽同好会(同上)

施設概要

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主な施設[27]

  • 校舎
  • 産業技術棟
  • 生産技術棟
  • 第一体育館 - 2003年竣工の鉄骨造平屋建て。面積は1,263平方メートル[28]
  • 第二体育館
  • 校庭(山仰台)
  • 山仰館
  • セミナーハウス
  • グラウンド
  • 柔剣道場
  • ボクシング場
  • 弓道場
  • テニスコート
  • 部室棟
  • 農場(生産技術科用)

生徒・学級数

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開校以降の定員数・生徒数・学級数の推移。1980年度以降は毎年度掲載。

年度 定員 生徒数 増減 学級数 増減 出典 備考
1902(明治35)年度 不明 25 1 [3] 開校
1903(明治36)年度 46 21 不明 [29]
1904(明治37)年度 49 3
1905(明治38)年度 49 0
1906(明治39)年度 48 -1
1907(明治40)年度 50 2
1908(明治41)年度 70 20 別科開設
1909(明治42)年度 51 -19
1910(明治43)年度 52
1911(明治44)年度 110[30] 71 19
1912(明治45)年度 不明 90 19
1913(大正2)年度 82 -8
1914(大正3)年度 75 -7
1915(大正4)年度 83 8
1944(昭和19)年度 100[3] 不明 [3] 本科+1
1945(昭和20)年度 女子部+1、本科を男子部へ改名
1948(昭和23)年度 不明 全日制・定時制設置、各分校設置
1957(昭和32)年度 834 751 21 20 [31]
1963(昭和38)年度 320[3] 不明 不明 [3] 普通科定員200
1973(昭和48)年度 不明 生活科+1(臨時)
1974(昭和49)年度 全日制普通科へ改編
1980(昭和55)年度 12 -9
1981(昭和56)年度 200[3] 13 1 普通科+1(臨時)
1987(昭和62)年度 160[3] 12 0
1988(昭和63)年度 12 0
1989(平成元)年度 12 0
1990(平成2)年度 12 0
1991(平成3)年度 12 0
1992(平成4)年度 12 0 創立90周年
1993(平成5)年度 12 0
1994(平成6)年度 12 0
1995(平成7)年度 12 0
1996(平成8)年度 200[3] 13 1 普通科+1(臨時)
1997(平成9)年度 160[32] 13 0
1998(平成10)年度 13 0
1999(平成11)年度 12 -1 [32]
2000(平成12)年度 494 -340 12 0 [33]
2001(平成13)年度 489 -5 12 0 [34]
2002(平成14)年度 280[32] 878 389 24 12 [35] 定時制募集停止、創立100周年
2003(平成15)年度 240[3] 843 -35 22 -2 [36] 産技科-1
2004(平成16)年度 797 -46 20 -2 [37]
2005(平成17)年度 741 -56 18 -2 [38] 定時制廃止
2006(平成18)年度 709 -32 18 0 [39]
2007(平成19)年度 699 -10 18 0 [40]
2008(平成20)年度 687 -12 18 0 [41]
2009(平成21)年度 701 14 18 0 [42]
2010(平成22)年度 691 -10 18 0 [43]
2011(平成23)年度 698 7 18 0 [44]
2012(平成24)年度 664 -34 18 0 [45] 創立110周年
2013(平成25)年度 609 -55 18 0 [46]
2014(平成26)年度 200[3] 576 -33 17 -1 [47] 普通科-1
2015(平成27)年度 547 -29 16 -1 [48]
2016(平成28)年度 553 6 15 -1 [49]
2017(平成29)年度 523 -30 15 0 [50]
2018(平成30)年度 529 6 15 0 [51]
2019(令和元)年度 506 -23 15 0 [52]
2020(令和2)年度 489 -17 15 0 [53]
2021(令和3)年度 473 -16 15 0 [54]
2022(令和4)年度 482 9 15 0 [55] 創立120周年
2023(令和5)年度 434 -48 15 0 [56]
2024(令和6)年度 458 24 15 0 [4]

アクセス

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千厩市街地の北東、国道284号千厩バイパス沿いに位置している。

鉄道

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バス

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自動車

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  • 一関市中心部から国道284号経由で約35分
  • 気仙沼市中心部から国道284号経由で約30分

周辺

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著名な出身者・関係者

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出身者

関係者

  • 吉田麻起子(旧姓:藤原[62]) - 千厩町出身の元ソフトボール選手。2012年度から教員として着任し、女子ソフトボール部の顧問を担当していた[63]

脚注

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注釈

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  1. ^ また、東磐井郡内では初の中等学校である。
  2. ^ 県立高等学校新整備計画の第1号である。
  3. ^ のちに新制一関市立千厩小学校(2018年開校)の建設工事のため、施設は解体された[19]

出典

[編集]
  1. ^ 広報せんまや 第561号 - 千厩高校創立100周年”. 千厩町. 2005年3月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月13日閲覧。
  2. ^ 20220901-154231.pdf”. いちのせきの教育2022 学校教育2. 一関市. p. 54 (2022年9月1日). 2023年3月24日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk 沿革”. 岩手県立千厩高等学校. 岩手県. 2023年3月23日閲覧。
  4. ^ a b 学校一覧 令和6年度”. 岩手県. p. 36 (2024年11月). 2024年12月4日閲覧。
  5. ^ 学科紹介”. 岩手県立千厩高等学校. 岩手県. 2010年1月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月2日閲覧。
  6. ^ a b c d 伝統継承し発展へ 千厩高創立110周年」『岩手日日』2011年10月2日。オリジナルの2011年10月6日時点におけるアーカイブ。2023年5月13日閲覧。
  7. ^ a b c d 岩手県立千厩高等学校創立120周年記念事業実行委員会『岩手県立千厩高等学校 創立120周年記念のしおり』2022年、4-5頁。 
  8. ^ 岩手・一関『ひがしいわいの校歌集』69曲目 岩手県立農蚕学校・岩手県立蚕業学校校歌”. トーバン印刷 (2017年3月12日). 2023年3月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月23日閲覧。
  9. ^ a b c 高等教育の行方2 開校向け準備着々 生徒同士の交流も始まる」『岩手日日』2002年。オリジナルの2002年3月12日時点におけるアーカイブ。2023年5月13日閲覧。
  10. ^ a b 高等教育の行方8 時代の流れで役割変化 県教委聴講生受け入れも検討」『岩手日日』2002年。オリジナルの2002年3月12日時点におけるアーカイブ。2023年5月13日閲覧。
  11. ^ a b c d 学校概要”. 岩手県立千厩高等学校. 岩手県. 2010年1月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月2日閲覧。
  12. ^ 岩手・一関『ひがしいわいの校歌集』70曲目 岩手県立千厩東・千厩農業・千厩高等学校校歌”. トーバン印刷 (2017年3月13日). 2023年3月23日閲覧。
  13. ^ 岩手・一関『ひがしいわいの校歌集』71曲目 岩手県立千厩高等学校校歌”. トーバン印刷 (2017年3月14日). 2023年3月23日閲覧。
  14. ^ 県立高等学校再編の取組み”. 岩手県. 2023年3月23日閲覧。
  15. ^ a b c 県立高の統合第1号<新千厩高開校式>」『岩手日報』2002年4月9日。オリジナルの2002年7月1日時点におけるアーカイブ。2023年9月26日閲覧。
  16. ^ a b 広報せんまや 第616号”. 千厩町. p. 11. 2005年8月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月19日閲覧。
  17. ^ 岩手・一関『ひがしいわいの校歌集』72曲目 岩手県立千厩高等学校校歌『理想の翼』”. トーバン印刷 (2017年3月15日). 2023年3月23日閲覧。
  18. ^ a b 広報ふじさわ 第650号”. 藤沢町 (2008年3月). 2011年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月23日閲覧。
  19. ^ 千厩小が開校 声高らかに新校歌【一関】」『岩手日日』2018年4月10日。2023年10月13日閲覧。
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  22. ^ 令和4年度 年間行事予定表”. 岩手県立千厩高等学校. 岩手県 (2022年4月7日). 2023年5月13日閲覧。
  23. ^ 中学生用案内”. 岩手県立千厩高等学校. 岩手県. 2005年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月18日閲覧。
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  28. ^ 県有施設の耐震化の状況(県立高等学校「体育館(1000㎡以上)」)”. 岩手県. 2024年12月4日閲覧。
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  30. ^ 東磐井郡『岩手県東磐井郡勢要覧 明治44年』東磐井郡、1913年、3頁。doi:10.11501/917218 
  31. ^ 『千厩高等学校記念誌』岩手県立千厩高等学校、1958年。 
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  38. ^ 学校一覧 平成17年度”. 岩手県. p. 52 (2005年). 2007年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月6日閲覧。
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  48. ^ 学校一覧 平成27年度”. 岩手県. p. 42. 2022年10月1日閲覧。
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  51. ^ 学校一覧 平成30年度”. 岩手県. p. 36. 2022年10月1日閲覧。
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  57. ^ 藤村龍雄教授 略歴”. Wayback Machine. 2017年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月19日閲覧。
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  59. ^ 小野寺宏行(編)「第31回岩手県生活衛生大会開催 女性部研修会開催!!」(PDF)『理容いわて』第238号、岩手県理容生活衛生同業組合、2020年1月1日、4頁。 
  60. ^ 「薄衣郵便局で川崎出身の漫画家・佐藤さんの作品展」『岩手日日』2002年8月15日。
  61. ^ 来月、舞台「ソングマン」 文化センター 佐藤智広さん(一関出身)出演」『岩手日日』2023年2月25日。
  62. ^ 技術向上へ基礎から オリンピアンが指導 トヨタソフトボール教室【一関】」『岩手日日』2023年8月18日。オリジナルの2023年8月24日時点におけるアーカイブ。2023年12月6日閲覧。
  63. ^ 【特集】一関の誇り ソフトボール王国の挑戦 5”. 一関市ホームページ. 一関市 (2012年8月27日). 2022年11月15日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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