和田町 (米子市)
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和田町 | |
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和田浜駅 | |
北緯35度29分00秒 東経133度16分09秒 / 北緯35.48333度 東経133.26917度座標: 北緯35度29分00秒 東経133度16分09秒 / 北緯35.48333度 東経133.26917度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鳥取県 |
市町村 | 米子市 |
人口 | |
• 合計 | 2,723人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
683-0102[2] |
市外局番 | 0859[3] |
ナンバープレート | 鳥取 |
和田町(わだちょう)は、鳥取県米子市にある町丁。郵便番号は683-0102(米子郵便局管区)。
本項では同地域にかつて所在した会見郡・西伯郡和田村(わだそん)についても述べる。
和田開村
[編集]わだそん 和田村 | |
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廃止日 | 1954年6月1日 |
廃止理由 |
編入合併 彦名村、崎津村、大篠津村、和田村、富益村、夜見村、巌村、成実村 → 米子市 |
現在の自治体 | 米子市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 西伯郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 |
米子市 西伯郡大篠津村、崎津村、富益村 |
和田村役場 | |
所在地 | 鳥取県西伯郡和田村 |
座標 | 北緯35度29分5.9秒 東経133度15分56.9秒 / 北緯35.484972度 東経133.265806度 |
ウィキプロジェクト |
延宝 - 天和年間(1673 - 1683)、中浜村佐斐神・小篠津・新屋からの移住により開拓される。1688年(元禄元年)「和田新田」となり、1714年(正徳4年)「和田村」と改称した。
和田村の由来
[編集]この節には内容がありません。(2020年4月) |
庄屋
[編集]- 初代 井田宗左衛門 元禄6年(1693年) -
- 2代 井田武兵衛 正徳元年 -
- 3代 磐田五郎兵衛 享保18年 -
- 4代 安藤伝右衛門 延享2年 -
- 5代 角茂兵衛 宝暦9年 -
- 6代 安達茂右衛門 明和8年 -
- 7代 岩田政五郎 天明5年 -
- 8代 井田勘兵衛 寛政6年 -
- 9代 井田永助 文化6年 -
- 10代 井田喜三右衛門 文政4年 -
- 11代 井田敬蔵 文政11年 -
- 12代 井田貞七郎 弘化2年 -
- 13代 佐々木文左衛門 安政4年 -
- 14代 大倉敬三郎 明治7年 -
戸長
[編集]- 初代 大倉敬三郎 明治10年 -
- 2代 安達伊三郎 明治11年 -
大篠津村連合役場
[編集]- 初代 安本亨 明治14年 -
- 2代 立原有隣 明治16年 -
- 3代 安田復四郎 明治21年(1888年) -
村長
[編集]- 初代 大倉齢造 明治22年(1889年) -
- 2代 井田定省 明治24年(1891年) -
- 3代 大倉齢造(再) 明治27年(1894年) -
- 4代 吉田文次郎 明治35年(1902年) -
- 5代 末吉鉄太郎 明治43年(1910年) -
- 6代 吉田文次郎(再)大正4年(1915年) -
- 7代 大家重朝 大正8年(1919年) -
- 8代 井田鉄蔵 大正10年(1921年) -
- 9代 池淵繁義 昭和4年(1929年) -
- 10代 大倉武雄 昭和8年(1933年) -
- 11代 大西節夫 昭和22年(1947年) -
- 12代 森脇孝 昭和26年(1951年) - 昭和29年(1954年)
世帯数と人口
[編集]2022年(令和4年)7月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
和田町 | 1,128世帯 | 2,432人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 米子市立和田小学校 | 米子市立美保中学校 |
交通
[編集]鉄道
[編集]バス
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道路
[編集]出身人物
[編集]政治家
[編集]実業家
[編集]力士
[編集]年表
[編集]- 延宝年間(1673年 - 1680年)
- 佐斐神村の井田氏、浪切沢付近を拓く。
- 延宝8年(1680年)
- 佐斐神村の永見氏、妻子を連れて下和田に移住。
- 天和年間(1681年 - 1683年)
- 小篠津村の松本氏等、蒲沢、曲沢付近を拓く。
- 新屋村の足立氏等7氏、イガラ沢、池の尻付近を拓く。
- 元禄元年(1688年)
- “和田新田村”の村号を得る。
- 正徳4年(1714年)
- “和田新田村”、官許を得て“和田村”と改称。
- 正徳5年(1715年)
- 雲泉寺建立(「棟札」)。
- 延享2年(1745年)
- 和田神社創建(小篠津:日御碕神社文書)。
- 文化6年(1809年)
- 慶応元年(1865年)
- 釣船神社建立(棟札)。
- 明治6年(1873年)
- 堂森に和田小学校創設。
- 明治15年(1882年)
- 和田小学校、蒲沢に新築。
- 明治22年(1889年)10月1日
- 明治29年(1896年)4月1日
- 昭和11年(1936年)6月
- 昭和26年(1951年)
- 昭和29年(1954年)6月1日
- 米子市に編入合併。同日、和田村廃止。
施設
[編集]- 米子市立和田小学校
- 米子警察署 和田駐在所
- 和田簡易郵便局
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『和田村誌』 和田村役場
- 『和田村史考』 渡辺熊二
- 『和田郷土誌-発祥300年記念-』 1988年 和田郷土を語る会