藤崎一郎
ふじさき いちろう 藤﨑 一郎 | |
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生誕 |
1947年7月10日(77歳) 鹿児島県 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 慶應義塾大学経済学部中退 |
職業 |
上智大学特別招聘教授 一般社団法人日米協会会長 |
親 | 藤﨑萬里(父) |
親戚 |
伊藤博文(高祖父) 藤井啓之助(祖父) 柏木雄介(岳父) 松本十郎(義叔父) 松本剛明(従弟) |
藤﨑 一郎(ふじさき いちろう、1947年〈昭和22年〉7月10日 - )は、日本の外交官。北鎌倉女子学園中学校・高等学校理事長、上智大学特別招聘教授・国際戦略顧問、一般社団法人日米協会会長(第9代)[1]、公益財団法人中曽根康弘世界平和研究所(NPI)理事長[2]、一般社団法人日本外交協会理事[3]、BBCワールドニュース放送番組審議会委員。藤崎 一郎(ふじさき いちろう)と表記されることもある。
外務省北米局局長、外務審議官(経済担当)、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部特命全権大使、在アメリカ合衆国日本大使などを歴任。
来歴
[編集]生い立ち
[編集]鹿児島県生まれの神奈川県育ち。父は外交官でオランダ駐箚特命全権大使や最高裁判所判事などを務めた藤﨑萬里。内閣総理大臣を務めた伊藤博文の玄孫にあたり、一族には政治家、外交官が多い。
港区立白金小学校、米国の公立学校中学校、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部在学中に外務公務員採用上級試験に合格し、中退し外務省入省[4]。
外交官として
[編集]2009年12月21日、普天間移設問題に関してアメリカ合衆国国務長官のヒラリー・クリントンと国務省で15分間の緊急会談を行った。大雪のためアメリカ連邦政府機関は臨時の休日となる中で朝に急きょ決まって午後に会談に呼び出されたとして、メディアから異例と報じられた[5]。なお、藤﨑は「朝にクリントン国務長官から来て欲しいと連絡があった」と語っているが、フィリップ・クローリー国務次官補(広報担当)は翌22日の記者会見で「呼び出したのではなく藤崎大使の方から訪れた」と述べ、藤﨑の主張を否定した[6][7][8][9]。
アメリカ側の否定を受けて、普天間基地は最低でも県外移転を言明していた鳩山由紀夫首相(当時)を牽制したかった外務省が、嘘をついた疑いがあるとして、衆参両院で事の真偽を確かめるための質問主意書が提出された[10][11]。外務省はこの質問に対して、あくまでクリントン国務長官から招請された会談であって、藤崎大使の方が要請したものではないと回答した[12]。
退官後
[編集]2013年1月1日付で、上智大学の特別招聘教授に就任し、国際戦略顧問として活動している[13]。同年7月には、大河原良雄の後任として、日米協会の会長に就任した。また、谷内正太郎に代わって公益財団法人世界平和研究所(IIPS)の副理事長を務めている。他に一般社団法人世界貿易センター東京副会長[14]、公益財団法人日本国際フォーラム参与[15]などを現任する。
2017年4月1日、学校法人北鎌倉女子学園理事長に就任[16]。同学園理事長としてアントニオ・グテーレス国連事務総長に会い、女子生徒から託された色紙を手渡して、その場で事務総長からのメッセージを書いてもらって帰ってきた[17][18]。
2018年7月1日、中曽根康弘世界平和研究所理事長に就任[19]。
エピソード
[編集]1996年に藤﨑が在アメリカ合衆国日本大使館で公使を務めていた際、盲導犬の候補犬を育てるパピーウォーカー[20]を一家で引き受けた。藤﨑一家が育てたスキッパーという名前の犬は盲導犬の適性がないと判断され、麻薬捜査犬としてイタリアのミラノで危険な任務を務めていた。そしてスキッパーが2005年にジュネーブ在勤中の藤﨑一郎夫妻とミラノで再会したところ、藤﨑夫妻のことを記憶していたことに夫妻はいたく感激した。2年後の2007年、スキッパーは麻薬捜査犬の任を解かれ、夫妻がイタリア警察に依頼してスキッパーを引き取った。2008年、在アメリカ合衆国日本大使としてワシントンへ転勤した際にスキッパーも一緒に連れていき、スキッパーは故郷のワシントンD.C.に戻ることができたという話を『ワシントンポスト』が報じて話題になったという[21]。
略歴
[編集]- 1947年 鹿児島県生まれ[4]
- 1960年 港区立白金小学校卒業、慶應義塾普通部入学、2学期から父が総領事となったシアトルの公立中学校に滞在(~1962年)[4]
- 1962年 単身で日本に戻り慶應義塾普通部復学[4]
- 1963年 慶應義塾普通部卒業[4]
- 1966年 慶應義塾高等学校卒業
- 1968年 慶應義塾大学経済学部在学中に外務公務員採用上級試験合格[4]
- 1969年 慶應義塾大学経済学部中退[4]、外務省入省
- 1970年 英語研修(米国ブラウン大学、スタンフォード大学)
- 1972年 在インドネシア大使館三等書記官
- 1984年 情報調査局安全保障政策室長
- 1985年 情報調査局分析課長
- 1986年 経済局国際エネルギー課長
- 1987年 在英国日本国大使館参事官兼ロンドン総領事
- 1990年 外務大臣官房参事官
- 1991年 外務大臣官房在外公館課長
- 1992年 外務大臣官房会計課長
- 1994年 アジア局外務参事官
- 1995年 在アメリカ合衆国日本国大使館公使(政務担当)
- 1999年 北米局長
- 2002年 外務審議官(経済担当)
- 2005年 ジュネーブ国際機関日本政府代表部特命全権大使
- 2008年 在アメリカ合衆国日本大使(慶應義塾出身者としては初)[4]
- 2012年11月30日 辞任[23]
- 2013年 上智大学特別招聘教授・国際戦略顧問、慶應義塾大学特別招聘教授
- 2013年 一般社団法人日米協会会長、伊藤忠商事株式会社取締役[24]、日野自動車株式会社顧問[25]
- 2014年 新日鐵住金株式会社取締役[26]、日本放送協会国際放送番組審議会委員[27]
- 2017年 学校法人北鎌倉女子学園理事長
- 2018年 中曽根康弘世界平和研究所理事長
- 2022年 瑞宝大綬章受章[28]
- 2023年 中曽根康弘世界平和研究所非常勤顧問[29]
著書
[編集]- 『まだ間に合う 元駐米大使の置き土産』講談社現代新書、2022年2月
家族・親族
[編集]- 高祖父 初代内閣総理大臣の伊藤博文
- 曽祖父 外交官の西源四郎(元駐ルーマニア公使、伊藤博文の子・朝子の夫)
- 祖父 外交官の藤井啓之助(元駐チェコスロヴァキア公使、伊藤博文の孫・清子の夫)
- 父 外交官の藤﨑万里(元最高裁判所裁判官、元駐オランダ大使)
- 妻 元大蔵官僚・柏木雄介(元財務官、元東京銀行頭取)の子
- 義兄 外交官の高橋雅二(元財団法人交流協会理事長、元駐南アフリカ大使、元法務省入国管理局長、藤﨑万里・娘婿)
- おじ
- 外交官の田付景一(元駐デンマーク大使、元外務大臣官房長 、外交官の田付七太(元駐ブラジル大使)の子)
- 外交官の鶴見清彦(元ジュネーブ国際機関日本政府代表部大使、元外務審議官)
- 政治家の松本十郎(元防衛庁長官)
- いとこ
同期
[編集]- 遠藤乙彦(財務副大臣、公明党衆議院議員)
- 野坂康夫(鳥取県米子市長、文部省審議官)
- 谷内正太郎(外務事務次官)
- 田中均(東京大学公共政策院客員教授、政務担当外務審議官)
- 高須幸雄(国連大使、国際社会協力部長)
- 宮本雄二(駐中国大使、中国課長)
- 重家俊範(駐韓大使、中東アフリカ局長)
- 小町恭士(駐タイ大使、駐オランダ大使、官房長、欧州局長)
- 飯村豊(駐仏大使、経済協力局長)
- 堀村隆彦(自治体国際化協会常務理事、駐ブラジル大使、中南米局長)
- 今井正(沖縄大使、駐マレーシア大使、国際情報局長)
- 高橋恒一(三井住友海上火災保険顧問、外務省研修所長、駐チェコ大使、法務省審議官、国際社会協力部長)
- 林梓(駐ベルギー大使、文化交流部長、岩手県警察本部長)
- 天木直人(評論家、駐レバノン大使、内閣審議官)
- 辻本甫(中日本高速道路顧問、駐アラブ首長国連邦大使、衆議院外務調査室長)
- 松井靖夫(科学技術協力担当大使、駐コスタリカ大使、国際協力事業団理事、内閣審議官)
脚注
[編集]- ^ 日米協会 歴代会長 - 一般社団法人日米協会ホームページ
- ^ IIPSについて - 公益財団法人世界平和研究所ホームページ
- ^ 日本外交協会・役員名簿
- ^ a b c d e f g h 藤崎一郎 元駐米大使(1969年 経済学部中退)慶応と私2019年3月9日号
- ^ 米国務長官、藤崎大使呼び異例の会談 読売新聞2009年12月22日[リンク切れ]
- ^ “米国務次官補:大使「呼び出し」報道を否定”. 毎日新聞. (2009年12月24日) 2010年1月13日閲覧。
- ^ “またウソがバレた!日本の大マスコミの「米国激怒」報道”. 日刊ゲンダイ. (2010年1月8日) 2010年1月13日閲覧。
- ^ 「米が呼び出し」虚偽か 09年、普天間移設で外務省 琉球新報2015年7月6日。藤崎はこの事実に関する同紙の取材に回答していない
- ^ Daily Press Briefing - December 22, part2 (U.S. Department of State):
QUESTION: Do you have any readout of the Secretary's meetings yesterday with the Japanese ambassador? I had heard she called him in to talk about Futenma.
MR. CROWLEY: The -- I think the Japanese ambassador came by to see both Assistant Secretary Kurt Campbell, stopped by to see Secretary Clinton. During the course of the meeting, the ambassador gave us an indication that they needed more time to work through issues related to the basing agreement. We continue to believe that the current plan provides the best way forward, but we'll continue our discussions with Japan on this issue.
QUESTION: You said that -- “stopped by.” You wouldn't describe him as being called in on a --
MR. CROWLEY: All right, let me --
QUESTION: -- day when the government was being closed and --
MR. CROWLEY: He was -- I think -- my -- I mean, he -- I don't think he was called in. I think actually he came to see us. - ^ 藤崎駐米大使とクリントン国務長官との会談に関する質問主意書 平成二十七年七月八日提出 質問第三一二号, 衆議院。
- ^ 二〇〇九年十二月二十一日の藤崎一郎駐米大使とヒラリー・クリントン米国務長官の会談に関する質問主意書 第189回国会(常会)質問主意書 質問第二一一号, 参議院。
- ^ 衆議院議員初鹿明博君提出藤駐米大使とクリントン国務長官との会談に関する質問に対する答弁書
- ^ 「前アメリカ合衆国駐箚特命全権大使藤崎一郎氏が上智大学特別招聘教授に就任します」『前アメリカ合衆国駐箚特命全権大使 藤崎一郎氏が上智大学特別招聘教授に就任します|上智大学 公式サイト』上智大学。
- ^ 「会社案内 | 世界の和のために、ビジネスの輪を広げる。 | 一般社団法人世界貿易センター東京」一般社団法人世界貿易センター東京
- ^ 「評議員・役員等 | 公益財団法人日本国際フォーラム 国際問題 ・国際政治・外交問題のシンクタンク」公益財団法人日本国際フォーラム
- ^ 理事長からのご挨拶北鎌倉女子学園
- ^ アントニオ・グテーレス氏(国連事務総長), 学園生活に関するお知らせ 2017年10月05日, 北鎌倉女子学園。
- ^ 国連事務総長からのメッセージをいただきました。, 学園生活に関するお知らせ 2017年06月08日, 北鎌倉女子学園。
- ^ 藤崎先生が世界平和研究所の理事長に就任されました北鎌倉女子学園
- ^ Puppy Training、Puppy Raisingも参照。
- ^ 外信コラム:ポトマック通信 産経新聞 2008年10月21日閲覧
- ^ 『世界に続く道 IAEA事務局長回顧録』かまくら春秋社 2020年7月21日
- ^ 【人事】外務省MSN産経ニュース2012.12.1 03:06
- ^ 「人事異動」伊藤忠商事株式会社
- ^ 「日野自動車(6月21日)」日本自動車新聞2013年6月24日
- ^ 「新日鉄住金、社外取締役を初起用 JR東日本の大塚相談役ら 」日本経済新聞2014/3/4
- ^ 「国際放送番組審議会委員の委嘱について」日本放送協会
- ^ 『官報』号外235号、令和4年11月4日
- ^ 「中曽根康弘世界平和研究所」の新理事長に中曽根弘文氏…藤崎一郎氏は非常勤顧問に読売新聞オンライン 2023/04/21
非営利団体 | ||
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先代 大河原良雄 |
日米協会会長 第9代:2013年 - |
次代 (現職) |