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川上町高山市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川上町高山市
川上町高山市の位置(岡山県内)
川上町高山市
川上町高山市
北緯34度44分2.5秒 東経133度24分3秒 / 北緯34.734028度 東経133.40083度 / 34.734028; 133.40083
都道府県 岡山県
市町村 高梁市
地区 川上町
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
716-0221

川上町高山市(かわかみちょうこうやまいち)は、岡山県高梁市大字井原市に跨る歴史ある町並み集落がある。

概要

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高山市集落は岡山県と広島県に跨る吉備高原の中にあたる[1]。標高は550m 〜 600mにあり、「上市」、「中町」、「下市」と3つの集落で構成された市街地を形成し、歴史ある町並みが残るエリアとなっている。

歴史

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「高山市」という名は、かつて市場が開かれていた地であることを示すものである。現在の高梁市川上町高山市と井原市芳井町東三原に跨る中心集落地は、備中笠岡(現: 岡山県笠岡市)と備後東城(現: 広島県庄原市)を結ぶ東城往来のほぼ中間(笠岡から8里、東城から9里。)に位置し、中世の時代に市が開かれ、中世から大正初期までの間、この地域一帯の物資輸送の中継地として市場町を形成。また穴門山神社の門前町としても栄えた。

高山市の市場圏は「高山八八里」と呼ばれ、約8里離れた八方の地点(東城、上下高梁成羽、笠岡、矢掛福山府中)との繋がりにより、川上郡の中では成羽と並ぶ商業の二大中心地を形成していた。そのため、高山市を中心とした形で四方八方に延びる街道は、主要幹線であった東城往来も含め、総称として「高山往来」あるいは「高山市往来」とも呼ばれていた。

明治以降は、東城往来の経路変更(現: 岡山県道・広島県道9号芳井油木線)や、広島県道福山東城線の整備(現: 国道182号)といった道路網の変化により、物資輸送の中継地としての拠点性が徐々に失われ、1935年昭和10年)に中町で発生した火災で大火に襲われ、繁栄の幕は閉じられることとなる。

現在は、山村の小さな集落地に衰退しているものの歴史ある古い町並みは現存している。

沿革

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現在の状況

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交通

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道路
旧街道
  • 高山往来 (高山市往来)
    • 東城往来 (雲州街道 / 笠岡往来 などとも。)
    • 石州街道 (高山往来 / 成羽往来 などとも。)
    • 平川往来 (伯州街道 / 備後往来 などとも。)

アクセス

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最寄りIC
最寄り駅

脚注

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  1. ^ 高梁市川上町としては西部に、また井原市芳井町としては北部に位置する。北は高梁市備中町、西は広島県神石郡神石高原町と接し、中心部を成す中心集落地は、高梁市川上町と井原市芳井町に跨っており、両市の複雑な境界線をなす。

参考文献

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  • 赤木誠一 (松毬子) 著 『吉備高原 花の弥高山』 《街の灯・高山市物語》、1988年昭和63年)3月吉日。
  • 赤木誠一 (松毬子) 著 『神山散歩』 《弥高山;高山市;穴門山;杖立》、1994年平成6年)4月吉日。
  • 赤木誠一 (松毬子) 著 『高山市風土記』 《穴門山;弥高山》、1996年(平成8年)10月吉日。
  • 岡山大学教育学部内 地域研究会 編著 『芳井町誌』、芳井町教育委員会内 芳井町誌刊行委員会、1972年(昭和47年)3月31日
  • 川上町教育委員会 (町史編纂委員会) 編著 『川上町史』 《地誌編》、川上町役場、1991年(平成3年)3月31日。
  • 川上町教育委員会 (町史編纂委員会) 編著 『川上町史』 《通史編》、川上町役場、1994年(平成6年)9月30日
  • 富阪晃 著 『歴史散歩 岡山町並み紀行』、山陽新聞社、1999年(平成11年)6月5日

外部リンク

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