広島市立千田小学校
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広島市立千田小学校 | |
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北緯34度22分46秒 東経132度27分35秒 / 北緯34.379556度 東経132.459667度座標: 北緯34度22分46秒 東経132度27分35秒 / 北緯34.379556度 東経132.459667度 | |
過去の名称 |
広島市立千田尋常高等小学校 広島市立千田国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 広島市 |
設立年月日 | 1924年4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B134210000199 |
所在地 | 〒730-0053 |
広島県広島市中区東千田町二丁目1番34号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
広島市立千田小学校(ひろしましりつ せんだしょうがっこう)は、広島県広島市中区東千田町二丁目にある市立小学校。
概要
[編集]1924年(大正13年)創立の市内でも古い小学校。
1945年(昭和20年)広島市への原子爆弾投下により被災。当時の校舎の一部が被爆遺構として校内に残っており、著名な被爆樹木「被爆アオギリ」の2世樹も移植されている。現在市内小中学校で歌われている「アオギリのうた」は当校出身者が作詞作曲したもの。
沿革
[編集]- 1924年(大正13年)4月1日 - 「広島市立千田尋常高等小学校」として開校。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 「千田国民学校」と校名変更。
- 1945年(昭和20年)8月6日 - 原爆投下により、教師3名、児童41名が犠牲となる。
- 1945年(昭和20年)9月1日 - 残留児童の授業を再開する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により「広島市立千田小学校」に改称。
- 1963年(昭和38年)11月6日 - 環境緑化全国コンクールに入選。
- 1980年(昭和55年)4月23日 - 広島赤十字・原爆病院小児科に病院内学級を開設する。
校内の被爆遺構
[編集]画像外部リンク | |
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アメリカ国立公文書記録管理局が所有する米軍撮影写真。 | |
Hiroshima aerial A3374千田町から北西方向を撮影。写真中央下、水路(平田屋川)の上方に面した空地が当時の千田国民学校。施設がほぼ壊滅しているのが分かる。 |
校内にある小動物飼育舎は、「千田国民学校」時代の1945年8月6日、原爆に被災して鉄骨のみが焼け残った講堂(1929年竣工)の遺構を利用し、1956年(昭和31年)飼育舎として作り替えられた被爆建造物である。
1976年(昭和51年)8月3日、校内に千田国民学校原爆犠牲者追憶碑を建立した。
校内にある被爆樹木であるイチョウ・カイヅカイブキなどが広島市の「被爆樹木リスト」に登録されている。また校内緑化に伴い他所から移植した被爆樹木・二世樹木も存在する。
その他に、国旗掲揚台、建物の土台、東門門柱などが多数保存されている。
学区
[編集]進路
[編集]卒業生は基本的に広島市立国泰寺中学校に進学する。
交通
[編集]著名な関係者
[編集]- 出身者
- 渡辺正 - サッカー日本代表、監督、メキシコシティオリンピック銅メダリスト
- 大石信幸 - サッカー日本代表
- 宮本輝紀 - サッカー日本代表、メキシコシティオリンピック銅メダリスト
- 岡光龍三 - サッカー日本代表候補