平井伯昌
平井 伯昌(ひらい のりまさ、1963年5月31日 - )は、日本の水泳指導者[1]。東京都出身。東洋大学教授、同大学体育会水泳部監督。東京スイミングセンターヘッドコーチ。日本水泳連盟理事・前競泳委員長、前競泳日本代表ヘッドコーチ。
経歴
[編集]小学校低学年時から東京スイミングセンターで水泳を始める[2]。早稲田中学校・高等学校[3]を経て、1982年早稲田大学社会科学部に入学[3]。在学中は水泳部に所属した[3]。
1984年のロサンゼルスオリンピックで日本選手の大麻吸引問題が発覚したことがコーチとなるきっかけとなった[4]。
大学卒業後は東京スイミングセンターへ入社し、水泳指導者になる[1]。
アテネオリンピック・北京オリンピック
[編集]2004年のアテネオリンピック日本選手団で北島康介、中村礼子のコーチを務め、2008年の北京オリンピック日本選手団では水泳日本代表コーチに就任[1]。東京スイミングセンターで北島康介、中村礼子を指導し、北島が男子100m平泳ぎ、男子200m平泳ぎの2種目で金メダルを獲得し、中村が女子200m背泳ぎで銅メダルを獲得するなどメダリストたちを育て上げる[1]。
ロンドンオリンピック
[編集]北京オリンピック以降は上田春佳、加藤ゆか、寺川綾を指導[5]。
2009年3月、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了。同年6月に司法書士の女性と結婚。
2012年ロンドンオリンピック競泳日本代表ヘッドコーチを兼務。寺川綾は女子100m背泳ぎと女子400mメドレーリレーの両方で銅メダルを獲得した。この女子400mメドレーリレーでバタフライを泳いだ加藤ゆかと自由形を泳いだ上田春佳も平井が指導していた[6]。2012年11月に日本水泳連盟との契約を2016年リオデジャネイロオリンピック終了まで延長。
東洋大学教授
[編集]2011年4月以降、東洋大学水泳部にボランティアとしてコーチ参加を行った。2013年4月に東洋大学法学部准教授 兼 水泳部監督に就任[1]。萩野公介をはじめ、内田美希、宮本靖子、地田麻未、大橋悠依などの指導に当たる。2017年4月に同教授に昇格。
競泳委員長
[編集]2015年6月、日本水泳連盟理事に就任し、競泳委員長を兼務する[7]。
2021年6月、日本水連競泳委員長が梅原孝之に交替。
2021年7月、東京五輪をもって日本代表競泳ヘッドコーチを退任。
2024年3月、、日本代表競泳ヘッドコーチに復帰
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e “平井伯昌”. デジタル版日本人名大辞典+Plus. 2015年9月29日閲覧。
- ^ “講師プロフィール 平井伯昌”. 森永エンゼルカレッジ. 2015年10月1日閲覧。
- ^ a b c “先輩に乾杯! あの北島康介を育てた…水泳コーチ 平井伯昌さん”. 早稲田ウィークリー (早稲田大学学生部). (2003年11月20日) 2015年9月30日閲覧。
- ^ 折山淑美 (2013年7月19日). “平井がコーチを目指した契機、そして大学に戻った理由。”. Sports Graphic Number. 2015年9月29日閲覧。
- ^ 高島三幸 (2013年6月3日). “伸び悩む女子選手に壁を破らせるには 競泳・平井コーチ:名将に学ぶ「女子パワー」の引き出し方”. 日経 WOMAN SMART キャリア. 2020年8月22日閲覧。 “平井もまた競泳日本代表ヘッドコーチに就任し、ロンドン五輪に向けて始動していた。新生チーム平井の主なメンバーは小学6年の時から指導する自由形日本記録保持者の上田春佳、2009年1月に自らチーム平井の門を叩いたアテネ五輪背泳ぎ8位の寺川、平井が声をかけて練習を見ることになったバタフライ北京五輪代表の加藤。(中略)この“3人娘”たち”
- ^ 高島三幸 (2013年6月3日). “伸び悩む女子選手に壁を破らせるには 競泳・平井コーチ:名将に学ぶ「女子パワー」の引き出し方(4頁)”. 日経 WOMAN SMART キャリア. 2020年8月22日閲覧。 “上田にとってそれは寺川と加藤の存在であり、ともに成長していく同志のような関係だ。それぞれの結果が出始めた1年ほど前からは一緒にメドレーリレーでメダルを目指そうと気持ちの足並みも揃い始めた。(中略)3人が一緒に出場できるメドレーリレーならメダル獲得という目標を掲げられる。(中略)そして、ロンドン五輪。女子メドレーリレーは、シドニー五輪以来の12年ぶりの銅メダルを獲得した。”
- ^ 競泳委員会新体制、平井伯昌氏が競泳委員長に就任
- ^ “平井伯昌コーチイトマン特別コーチに就任”. イトマンスイミングスクールの取り組み. 2020年8月22日閲覧。 “2016年5月には民間初の五輪仕様競技用プール「AQIT(アキット)」が完成し、(中略)また、競泳日本代表ヘッドコーチである平井伯昌(ひらいのりまさ)コーチがイトマン特別コーチに就任しました。”
- ^ “伊藤華英(元競泳五輪代表)<後編>「19歳が競技人生のターニングポイント」”. スポーツコミュニケーションズ (2017年5月25日). 2020年8月22日閲覧。 “平井先生には代表合宿などで教わりました。平井先生は鈴木先生のことをすごく尊敬していたので、いいコンビでした。平井先生が悩んだ時は鈴木先生に相談したりしてコミュニケーションをとっていました。”
- ^ 高島三幸 (2013年4月25日). “競泳日本ヘッドコーチ・平井伯昌に学ぶ「結果を出し続ける人の育て方」”. SportsNavi. 2020年8月22日閲覧。 “20代のころは、鈴木大地を育てたセントラルスポーツの鈴木陽二の元に丁稚(でっち)奉公のように押しかけ、練習を手伝いながら、「鈴木先生がどんな考えでこの指示をしたのかなどを、ひたすら考え続けた」。”