弘前市立朝陽小学校
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弘前市立朝陽小学校 | |
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北緯40度35分53秒 東経140度27分40秒 / 北緯40.598083度 東経140.461028度座標: 北緯40度35分53秒 東経140度27分40秒 / 北緯40.598083度 東経140.461028度 | |
過去の名称 |
一番小学[1] 白銀小学 朝陽小学 朝陽小学校 中津軽郡朝陽尋常小学校 青森県弘前市朝陽尋常小学校 青森県弘前市朝陽国民学校 青森師範学校附属国民学校 青森師範学校附属小学校 弘前市立朝陽小学校(旧) 弘前市立第一朝陽小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 弘前市 |
設立年月日 | 1873年10月1日 |
創立記念日 | 10月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B102210000605 |
所在地 | 〒036-8216 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
弘前市立朝陽小学校 (ひろさきしりつ ちょうようしょうがっこう)は、青森県弘前市大字在府町にある公立小学校。
概要
[編集]創立は1873年(明治6年)10月で弘前市内で最も長い歴史を持つ小学校である。学区は弘前市の中心部に近い市役所付近からおよそ2km南西にあるりんご公園付近までの範囲である。その学区内には、長勝寺を始めとした禅林街や弘前大学本町キャンパス(医学部など)、弘前大学医学部附属病院などがある。2019年(令和元年)5月1日時点の児童数157名で、市内では中規模の小学校である。
沿革
[編集]- 1873年(明治6年)10月1日 - 本町1丁目角32番地にあった今村九左衛門の家屋を仮校舎とし、私立東奥義塾附設の小学科生徒を収容し、弘前市内で最初の小学校「一番小学」として創立[1]。
- 1874年(明治7年)2月1日 - 上白銀町1番地元西館字膳家屋(現在の市役所付近)に移転。白銀小学と改称。
- 1878年(明治11年)7月3日 - 本町2番地(現在の弘前税務署付近)に校舎新築し、朝陽小学と改称。
- 1882年(明治15年)1月 - 朝陽小学校と改称し、初等科と中等科に編成。
- 1886年(明治19年)8月 - 朝陽尋常小学校と改称。
- 1887年(明治20年) - 中津軽郡朝陽尋常小学校と改称。
- 1889年(明治22年)
- 1913年(大正2年)12月 - 御真影奉置所完成。弘前の学校はこれに倣った。
- 1917年(大正6年)2月7日 - 文部省(現:文部科学省)より、校歌の許可が出る(制定)。
- 1923年(大正12年) - 創立50周年記念事業として、校章制定。
- 1924年(大正13年)3月11日 - 校章の制作完了し、正式に使用。
- 1935年(昭和10年)10月21日 - 在府町に校舎新築移転し、落成式挙行。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、青森県弘前市朝陽国民学校と改称。
- 1944年(昭和19年)10月23日 - 朝陽国民学校校舎焼失[2]。
- 1945年(昭和20年)11月 - 青森師範が戦災により被害を受けた事から、時敏校に移転、時敏の1学年~4学年児童、本校で2部授業を行った。
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 青森師範学校附属国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 弘前市立朝陽小学校(旧)と改称。
- 1949年(昭和24年)
- 1951年(昭和26年)12月25日 - 在府町36番地に校舎新築竣工し、同日移転。
- 1952年(昭和27年)1月14日 - 落成式挙行。
- 1953年(昭和28年)10月1日 - 創立80周年記念式典挙行。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 市内小学校より募集編成の弘前市立特殊学級1学級を開設する(昭和33年3月まで)。
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 特殊学級1学級を開設。
- 1963年(昭和38年)
- 1967年(昭和42年)
- 1968年(昭和43年)10月9日 - 南中庭・花壇完成(緑化2年度)。
- 1969年(昭和44年)11月27日 - 南側観察園完成(緑化事業完了)。
- 1973年(昭和48年)
- 1977年(昭和52年)8月5日 - 津軽一円を襲った集中豪雨により水害が発生し、本校が避難場所となる。本校での被害児童53名。
- 1978年(昭和53年)8月9日 - 屋根トタン葺替え工事全校舎完了。
- 1982年(昭和57年)3月15日 - 16教室のアルミサッシ戸取り付け工事完了。
- 1983年(昭和58年)
- 1985年(昭和60年)
- 1986年(昭和61年)
- 1986年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)
- 1989年(平成元年)
- 1990年(平成2年)11月17日 - 体育館裏に防火水槽設置。
- 1991年(平成3年)9月28日 - 台風19号により、体育館軒・防球ネットに被害。臨時休校となる。
- 1992年(平成4年)9月 - 学校五日制実施。
- 1993年(平成5年)
- 1994年(平成6年)3月9日 - 旧校旗額取り付け(平成5年度卒業生より)。
- 1995年(平成7年)9月30日 - 国旗掲揚塔の移転完了。
- 1996年(平成8年)8月12日 - 校庭排水工事完了。
- 1997年(平成9年)3月7日 - 境界土塁工事完了。
- 1998年(平成10年)6月19日 - PTAより、体育館ステージ幕が寄贈される。
- 1999年(平成11年)11月26日 - 平成11年度野球部後援会会長より、 野球部部室が寄贈される。
- 2000年(平成12年)
- 2001年(平成13年)2月6日 - ワークスペースへ本棚設置(平成12年度卒業生より寄贈)。
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)
- 2004年(平成16年)6月2日 - 初めての「不審者対策避難訓練」実施。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)
- 2008年(平成20年)10月17日 - 体育館強化ガラス入れ替え完了。
- 2009年(平成21年)1月8日 - 児童・職員の下足箱設置。
- 2011年(平成23年)
- 2013年(平成25年)
- 2014年(平成26年)
- 2015年(平成27年)
- 2016年(平成28年)8月18日 - グラウンド東側にスキー山造成。
- 2017年(平成29年)8月7日 - PTAより、各普通教室に天井付扇風機2台ずつ設置。
- 2018年(平成30年)2月20日 - 普通教室カーテン遮光カーテン取替。
- 2019年(平成31年)
- 2020年(令和2年)
- 1月22日 - 各教室及び音楽室エアコン設置に係る工事開始(3月25日設置工事完了)。
- 3月2日 - 新型コロナウイルス感染症対策のため、3月3日から25日まで、臨時休校とする措置を採った(17日と25日は出校日とした)。
- 3月20日 - 卒業証書授与式を挙行したが、新型コロナウイルス感染症対策のため、卒業生とその保護者及び職員のみの参加となった。
- 3月25日 - 修了式と離任式及び在校生へ後期通知表配付。なお、新型コロナウイルス感染症対策のため、修了式は放送で行った。
- 3月26日 - 難聴学級設置に伴う教室移動のため、新4学年教室へエアコン設置工事開始(30日設置工事完了)。
- 6月 - ホームページ開設。
- 2023年(令和5年)
教育目標
[編集]- 生きる力を身につけ、朝陽 (あさひ)のようにきらきら輝く子
- あかるく元気な子
- さいごまでがんばる子
- 心ひろがる子
学区
[編集]本町、元長町、元大工町、上白銀町、塩分町、森町、覚仙町、在府町の一部、相良町、茂森町、西茂森全域、茂森新町全域、南塘町の一部、清水富田 (字寺沢)、常盤坂1~4丁目
出身著名人
[編集]石坂洋次郎(小説家)[5] - 校門脇に石坂の石碑が建っている
交通
[編集]参考資料
[編集]注)下記書籍と学校ホームページ内の沿革で異なる点などがありますが、学校ホームページ内の記述を優先しました。もし、正確な情報などお持ちの方の加筆・修正をお願いします。 |
- 『弘前市教育史 別巻』(弘前市教育委員会・1979年3月12日発行)155頁「朝陽小学校」
- 『朝陽小学校創立130周年記念誌「朝陽」』(弘前市立朝陽小学校百三十周年記念事業協賛会・2003年9月28日発行)「130年のあゆみ 朝陽小学校」49頁~55頁の「あゆみ(年表)」(1978年以降の沿革のみ参照)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 朝陽小学校ホームページ
- 朝陽小学校沿革 (PDF) - 上記ホームページ内