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恒徳王妃光子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
竹田 光子
(恒徳王妃 光子)
竹田宮
続柄 三条公輝第2女子

全名 竹田 光子(たけだ みつこ)
身位 王妃 →(皇籍離脱
敬称 殿下 →(皇籍離脱)
出生 1915年11月6日
日本の旗 日本東京府東京市麻布区
(現:東京都港区六本木)三条公爵邸
死去 (2013-08-11) 2013年8月11日(97歳没)
配偶者 竹田宮恒徳王
子女 恒正王
佐藤素子(素子女王)
渡辺紀子(紀子女王)
恒治王
竹田恒和
父親 三条公輝
母親 正親町静子
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恒徳王妃 光子(つねよしおうひ みつこ、1915年大正4年〉11月6日 - 2013年平成25年〉8月11日)は、日本旧皇族竹田宮恒徳王[1]公爵三条公輝の次女[1]。 母は、伯爵正親町実正の長女・静子。旧名は、三条 光子(さんじょう みつこ)。皇籍離脱前の身位王妃で、皇室典範における敬称殿下。皇籍離脱後の名は、竹田 光子(たけだ みつこ)。

人物・来歴

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1934年昭和9年)、竹田宮恒徳王と結婚。その後、恒正王、素子女王、紀子女王恒治王竹田恒和の3男2女をもうける。1947年(昭和22年)10月14日皇室典範第11条1項により、夫や子女と共に家族で皇籍離脱。以後は、「竹田 光子(たけだ みつこ)」と名乗る。2013年平成25年)8月11日、老衰のため、逝去。97歳没。

親族

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栄典

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脚注

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注釈・出典

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  1. ^ a b 『人事興信録 第14版 上』サ149頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月17日閲覧。
  2. ^ 「FRIDAY」1989年1月26日増刊号p36-37
  3. ^ 竹田家(竹田恒正・竹田恒治・竹田恒貴の家系図)”. 閨閥学 (2019年5月2日). 2023年1月1日閲覧。
  4. ^ 『官報』第2207号「叙任及辞令」1934年5月14日、p.350。
  5. ^ 『官報』第2312号「日本赤十字社録事」日本赤十字社名誉社員推崇、有功章奏呈 1934年9月13日、p.319。
  6. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  7. ^ 『官報』第5200号「叙任及辞令」1944年5月18日、p.283。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。

関連項目

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外部リンク

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