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形原藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

形原藩(かたのはらはん、かたはらはん)は、江戸時代初期に三河国宝飯郡形原(現在の愛知県蒲郡市形原町)を拠点として存在していた[1]。発祥の地を知行していた大身旗本の形原松平家が、1618年に関東地方で加増を受けたために大名に列したものであるが、翌年には転封したために藩(大名領)として存続したのはごく短期間であった。

藩史

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前史

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形原松平家松平氏の一族で、松平信光の子・松平与副が宝飯郡形原に移り住んだことに始まるとされる家である[2]。徳川家康のころの当主は松平家忠家信父子で、家忠が天正10年(1582年)に36歳で死去すると、家忠の弟の松平家房が家信(永禄8年(1565年)生まれ)の軍代を務めていた[3]

天正18年(1590年)、徳川家康が関東に移されると、家信もこれに従って移転した。関東に移る直前の松平家信の領分は2250石とされるが[4]、関東移転後は上総国五井(現在の千葉県市原市五井)で5000石を領した[5]

形原松平家の復帰、立藩・廃藩

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関ケ原の合戦後の慶長6年(1601年)、家信は旧領である三河形原に5000石を与えられて五井から移転した[5]。このときの家信の領地は、宝飯郡形原村など13か村[注釈 1]であり[4][6]、かつての形原城を陣屋[注釈 2]とした。

元和4年(1618年)9月、家信は御留守居に就任するとともに、安房国長狭郡[注釈 3]において5000石を加増されて1万石の大名となり[5][4]、形原藩を立藩した。藩政は嫡男の康信[注釈 4]と、城代の松平家房[注釈 5]に委ねられていたという[4]

元和5年(1619年)9月、家信は摂津高槻藩2万石に加増移封された[9]。これにより形原藩は廃藩となった[4]

後史

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三河国の13か村はいったん幕府領となったが[4]、同年末には松平清直長沢松平家)に与えられた[4][6]。松平清直は形原に陣屋[注釈 6]を置く5000石の交代寄合となったが[4]、延宝元年(1673年)に3代目の松平信実が無嗣のまま没し断絶した[6][注釈 7]。その後、形原村は幕府領(代官支配地)・旗本領などとなったが[6]、享保年間に巨勢至信が宝飯郡に知行地を与えられ、形原に陣屋[注釈 8]を置いた[6]。巨勢至信は加増を重ねて享保17年(1732年)に5000石に達し、以後幕末まで巨勢家が形原の領主として続いた[6]

歴代藩主

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松平(形原)家

譜代。1万石。

  1. 家信(いえのぶ)

脚注

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注釈

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  1. ^ 宝飯郡形原・西浦・平地・戸金・一色・鹿島・拾石・竹谷・上ノ郷・柏原・荒井・萩の各村、および幡豆郡逆川村[4]
  2. ^ 形原には3家が陣屋を置いたが、それぞれ別の地点であり、『蒲郡の諸城』などの文献では「形原陣屋」に記号を付して区別している[7]。形原松平家の陣屋は「形原陣屋C」(形原町東古城)、別名「稲生城」。跡地には古城稲荷神社が立つ[8]
  3. ^ 東条・横須賀・八色の3か村[4]
  4. ^ 慶長5年(1600年)生まれ。大坂夏の陣の際には家信が病気であったため、康信が陣代を務めている。
  5. ^ 『寛政譜』によれば元和3年(1617年)に鳥居忠政に附属され、家臣となったとされる[3]
  6. ^ 「形原陣屋B」(形原町西御屋敷)[8]
  7. ^ 2代目の松平清須が弟に上之郷村など700石を分知しており、この系統は『寛政譜』編纂時も存続している。
  8. ^ 「形原陣屋A」(形原町御獄)、別名「形原役所」[8][7]

出典

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  1. ^ 二木謙一監修・工藤寛正編「国別 藩と城下町の事典」東京堂出版、2004年9月20日発行(345ページ)
  2. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第二十三、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.120
  3. ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第二十三、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.121
  4. ^ a b c d e f g h i j 形原藩(近世)”. 角川地名大辞典(旧地名). 2021年11月8日閲覧。
  5. ^ a b c 『寛政重修諸家譜』巻第二十三、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.122
  6. ^ a b c d e f 形原村(近世)”. 角川地名大辞典(旧地名). 2021年11月8日閲覧。
  7. ^ a b 蒲郡市立図書館(回答). “明治期の宝飯地区において、以下の人物の概要が知りたい。巨勢大隅守利光、通称鎌吉”. レファレンス協同データベース. 2021年11月8日閲覧。
  8. ^ a b c 三河 形原陣屋”. 城郭写真記録. 2021年11月8日閲覧。
  9. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第二十三、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.123

参考文献

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関連項目

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  • 五井藩 - 家信が形原に復帰する前に知行していた上総国五井に、のちに成立した藩