茂森新町
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茂森新町 | |
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北緯40度35分42.67秒 東経140度27分8.16秒 / 北緯40.5951861度 東経140.4522667度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 青森県 |
市町村 | 弘前市 |
人口 | |
• 合計 | 1,821人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
036-8261 |
市外局番 | 0172[2] |
ナンバープレート | 弘前 |
茂森新町(しげもりしんちょう)は、江戸期から現在にかけての青森県弘前市の地名。茂森新町一丁目から茂森新町四丁目まである。郵便番号は036-8261。
地理
[編集]青森県道28号岩崎西目屋弘前線が横断し、県道沿いであることから旧相馬村地域・西茂森禅林街への入口でもある。町域の北部は西茂森、東部は茂森町、南東部は新寺町、南部は樹木、西部は清水富田字寺沢・常盤坂に接する。
歴史
[編集]- 慶安2年 - 弘前城築城当初には町割りがされず町名は無いが、45軒の屋敷割りがされ、煙草作りの他に5人の町人が居住(弘前古御絵図)。
- 万治2年 - 茂森派町として北側に10軒、南側に14軒の町家が並ぶ(津軽弘前古絵図)。
- 寛文13年 - 重盛御派町とあり、町家が44軒(弘前中惣屋敷絵図)。
- 天和2年 - 現在の町域、町並みを形成(国日記)。
- 享保4年頃 - 町家87と、津軽主膳の下屋敷2ヶ所があり、屋敷地内に14軒の屋敷がある。この下屋敷付近に制札所があり、城下南西の入口として枡形が築かれた(町屋数円)。
- 寛政12年 - 北側が漆畑で、町家123(分間弘前大絵図)。
- 天保8年頃 - 町家が132あり、町はずれが千本杉と呼ばれた(弘前絵図)。
- 明治以降 - 変わらず、住宅街で、商家雑居の町である。旧相馬村(現在は合併により弘前市)・中津軽郡西目屋村からの入口として商店がにぎわいを見せたが、自動車交通の発展とともに商業が振るわず、近年は小規模の商店のほかは住宅・市営団地で構成される。
沿革
[編集]- 江戸期 - 弘前城下の一町。
- 明治初年~明治22年 - 弘前市を冠称。
- 1889年(明治22年) - 弘前市に所属。
- 1973年(昭和48年) - 一部が西茂森二丁目になる。
- 現在 - 残部の清水富田・富田・古堀新割町・西茂森町・常盤坂の各一部で茂森新町を起立。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)6月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
茂森新町一丁目 | 314世帯 | 581人 |
茂森新町二丁目 | 147世帯 | 280人 |
茂森新町三丁目 | 129世帯 | 310人 |
茂森新町四丁目 | 275世帯 | 650人 |
計 | 865世帯 | 1,821人 |
施設
[編集]医療
[編集]- 沢田内科医院
商業
[編集]- 花篭センター
- 弘前盛篭センター
- 城東盛篭センター
公共
[編集]- 茂森新町公民館
- 寺沢川茂森新町緑地
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
大字 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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茂森新町一丁目 | 全域 | 弘前市立朝陽小学校 | 弘前市立第四中学校 |
茂森新町二丁目 | 全域 | ||
茂森新町三丁目 | 全域 | ||
茂森新町四丁目 | 全域 |
交通
[編集]茂森南口、山観通り、茂森新町(弘前バスターミナル - 相馬・藍内・ロマントピア線、他)停留所。
脚注
[編集]- ^ a b “オープンデータひろさき 弘前市 町名別人口・世帯数_平成29年”. ひろさき未来戦略研究センター (2017年6月1日). 2017年6月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
参考文献
[編集]角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)
西茂森 | ||||
清水富田字寺沢・常盤坂 | 茂森町 | |||
茂森新町 | ||||
樹木 | 新寺町 |