コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

秋元義孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
秋元 義孝
あきもと よしたか
生年月日 (1953-01-01) 1953年1月1日(71歳)
出生地 日本の旗 日本 東京都
出身校 東京大学法学部第二類
前職 宮内庁式部官長、駐オーストラリア特命全権大使
現職 宮内庁御用掛、ジャパン・プラットフォーム代表理事
称号 瑞宝大綬章(2023年)
テンプレートを表示

秋元 義孝(あきもと よしたか、1953年昭和28年)1月1日[1] - )は、日本外交官儀典長、駐オーストラリア特命全権大使、第14代宮内庁式部官長などを歴任した。

2023年5月よりジャパン・プラットフォーム代表理事を務める。

経歴

[編集]

2019年4月30日の明仁退位礼正殿の儀ならびに同年5月1日の徳仁剣璽等承継の儀と、2日間に亘る譲位関連の儀式に際しては宮内庁長官・山本信一郎と共に天皇を殿上へ先導する役目を担当した[5][6]

2023年4月、宮内庁式部官長を退官。同月より宮内庁御用掛を務める

同年5月よりNPO法人「ジャパン・プラットフォーム」の代表理事を務める。

2023年秋の叙勲で瑞宝大綬章を受章[7][8]

人物像

[編集]

専門はロシアと経済協力の2つ[3]。外務省では入省した時点で専門の外国語を決められるが、秋元の場合はロシア語だった[3]。そのために若いころからソ連・ロシア関係に長く携わってきており、モスクワには3回、合計9年間勤務した[3]

自身のパーソナリティーについて、秋元によれば「ひと言で表現する上手い言葉が見つかりません。自分の性格はよく分かりませんが、極めて合理主義的な面と恩義を大切にする古風な面とが複雑に共存しているのでないでしょうか。」という[3]

座右の銘は「人間万事塞翁が馬」[3]。秋元によれば「人生は、何が最終的に福か禍かは誰にも判らないという故事です。だから、成功している時も奢らず、失敗した時も落ち込まず、という風に自分なりに理解しています。自分のこれまでの人生の中でいろいろな経験を積み重ねていくうちに、自然にこのようなことを会得したように思います。自分の娘たちが落ち込んでいる時なども、よく言って聞かせましたから、今では我が家の家訓になっています。」という[3]

家族・親族

[編集]

秋元家

[編集]
東京都

フジテレビ社員(元アナウンサー)の秋元優里と、フリーアナウンサー(元テレビ東京在職)の秋元玲奈は娘。優里の前夫はフジテレビアナウンサーの生田竜聖(竜聖の兄は俳優、タレントの生田斗真)。秋元は優里と生田竜聖の結婚に当初反対したとされる[9]。玲奈の夫の父は元フォーミュラ1ドライバーの鈴木亜久里[10]

略系図

[編集]
 
 
 
 
秋元義孝
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
秋元玲奈
 
秋元優里
 
 
生田竜聖
 
 
生田斗真
 
 

入省同期

[編集]

脚註

[編集]

外部リンク

[編集]
先代
木寺昌人
国連担当大使
2008年
次代
廣木重之
先代
河相周夫
宮内庁式部官長
2015年 - 2023年
次代
伊原純一