コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

常総鉄道キハ11形気動車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
常総鉄道キハ11形気動車
基本情報
運用者 常総鉄道
製造所 梅鉢鉄工所(後の帝國車輛工業)
製造年 1928年9月27日
製造数 2両
運用開始 1927年
運用終了 1937年
引退 キハ11:1934年12月
キハ12:1937年3月
廃車 キハ11:1950年3月
キハ12:1954年4月
投入先 関東鉄道
主要諸元
軌間 1067 mm(狭軌
車両定員 40人
テンプレートを表示

常総鉄道キハ11形気動車(じょうそうてつどう キハ11がたきどうしゃ)は、常総鉄道関東鉄道の前身で、現在の常総線を運営した)が1928年昭和3年)に導入した気動車である。また、この車両は常総鉄道初の内燃動力車で、竜崎鉄道に次ぐ早い時期の導入であった[1]

概要・運用

[編集]

常総鉄道は、1913年大正2年)の路線開業以来蒸気機関車を主力としてきたが、旅客輸送面でのさらなる効率化を目指すため、ガソリン動車の導入を計画していた。そして1928年2月23日にガソリン動車併用についての鉄道大臣の許可を得て[2]大阪府堺市梅鉢鉄工所でキハ11・12の2両が製造された。同年9月27日には竣工届が提出され、運用が開始された。2両の新設費は2万451円だった[1]。この車両の導入によって従来よりスピードアップされ、稼働率も年々上がっていった。その後、キハ11は1934年(昭和9年)12月に上州鉄道に譲渡され同社のキハ3になり、東武鉄道に買収されてからは越生線で運用され、1950年(昭和25年)3月に廃車となった[3]。キハ12は1937年(昭和12年)3月に竜崎鉄道に譲渡され、同年4月にキハ15に改番された。1954年(昭和29年)4月に廃車となった[4]

車両年表

[編集]

キハ11

[編集]
  • 1928年昭和3年)
    • 2月23日 - ガソリン動車併用についての認可。「瓦斯輪動力併用ノ件 認可 鐵道大臣」[2]
    • 下期[5] - 梅鉢鉄工所と車両購入の契約を締結。「自動機客車2輛購入ノ契約ヲ大阪府堺市梅鉢工場ト締結セリ」[1]
    • 8月21日 - 車両設計変更。「瓦斯輪客車設計變更ノ件 認可 鐵道大臣」[6]
    • 9月27日 - 車両竣工。竣工届提出[1]
  • 1934年(昭和9年)
    • 12月 - 上州鉄道に譲渡。同社のキハ3となる[1]
  • 1937年(昭和12年)
    • 1月10日 - 上州鉄道の路線が東武鉄道に譲渡。東武鉄道の車両となる。
  • 1950年(昭和25年)

キハ12

[編集]
  • 1928年昭和3年)
    • 2月23日 - ガソリン動車併用についての認可。「瓦斯輪動力併用ノ件 認可 鐵道大臣」[2]
    • 下期 - 梅鉢鉄工所と車両購入の契約を締結。「自動機客車2輛購入ノ契約ヲ大阪府堺市梅鉢工場ト締結セリ」[1]
    • 8月21日 - 車両設計変更。「瓦斯輪客車設計變更ノ件 認可 鐵道大臣」[2]
    • 9月27日 - 車両竣工。竣工届提出[1]
  • 1937年(昭和12年)
  • 1954年(昭和29年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 『関東鉄道株式会社七十年史』関東鉄道株式会社、1993年3月、86頁。 
  2. ^ a b c d 『常総鉄道株式会社三十年史』1942年5月、263頁。 
  3. ^ a b 『関東鉄道株式五社七十年史』関東鉄道株式会社、1993年3月、87頁。 
  4. ^ a b c 高井薫平『昭和30年代~50年代の地方私鉄を歩く 第6巻 常磐線に沿って(1) 関東鉄道(常総筑波鉄道、鹿島参宮鉄道)』株式会社フォト・パブリッシング、2020年12月5日、138頁。 
  5. ^ 昭和2年度の後半(昭和2年10月~昭和3年3月)
  6. ^ 『常総鉄道株式会社三十年史』1942年5月、264頁。 

参考文献

[編集]
  • 『常総鉄道株式会社三十年史』常総鉄道株式会社 著・出版 1942年(昭和17年)5月
  • 『関東鉄道株式会社七十年史』関東鉄道株式会社 著・出版 1993年(平成5年)3月
  • 『昭和30年代~50年代の地方私鉄を歩く 第6巻 常磐線に沿って(1) 関東鉄道(常総筑波鉄道、鹿島参宮鉄道)』 高井薫平 著 株式会社フォト・パブリッシング 出版 2020年令和2年)12月5日