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正親町実正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
正親町実正
大正天皇即位大礼の典儀官時の正親町実正(1915年)

正親町 実正(おおぎまち さねまさ、安政2年6月7日1855年7月20日) - 大正12年(1923年6月26日)は、日本華族伯爵)・官僚薬剤師大正天皇侍従長を務めた。正二位[1]

概要

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正親町実光の三男である正親町実徳の長男として生まれ、公卿正親町公董の嗣子となり、孝明天皇侍従となった[2]。維新後東京帝国大学で研究の後、宮内省御用掛として侍医寮の薬剤掛を担当した[2]1882年明治15年)、正親町家の家督を継ぎ、1884年(明治17年)伯爵に叙せられた。1890年(明治23年)7月10日には貴族院議員となり[3]、1918年(大正7年)5月31日まで在任[4]1893年(明治26年)には日本薬剤師会を設立した。1899年(明治32年)2月から翌年10月まで第10代埼玉県知事に就任した[2]。その後賞勲局総裁となり、1918年大正7年)5月27日から1921年(大正10年)3月22日まで、大正天皇の侍従長を務めた。その後再び賞勲局総裁に就任した。1923年(大正12年)6月26日死去。墓所は染井霊園

栄典

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位階
勲章等

親族

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脚注

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  1. ^ a b 『官報』第1756号「叙任及辞令」1918年6月11日。
  2. ^ a b c 『埼玉大百科事典 第1巻』埼玉新聞社、1974年3月、pp239-240
  3. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』25頁。
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、25頁。
  5. ^ 『官報』第1351号「叙任及辞令」1887年12月28日。
  6. ^ 『官報』第307号「叙任及辞令」1884年7月8日。
  7. ^ 『官報』第7272号「叙任及辞令」1907年9月23日。
  8. ^ 『官報』第8257号「叙任及辞令」1910年12月28日。
  9. ^ 『官報』第565号「叙任及辞令」1914年6月19日。
  10. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  11. ^ 『官報』第1218号「叙任及辞令」1916年8月21日。
  12. ^ 『官報』第3272号「叙任及辞令」1923年6月27日。

参考文献

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  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
公職
先代
児玉秀雄
大給恒
日本の旗 賞勲局総裁
1921年 - 1923年
1909年 - 1918年
次代
仙石政敬
児玉秀雄
日本の爵位
先代
創設
伯爵
正親町家初代
1884年 - 1923年
次代
正親町公和