弘前市立大成小学校
表示
弘前市立大成小学校 | |
---|---|
北緯40度35分40.3秒 東経140度28分34.5秒 / 北緯40.594528度 東経140.476250度座標: 北緯40度35分40.3秒 東経140度28分34.5秒 / 北緯40.594528度 東経140.476250度 | |
過去の名称 |
大成小学 大成尋常小学校 弘前市大成尋常小学校 弘前市第一大成国民学校 弘前市立第一大成小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 弘前市 |
併合学校 | 第二大成小学校 |
設立年月日 |
1885年1月8日(創起) 2002年4月1日(統合開校) |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B102210000678 |
所在地 | 〒036-8185 |
青森県弘前市大字御幸町13番地1号 | |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
弘前市立大成小学校(ひろさきしりつ たいせいしょうがっこう)は青森県弘前市大字御幸町にある公立小学校。本項では、弘前市立第二大成小学校の沿革についても触れる。
沿革
[編集]- 1885年(明治18年)1月8日 - 蓬莱小学(土手町)と敬業小学(北川端町)及び知類小学(松森町)が合併し、大成小学として発足。
- 1886年(明治19年)8月 - 大成尋常小学校と改称。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 弘前市制実施により、弘前市大成尋常小学校と改称。
- 1890年(明治23年)
- 1891年(明治24年)
- 1902年(明治35年)3月25日 - 第二大成小学校(男子のみ収容)を分離し、第一大成尋常小学校(女子のみ収容)と改称。
- 1909年(明治42年)4月27日 - 学校に電灯が取り付けられ、同日から点灯。ただし、電灯は、宿直室と小使室のみ。
- 1911年(明治44年)1月21日 - 通学区域改正により、和徳小学校の一部学区(瓦町一帯)を本校に編入[1]。
- 1914年(大正3年)
- 1917年(大正6年)5月25日 - 第二大成小学校類焼の為、同校4学年以下の児童を本校に収容し、午前・午後の2部授業を実施。
- 1918年(大正7年)1月16日 - 第二大成小学校新校舎が竣工し、本校に収容された第二大成小学校児童が還る。
- 1925年(大正14年)4月 - 本校に電話架設。
- 1927年(昭和2年)4月 - 校歌「大成の歌」制定。
- 1928年(昭和3年)
- 1933年(昭和8年)10月30日 - 創立五十周年記念式典記念。同日、同窓会より寄贈された、校旗・大国旗贈呈式と国旗掲揚式・校旗樹立式挙行。
- 1934年(昭和9年)11月22日 - 欠食児童に対し、学校給食実施。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、弘前市第一大成国民学校と改称。
- 1943年(昭和18年)11月12日 - 校内放送設備を完備。
- 1947年(昭和22年)
- 1949年(昭和24年)
- 1954年(昭和29年)
- 1962年(昭和37年)
- 1967年(昭和42年)6月7日 - 児童の交通安全対策により、代官町側と入口を閉鎖。
- 1971年(昭和46年)7月27日 - 校舎改築第一期工事の杭打ち作業開始。
- 1972年(昭和47年)
- 1973年(昭和48年)
- 1974年(昭和49年)
- 1975年(昭和50年)
- 1979年(昭和53年)12月11日 - 全教室の暖房が石油暖房に切り替え。
- 2002年(平成14年)4月1日 - 児童数の減少により第二大成小学校と統合。第二大成小学校跡地を大成小学校とするが、新校舎完成までの間は引き続き第一大成小学校校舎を使用。
- 2004年(平成16年) - 新校舎完成[4]。
- 2017年(平成29年)3月24日 - エレベーターを設置[5]。
- 2022年(令和4年)10月22日 - 創立20周年記念式典挙行[6]。
第二大成小学校の沿革
[編集]- 1901年(明治34年) - 品川町71番地[7]に校舎建築。
- 1902年(明治35年)
- 1907年(明治40年)
- 1916年(大正5年) - 校章制定。
- 1917年(大正6年)
- 1918年(大正8年)
- 1924年(大正13年) - 暖房が、火鉢から薪ストーブに切り替え。
- 1925年(大正14年)4月 - 学校に電話架設。
- 1928年(昭和3年)
- 1929年(昭和4年)12月 - 仮校舎として使用していた富田小学校と製紙会社から、新校舎に移転。
- 1930年(昭和5年)
- 1932年(昭和7年)9月 - 欠食児童に対し、学校給食実施。
- 1935年(昭和10年) - 青年訓練所を廃止し、第二大成青年学校を併設。
- 1941年(昭和16年)
- 4月1日 - 国民学校令により、弘前市第二大成国民学校と改称。
- 10月 - 皇紀2600年記念事業として、給食室完成。
- 1944年(昭和19年) - 米不足により、給食が中止される。
- 1947年(昭和22年)
- 4月1日 - 学校教育法(旧法)施行により、弘前市立第二大成小学校と改称。
- 10月 - ミルク給食開始。
- 1948年(昭和23年)1月 - 第一養護学級設置。
- 1951年(昭和26年)
- 1月 - 小講堂屋上に2教室増築。
- 3月 - 給食室一部改造、完全給食に移行。
- 1952年(昭和27年)
- 日付不明 - 創立五十周年記念式典挙行。
- 10月30日 - 校歌「大成の華」制定。
- 1958年(昭和33年)4月 - 第二養護学級(精薄児学級)設置。
- 1967年(昭和42年)
- 1968年(昭和43年)11月 - 「ことばの教室」が、特殊学級として認可される。
- 1969年(昭和44年)
- 7月 - 校庭に足洗場2ヵ所設置。
- 12月 - 学校使用便器全て取り替え。
- 1970年(昭和45年)9月 - 石油ストーブ設置(4台)。
- 1971年(昭和46年)
- 2月 - 「難聴学級教室」工事開始。
- 4月 - 「難聴児学級」開設。
- 1973年(昭和48年)5月 - 学校火災(小講堂屋上2教室)。
- 1975年(昭和50年)5月 - トイレの水洗化完了。
- 1976年(昭和51年)
- 3月 - 卒業生より、紅白幕1張寄贈される。
- 12月 - 特殊学級用水洗トイレ工事完了。
- 2002年(平成14年)3月31日 - 第一大成小学校との統合により閉校。
- 統合校は第二大成小学校跡地に新築。新校舎完成までの間は第一大成小学校校舎を使用。
学区
[編集]鍛冶町、新鍛冶町、北川端町、土手町、代官町の一部、上瓦ケ町、中瓦ケ町、南瓦ケ町、北瓦ケ町、坂本町、山下町、徒町、田代町、西川岸町、表町、大町1・2・3丁目、駅前町、駅前3丁目の一部、南大町1丁目の一部、南大町2丁目の一部、城東1丁目の一部、桶屋町、銅屋町、南川端町、山道町、住吉町、富田全域、吉野町、紙漉町、桜林町、富士見町、寒沢町、品川町の一部、御幸町
アクセス
[編集]参考資料
[編集]- 『大成百年史』(弘前市立大成小学校創立百周年記念事業協賛会・1984年10月8日発行)「大成百年史年表」588頁~651頁の「年表」
- 『大成の華かぐわし 第二大成小学校八十年史』(創立八十周年記念事業協賛会・1982年10月30日発行)「第七章 教育年表」224頁~303頁「第二大成小学校 年表」
- 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)
- 714頁「学校沿革 小学校 第一大成小学校」
- 715頁「学校沿革 小学校 第二大成小学校」
- 『東奥年鑑平成16年版 記録編』(東奥日報社・2003年9月1日発行)205頁「市町村の姿/弘前市 主なできごと」
脚注
[編集]- ^ 『和徳小学校沿革史』(和徳小学校・1975年6月8日発行)615~639頁「和徳小学校 沿革」
- ^ a b 『新編弘前市史 年表・索引編』(弘前市・2006年2月14日発行)160頁「昭和 三(一九二八)教育・文化・風俗・宗教・スポーツ等」
- ^ 『新編 弘前市史 年表・索引編』(弘前市・2006年2月14日発行)197頁「昭和四九 (一九七四) 教育・文化・風俗・宗教・スポーツ等」より。これに「四月十八日、市立第一大成小学校、弘前市立病院内に『ひまわり学級』開設。」と記載あり。
- ^ 弘前市学校施設個別施設計画 (PDF) - 弘前市・2020年3月
- ^ 弘前市教育年表 (PDF) - 弘前市教育委員会
- ^ 150周年向陽など津軽3小で節目祝う - 陸奥新報Web版・2022年10月23日配信(これに本校に関する記事もあり)
- ^ a b 『新編弘前市史 通史編4(近・現代1)』(弘前市企画部企画課・2005年10月17日発行)「第2章 明治後期の弘前・第五節 教育の発展と充実・一、初等教育」の417頁~418頁「第二大成尋常小学校の創設」より参照。
- ^ 1901年(明治34年)3月末時点の大成尋常小学校の児童数は764名で、弘前市内他の尋常小学校(朝陽(569名)、和徳(423名)、時敏・城西(共に404名))では、一番児童数が多かった。出典:『新編弘前市史 通史編4(近・現代1)』(弘前市企画部企画課・2005年10月17日発行)「第2章 明治後期の弘前・第五節 教育の発展と充実・一、初等教育」の417頁「第二大成尋常小学校の創設 表53 弘前市内小学校児童数(明治33年度末現在)」