干潟町
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ひかたまち 干潟町 | |||||
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大原幽学旧宅 | |||||
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廃止日 | 2005年7月1日[1] | ||||
廃止理由 |
新設合併 旭市、干潟町、海上町、飯岡町 → 旭市[2] | ||||
現在の自治体 | 旭市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 千葉県 | ||||
郡 | 香取郡 | ||||
市町村コード | 12348-0 | ||||
面積 | 32.44 km2. | ||||
総人口 |
8,042人 (2005年4月1日) | ||||
隣接自治体 |
八日市場市、旭市、香取郡:山田町、東庄町 海上郡:海上町 | ||||
干潟町役場 | |||||
所在地 |
〒289-0592 千葉県千葉県香取郡干潟町南堀之内10 | ||||
座標 | 北緯35度45分59秒 東経140度37分07秒 / 北緯35.76636度 東経140.61864度座標: 北緯35度45分59秒 東経140度37分07秒 / 北緯35.76636度 東経140.61864度 | ||||
ウィキプロジェクト |
2005年7月1日に(旧)旭市、海上郡海上町・飯岡町と合併し旭市となったため[2]消滅した[1]。
江戸時代に椿の海の干拓[3]によってできた干潟八万石にあった町であり、農協 (JA) の祖、大原幽学記念館がある[4]。
地理
[編集]隣接していた自治体
[編集]歴史
[編集]沿革
[編集]- 1955年(昭和30年)4月10日 - 古城村、中和村、万歳村が合併して発足。
- 1956年(昭和31年)4月15日 - 櫻井地区を東庄町から干潟町へ編入
- 1961年(昭和36年)9月1日 - 東庄町の一部を干潟町へ編入
- 1965年(昭和40年) - 東保育所開設
- 1966年(昭和41年) - 中央保育園開園
- 1967年(昭和42年) - 西保育所開設
- 1974年(昭和49年) - 中央公民館開館
- 1976年(昭和51年) - 学校給食センター開設
- 1982年(昭和57年) - 保険センター開設
- 1985年(昭和60年) - 多目的研修センター開設
- 1986年(昭和61年) - 防災行政無線開始
- 1990年(平成2年) - 大原幽学遺跡史跡公園開園
- 1996年(平成8年) - 大原幽学記念館開館
- 2005年(平成17年)7月1日 - 旭市、海上郡海上町、飯岡町と合併し、改めて旭市を新設'[2]。同日干潟町廃止'[1]。
行政区域変遷
[編集]- 変遷の年表
干潟町町域の変遷(年表) | ||
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年 | 月日 | 旧干潟町町域に関連する行政区域変遷 |
1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行に伴い、以下の村がそれぞれ発足。[5] |
1890年(明治23年) | 10月27日 | 庄内村は改称し中和村になる。 |
1955年(昭和30年) | 4月10日 | 古城村・中和村・萬歳村が合併し干潟町が発足。 |
7月20日 | 神代村は笹川町・橘村・東城村とともに合併し、東庄町が発足。 | |
1956年(昭和31年) | 東庄町の一部(桜井)は干潟町に編入。 | |
2005年(平成17年) | 7月1日 | 干潟町は旭市・海上郡飯岡町・海上町とともに合併し旭市が発足。干潟町は消滅。 |
- 変遷表
干潟町町域の変遷表 | |||||||
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1868年 以前 |
明治元年 - 明治22年 | 明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |
鏑木村 | 古城村 | 古城村 | 昭和30年4月10日 干潟町 |
平成30年7月1日 旭市 |
旭市 | ||
萬力村 | |||||||
秋田村 | |||||||
諸徳寺村 | 明治13年 清和村 |
庄内村 | 明治23年10月27日 中和村に改称 | ||||
松沢村 | |||||||
南堀之内村 | |||||||
長部村 | |||||||
米込村 | |||||||
入野村 | |||||||
萬歳村 | 萬歳村 | 萬歳村 | |||||
関戸村 | |||||||
溝原村 | |||||||
桜井村 | 神代村 の一部 |
神代村の一部 | 昭和30年7月20日 東庄町 昭和31年 干潟町に編入 |
交通
[編集]鉄道
[編集]町内を鉄道は通っていない。最寄り駅は、東日本旅客鉄道(JR東日本)総武本線干潟駅および旭駅。なお、町名と同じ名称の干潟駅は干潟町内にはなく、旭市(2005年合併後は、旭市における旭地区)に属している。
道路
[編集]施設
[編集]- 千葉県東部総合運動場
観光
[編集]- 大原幽学遺跡史跡公園 - 1988年(昭和63年)11月17日に大原幽学ゆかりの農家・旧林家住宅を復元[6][7]。1990年(平成17年)5月10日に周辺約4ヘクタールを整備して大原幽学遺跡史跡公園として開園した[8]。
脚注
[編集]- ^ a b c “半世紀の歴史に幕 干潟町で閉町式典 きょうから新「旭市」に 旧干潟町は旭署管内に 県警、合併で管轄変更 功労者に感謝状も”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 朝刊 16. (2005年7月1日)
- ^ a b c “新「旭市」がスタート 人口7万、世帯数2万 新市長選 24日告示、31日投開票 行事、手続き目白押し 農業生産額は県内1位に”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 朝刊 16. (2005年7月2日)
- ^ 椿の海は、いわば自然にできたダムで、海面とはある程度標高差があり、新川(刑部川)を掘削し溜まっていた水を太平洋に流すことによって干拓した。このため、新川が開削された時轟音が一里四方に響き渡ったという。また開発に反対があったというのは、元々九十九里平野の北東側はこの自然のダムによる水利に恵まれ安定した稲作地帯であり、干拓以前からの住民にとってはこの恵まれた水を奪われることになるからである(房総の歴史 - 江戸時代 - 新田開発)。
- ^ 大原幽学記念館ホームページ
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 より
- ^ “農村指導者・幽学ゆかりの旧林家住宅、きょう復元式”. 毎日新聞 (毎日新聞社): pp. 朝刊 25. (1988年11月17日)
- ^ “江戸期の農村改革者―幽学のモデル農家復元 干潟できょうテープカット”. 読売新聞 (読売新聞社): pp. 朝刊 25. (1988年11月17日)
- ^ “幽学しのぶ公園完成 干潟町史跡周辺約4ヘクタール”. 読売新聞 (読売新聞社): pp. 朝刊 25. (1990年5月11日)