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岩田熊吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岩田 熊吉[1](いわた くまきち、1884年明治17年)2月14日[2][3] - 没年不明)は、日本実業家。錦隆汽船、岩田海運各社長[2]。合資会社岩田商店代表社員[1][2][3]

経歴

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鳥取県西伯郡境町(現・境港市)に生まれる[1][2][3]1894年に西伯郡和田村(現・米子市和田町)の小学校を卒業して間もなく一家は米子町(現・米子市)に移転したため熊吉も同地に移り、1898年に境町の海運業岡田回漕店に入る[1]

1913年に同店を辞し[1][注 1]、神戸の岡田信吉朗の後援により現地に独立開業する[3]1935年合資会社に組織変更、その代表社員に就任する[3]1938年に岩田海運を創立して社長となる[1]

人物

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海運業並びに石炭商を営む[4]。会社の重役である[4]。『商工資産信用録 第43回』には、岩田熊吉(調査年月・1942年3月)は「正身身代・Gd、年扱高又は年収・N、信用程度・CA、職業・石炭、海運、店舗又は住所・若松、東新」とある[5]

趣味は読書[3]園芸、読書[4]。宗教は禅宗[2][3][4]。住所は福岡県若松市山手通[2]、修多羅[4](現・北九州市若松区修多羅)。

栄典

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家族

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岩田家

脚注

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注釈

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  1. ^ 岡田回漕店を辞した年は、『海事要覧』には1914年(大正3年)とある[3]
  2. ^ 熊吉は、『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』や『人事興信録 第14版 上』には「秀吉の三男[2][4]」、『海事要覧』や『大日本徳行録 第1巻』には「直次郎の二男[1][3]」とある。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 『大日本徳行録 第1巻』459 - 460頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月7日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』福岡9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年9月30日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『海事要覧』第三編 海事興信録9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年2月1日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 『人事興信録 第14版 上』イ265頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年9月30日閲覧。
  5. ^ 『商工資産信用録 第43回』福岡県9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年9月30日閲覧。
  6. ^ 『日本全国銀行会社録 第47回』鳥取県 下編274頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年9月30日閲覧。

参考文献

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  • 海事彙報社編『海事要覧』海事彙報社、1936年。
  • 商業興信所編『日本全国銀行会社録 第47回』商業興信所、1939年。
  • 商業興信所編『商工資産信用録 第43』商業興信所、1941 - 1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『大日本徳行録 第1巻』大日本徳行録刊行会、1943年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。