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茂森新町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 青森県 > 弘前市 > 茂森新町
茂森新町
茂森新町の位置(青森県内)
茂森新町
茂森新町
茂森新町の位置
北緯40度35分42.67秒 東経140度27分8.16秒 / 北緯40.5951861度 東経140.4522667度 / 40.5951861; 140.4522667
日本の旗 日本
都道府県 青森県
市町村 弘前市
人口
2017年(平成29年)6月1日現在)[1]
 • 合計 1,821人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
036-8261
市外局番 0172[2]
ナンバープレート 弘前

茂森新町(しげもりしんちょう)は、江戸期から現在にかけての青森県弘前市の地名。茂森新町一丁目から茂森新町四丁目まである。郵便番号は036-8261。

地理

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青森県道28号岩崎西目屋弘前線が横断し、県道沿いであることから旧相馬村地域・西茂森禅林街への入口でもある。町域の北部は西茂森、東部は茂森町、南東部は新寺町、南部は樹木、西部は清水富田字寺沢常盤坂に接する。

歴史

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  • 慶安2年 - 弘前城築城当初には町割りがされず町名は無いが、45軒の屋敷割りがされ、煙草作りの他に5人の町人が居住(弘前古御絵図)。
  • 万治2年 - 茂森派町として北側に10軒、南側に14軒の町家が並ぶ(津軽弘前古絵図)。
  • 寛文13年 - 重盛御派町とあり、町家が44軒(弘前中惣屋敷絵図)。
  • 天和2年 - 現在の町域、町並みを形成(国日記)。
  • 享保4年頃 - 町家87と、津軽主膳の下屋敷2ヶ所があり、屋敷地内に14軒の屋敷がある。この下屋敷付近に制札所があり、城下南西の入口として枡形が築かれた(町屋数円)。
  • 寛政12年 - 北側が漆畑で、町家123(分間弘前大絵図)。
  • 天保8年頃 - 町家が132あり、町はずれが千本杉と呼ばれた(弘前絵図)。
  • 明治以降 - 変わらず、住宅街で、商家雑居の町である。旧相馬村(現在は合併により弘前市)・中津軽郡西目屋村からの入口として商店がにぎわいを見せたが、自動車交通の発展とともに商業が振るわず、近年は小規模の商店のほかは住宅・市営団地で構成される。

沿革

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  • 江戸期 - 弘前城下の一町。
  • 明治初年~明治22年 - 弘前市を冠称。
  • 1889年(明治22年) - 弘前市に所属。
  • 1973年昭和48年) - 一部が西茂森二丁目になる。
  • 現在 - 残部の清水富田・富田・古堀新割町・西茂森町・常盤坂の各一部で茂森新町を起立。

世帯数と人口

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2017年(平成29年)6月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
茂森新町一丁目 314世帯 581人
茂森新町二丁目 147世帯 280人
茂森新町三丁目 129世帯 310人
茂森新町四丁目 275世帯 650人
865世帯 1,821人

施設

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医療

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  • 沢田内科医院

商業

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  • 花篭センター
  • 弘前盛篭センター
  • 城東盛篭センター

公共

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  • 茂森新町公民館
  • 寺沢川茂森新町緑地

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。

大字 番地 小学校 中学校
茂森新町一丁目 全域 弘前市立朝陽小学校 弘前市立第四中学校
茂森新町二丁目 全域
茂森新町三丁目 全域
茂森新町四丁目 全域

交通

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茂森南口、山観通り、茂森新町(弘前バスターミナル - 相馬・藍内・ロマントピア線、他)停留所。

脚注

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  1. ^ a b オープンデータひろさき 弘前市 町名別人口・世帯数_平成29年”. ひろさき未来戦略研究センター (2017年6月1日). 2017年6月18日閲覧。
  2. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。

参考文献

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角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)