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渡辺允

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
渡辺 允/渡邉 允
(わたなべ まこと)
生年月日 (1936-05-09) 1936年5月9日
出生地 大日本帝国の旗 大日本帝国東京府
没年月日 (2022-02-08) 2022年2月8日(85歳没)
死没地 日本の旗 日本東京都新宿区
出身校 東京大学
前職 侍従長1996年 - 2007年
宮内庁参与2012年 - 2020年
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渡辺 允渡邉 允[1]、わたなべ まこと、1936年昭和11年)5月9日[2] - 2022年(令和4年)2月8日)は、日本外交官位階正三位

元・侍従長、前・宮内庁参与東京府(現・東京都)出身。

略歴・人物

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学習院初等科1949年(昭和24年)卒業)、都立日比谷高校を経て、1959年(昭和34年)東京大学法学部卒業後、外務省入省。同期には松浦晃一郎ら。

英語研修(米国スワースモア大学)、北米局北米第一課事務官[3]1976年(昭和51年)条約局法規課長、1977年(昭和52年)国際連合局政治課長、1979年(昭和54年)在フィリピン日本国大使館参事官、1981年(昭和56年)在アメリカ合衆国日本国大使館参事官、1983年(昭和58年)在アメリカ合衆国日本国大使館公使、1985年(昭和60年)外務省大臣官房審議官北米局担当)、1988年(昭和63年)駐ヨルダン大使を歴任[4]

中近東アフリカ局長(1989年平成元年)3月7日- )、儀典長1993年(平成5年)11月2日 - 1995年(平成7年)8月4日)を経て、式部官長

1996年(平成8年)12月12日から2007年(平成19年)6月15日まで侍従長。

2007年(平成19年)、『プリンセス・マサコ』の出版に対して、宮内庁として容認できない記述に関する公式抗議状を送付。より近い立場にいる野村一成東宮大夫)の対処との違いが際立って早かったと指摘されている。

2008年(平成20年)、瑞宝大綬章受章[5]

宮内庁侍従職御用掛を経て、2012年(平成24年)4月1日から2020年令和2年)6月18日まで宮内庁参与

退任後は皇室関連インタビュー・講演を多く行っていた。

2022年令和4年)2月8日、誤嚥性肺炎のため、東京都新宿区の高齢者医療施設で死去[6]。85歳没。死没日付で正三位に叙された[1]

親族

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曾祖父渡辺千秋伯爵と、元勲大山厳公爵明治天皇崩御時の宮内大臣を務めた千秋は、大山厳と深く関わった。千秋の子・渡辺千春伯爵は、大山の娘と結婚、その長男が充の父である渡辺昭伯爵。母の春子は男爵小畑大太郎の娘。

初代財務官だった渡辺武、物理学者の渡辺慧は親類(父方のいとこ)である。ノーベル賞化学者の野依良治は父方のはとこ。

同期

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外務省入省同期には、松浦晃一郎の他、瀬下博基(中南米局長、駐伊大使)、田島高志(駐加大使)、苅田吉夫式部官長)、大鷹市郎(駐フィンランド大使)、野々山忠致(駐ヨルダン大使)など。

著作

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脚注

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  1. ^ a b 『官報』第690号6頁 令和4年3月9日
  2. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年(平成28年))p.200
  3. ^ 英正道『回想の外交官生活』グットタイム出版。
  4. ^ 『全国官公界名鑑』1991年版 同盟通信社
  5. ^ 大綬章受章者の顔触れ”. 四国新聞社 (2008年11月3日). 2023年6月15日閲覧。
  6. ^ "渡辺允氏が死去 元侍従長、平成期に上皇ご夫妻に仕える". 日経電子版. 日本経済新聞社. 8 February 2022. 2022年2月8日閲覧

外部リンク

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先代
山本悟
侍従長
1996年 - 2007年
次代
川島裕