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嶋田雄大

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
嶋田 雄大
基本情報
本名 嶋田 雄大
階級 ライト級
身長 170cm[1]
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1971-08-13) 1971年8月13日(53歳)
出身地 富山県富山市
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 34
勝ち 27
KO勝ち 17
敗け 6
引き分け 1
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嶋田 雄大(しまだ たけひろ、1971年8月13日 - )は、日本の元プロボクサー富山県富山市出身。元日本ライト級王者。ヨネクラボクシングジム所属。富山第一高等学校卒業。

来歴

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マイク・タイソンにあこがれ、プロボクサーになることを決意した。高校卒業後に渡米し、ニューヨークにあったタイソンの自宅を訪ねたが、門前払いされた[2]

1996年、アマチュア全日本社会人選手権スーパーフェザー級3位になり、プロに転向。3年間のアマチュア戦績は15勝(11KO・RSC)6敗。その内10KOは1R決着。

1997年6月24日、デビュー戦に1RKOで勝利。専属トレーナーはバトルホーク風間。11月8日、3連勝で東日本スーパーフェザー級新人王決勝戦に挑むも、本田正に6R判定負け。

1999年12月17日、3連勝でリック吉村の持つ日本ライト級王座に挑戦。10R判定まで縺れるも、判定負けで王座獲得はならなかった。

2000年11月27日、2連勝後再度リック吉村に挑戦も、またも10R判定負け。

2002年3月9日、日本ライト級王者木村登勇に挑戦。10R判定で勝利し、3度目の挑戦で王座を獲得した。

2004年12月20日、小野淳一稲田千賢長嶋健吾ら5人を退け5度防衛した王座を返上。この間に風間が死去し柴田国明がトレーナーとなった。

王座返上後も、竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジムでトレーナーをしながら7戦7勝で世界戦に向け待機していた。

2008年6月12日、WBA世界スーパーフェザー級王者エドウィン・バレロが防衛戦の相手として迎え撃つ予定であったイスラエル・ペレスが膝の故障のため、バレロとの対戦が不可能となり、その代打挑戦者として日本武道館でバレロに挑んだが[3]、7RTKOで敗れ、この時点での日本ボクシング史上最高齢タイトル奪取は叶わなかった[4]。2か月後には37歳になったが、日本王者経験、世界挑戦経験により、以降もJBCからライセンス交付の認可を受けている。

2009年3月16日、日本ライト級6位として、アメス・ディアス(WBA13位)を4R1分47秒KOで下し、再起を果たした。当初は元王者ホセ・アルファロと対戦予定だったが、アルファロ側の事情でキャンセルとなっていた。嶋田はこの試合に対し、東日本ボクシング協会の平成21年3月度月間最優秀選手賞を受けた。

2009年7月3日、WBA世界ライト級王者パウルス・モーゼス陣営よりナミビアでの対戦オファーを受けて4日に正式契約を交わした[5]。王者陣営からの航空券受け取りが3日遅れるなど波瀾もあったが[6]、トレーナーの柴田と会長の米倉健司が同行し、試合を前にドン・キングと3年契約を結んだ[7]。ライト級のタイトルマッチでありながら前日計量はモーゼスが60.7kg、嶋田が60.0kgでパスした。試合は7月25日深夜、ナミビアの首都ウイントフックにあるウィントフック・カントリー・クラブ・リゾートのホテル敷地に仮設されたテント内にて気温3度程度で行われ、0-3(109-119、109-119、110-118)の判定負けを喫し、王座獲得はならなかった。試合直後には再戦を希望して現役続行の意思を表明した[8]。日本国内での現役続行には2年の猶予がある[9]

2010年1月15日、アレクシス・サリナスとの10回戦では序盤に右拳を傷めたが、3-0の判定勝利で再起を果たした[10]

2012年1月10日、40歳の日本ライト級3位として、28歳で日本9位の岩下幸右とのライト級8回戦に大差の判定勝利を収めた[11]

2012年8月13日、41歳の誕生日にOPBF東洋ライト級6位/日本ライト級1位として、世界ランキング1位でOPBF東洋太平洋ライト級王者の荒川仁人に挑戦したが8ラウンドTKOで敗れた。[12]

戦績

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  • アマチュアボクシング:21戦15勝(11KO・RSC)6敗
  • プロボクシング:34戦27勝(17KO)6敗1分
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 1997年6月24日 勝利 1R KO 大見恒宝 日本の旗 日本
(斉田)
プロデビュー戦
2 1997年8月4日 勝利 4R KO 稲垣毅 日本の旗 日本
(MI花形)
3 1997年9月30日 勝利 4R 判定 西田光堂 日本の旗 日本
(ヨネクラ)
第54回東日本スーパーフェザー級新人王
トーナメント準決勝
4 1997年11月8日 敗北 6R 判定 本田正 日本の旗 日本
(ヨネクラ)
第54回東日本スーパーフェザー級新人王
トーナメント決勝戦
5 1998年4月28日 勝利 6R 判定 草間智之 日本の旗 日本
(三迫)
6 1998年8月10日 勝利 3R KO 松信秀和 日本の旗 日本
(宮田)
7 1999年3月2日 勝利 10R 判定 森岡健 日本の旗 日本(新日本タニカワ)
8 1999年12月17日 敗北 10R 判定 リック吉村 日本の旗 日本
(石川)
日本ライト級タイトルマッチ
9 2000年2月29日 勝利 6R TKO ティティラート・キャットプラサーンチャイ タイ王国の旗 タイ
10 2000年8月1日 勝利 2R TKO ボーイ・リーガス フィリピンの旗 フィリピン
11 2000年11月27日 敗北 10R 判定 リック吉村 日本の旗 日本
(石川)
日本ライト級タイトルマッチ
12 2001年6月19日 勝利 3R 1:19 TKO ナンナーム・キャットプラサーンチャイ タイ王国の旗 タイ
13 2001年11月15日 勝利 1R 2:19 KO ゴーンスック・キャットチャイヨン タイ王国の旗 タイ
14 2002年3月9日 勝利 10R 判定3-0 木村登勇 日本の旗 日本
(横浜光)
日本ライト級タイトルマッチ
15 2002年7月29日 引分 3R 負傷 大貫智康 日本の旗 日本
(アポロ)
日本王座防衛1
16 2003年1月28日 引分 8R 0:52 TKO 小野淳一 日本の旗 日本
(新日本木村)
日本王座防衛2
17 2003年9月8日 勝利 10R 判定3-0 川島辰久 日本の旗 日本
(三迫)
日本王座防衛3
18 2004年3月20日 勝利 10R 判定2-0 稲田千賢 日本の旗 日本
(帝拳)
日本王座防衛4
19 2004年11月20日 勝利 10R 判定3-0 長嶋健吾 日本の旗 日本(エイティーン古河) 日本王座防衛5/返上
20 2005年4月19日 勝利 2R 0:29 KO チャイナラー・ウアサムパン タイ王国の旗 タイ
21 2005年7月28日 勝利 5R終了 TKO ディッカス・ローリエス インドネシアの旗 インドネシア
22 2005年12月20日 勝利 6R 2:38 TKO スマイル・ブラウン インドネシアの旗 インドネシア
23 2006年6月14日 勝利 4R 1:58 KO 金頭成 大韓民国の旗 韓国
24 2007年1月30日 勝利 5R 2:27 KO エンシポック・ソーウォラシン タイ王国の旗 タイ
25 2007年5月22日 勝利 5R 2:03 KO ラモナ・プルバ インドネシアの旗 インドネシア
26 2007年11月20日 勝利 3R 2:27 KO ペットーンカム・シットプラガーイファー タイ王国の旗 タイ
27 2008年6月12日 敗北 7R 1:55 TKO エドウィン・バレロ ベネズエラの旗 ベネズエラ
(帝拳)
WBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチ
28 2009年3月16日 勝利 4R 1:47 KO アメス・ディアス パナマの旗 パナマ
29 2009年7月25日 敗北 12R 判定0-3 パウルス・モーゼス ナミビアの旗 ナミビア WBA世界ライト級タイトルマッチ
30 2010年1月15日 勝利 10R 判定3-0 アレクシス・サリナス メキシコの旗 メキシコ
31 2010年9月29日 勝利 10R 判定2-1 マイク・トゥンバガ フィリピンの旗 フィリピン
32 2011年5月30日 勝利 2R 2:48 KO ファーサンハン・オーベンジャマッド タイ王国の旗 タイ
33 2012年1月10日 勝利 10R 判定3-0 岩下幸右 日本の旗 日本
(グリーンツダ)
34 2012年8月13日 敗北 8R 2:59 TKO 荒川仁人 日本の旗 日本
(八王子中屋)
OPBF東洋太平洋ライト級タイトルマッチ


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獲得タイトル

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  • 第49代日本ライト級王座(5度防衛後、返上)

関連項目

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脚注

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外部リンク

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前王者
木村登勇
第49代日本ライト級王者

2002年3月9日 - 2004年12月20日(返上)

空位
次タイトル獲得者
久保田和樹