崎谷誠一
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名前 | ||||||
カタカナ | サキヤ セイイチ | |||||
ラテン文字 | SAKIYA Seiichi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1950年12月1日(74歳) | |||||
出身地 | 広島県似島 | |||||
身長 | 174cm | |||||
体重 | 64kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
ユース | ||||||
1966-1968 | 山陽高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1969-1981 | 八幡製鉄/新日本製鐵 | 193 | (48) | |||
通算 | 193 | (48) | ||||
代表歴 | ||||||
1971-1972 | 日本 | 3 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
崎谷 誠一(さきや せいいち、1950年12月1日 - )は、広島県似島出身の元サッカー選手[1][2]。
来歴
[編集]山陽高等学校でフォワード、あるいは攻撃的MFとして2年時の1967年、全国高等学校サッカー選手権で優勝(洛北と第二延長を含む120分0-0で両校優勝)[1][3][4]、国体3位[1]。2年生でユース日本代表に選出される[3]。3年時の翌1968年には主将として全国高等選手権準優勝(0ー1初芝)[5]。翌1969年第11回アジアユース選手権(AFCユース選手権)に出場した。この時の代表メンバーは18人中9人が広島出身者の同学年で[6]、崎谷は八幡製鉄、山陽の同級・河野和久は日立、県立広島工業の荒井公三は古河電工、小原秀男は東洋工業、修道の大谷栄一は三菱重工、広島市商の河本博は八幡製鉄と、日本サッカーリーグ(JSL)に進み、いずれもチームの主力選手として活躍した[3]。また、皆実の平田生雄は永大産業に所属した後、少年サッカー指導者として活躍している[1][7]。
崎谷は高校卒業後、八幡製鉄入りし主力選手として活躍した。八幡製鉄には山陽高から8人が進んだ[8]。日本代表としてもミュンヘンオリンピック予選など、国際Aマッチ3試合に出場している。
現在は、Jリーグのマッチコミッショナーを務めている。
所属クラブ
[編集]- 山陽高校
- 1969年 - 1981年 八幡製鉄/新日本製鐵
個人成績
[編集]日本サッカーリーグ1部成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1969 | 八幡 | JSL | 6 | - | |||||||
1970 | 新日鐵 | - | - | ||||||||
1971 | 18 | - | |||||||||
1972 | JSL1部 | 5 | - | ||||||||
1973 | 8 | 5 | |||||||||
1974 | - | ||||||||||
1975 | - | ||||||||||
1976 | 2 | ||||||||||
1977 | 3 | ||||||||||
1978 | 18 | 7 | |||||||||
1979 | 18 | 5 | 1 | 0 | |||||||
1980 | 15 | 3 | 1 | 0 | 3 | 0 | 19 | 3 | |||
1981 | 5 | 0 | 0 | 0 | |||||||
通算 | 日本 | JSL1部 | 193 | 48 | |||||||
日本 | JSL2部 | ||||||||||
総通算 |
代表歴
[編集]出場大会など
[編集]試合数
[編集]- 国際Aマッチ 3試合 0得点(1971-1972)
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
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年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1970 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 |
1971 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
1972 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
1973 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 |
通算 | 3 | 0 | 4 | 0 | 7 | 0 |
出場
[編集]No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 1971年09月27日 | ソウル | フィリピン | ○8-1 | 岡野俊一郎 | オリンピック予選 | |
2. | 1971年09月29日 | ソウル | チャイニーズタイペイ | ○5-1 | オリンピック予選 | ||
3. | 1972年08月06日 | シンガポール | インドネシア | ●0-1 | 長沼健 | ペスタスカン大会 |
出典
[編集]- ^ a b c d 河野徳男『広島スポーツ史』、財団法人広島県体育協会、1984年、322-323頁。
- ^ 『広島県高体連 サッカー部のあゆみ』井上國三編 広島県高体連サッカー部、2000年、209頁。
- ^ a b c 『週刊サッカーマガジン』2011年6月14日号 、70頁。
- ^ 『栄光の足跡 広島サッカー85年史』広島サッカー85年史編纂委員会 財団法人 広島県サッカー協会、2010年、69頁。
- ^ 『『栄光の足跡 広島サッカー85年史』69頁。
- ^ 『栄光の足跡 広島サッカー85年史』71頁。
- ^ 他の2人は、木本積(修道-中央大)、平田和資(山陽-八幡)(『栄光の足跡 広島サッカー85年史』71頁)。
- ^ 『広島スポーツ100年』、中国新聞社、1979年、260頁
参考文献
[編集]- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
外部リンク
[編集]- 崎谷誠一 - National-Football-Teams.com
- 崎谷誠一 - Transfermarkt.comによる選手データ