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萩原汎愛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
萩原汎愛

萩原 汎愛(はぎわら ひろえ[1] / ひろちか[2]1848年3月5日(弘化5年2月1日[1] - 没年不明)は、幕末土佐藩士明治期の内務官僚。官選県知事。幼名・菅太郎[3]

経歴

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土佐国土佐郡本町(現:高知市)で土佐藩士の息子として生まれる[1][3]。明治元年(1868年)、藩の別撰隊第二小隊付となり京都に赴任。戊辰戦争に従軍し大阪、中国路、北越などを転戦した[1][4]

明治4年(1871年高知県准権少属に任官。以後、福岡県二等警部、同県少書記官、鳥取県少書記官、同大書記官などを歴任[1][4]

1892年8月、宮崎県知事に就任[5]1894年1月20日、知事を非職となり[6]、同年2月21日に依願免本官[7]1898年1月、埼玉県知事に登用され[8]、小学校の改善、農会の充実、治水事業の推進などに取り組んだ[1]。1899年2月21日、知事を非職となり[9]、同年3月15日に依願免本官となり退官した[10]。その後、旧藩主山内侯爵家の家扶を務めた[2]

死後、三女を通じて蔵書が北海道大学に寄贈された[11]

栄典

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 『埼玉人物事典』632-633頁。
  2. ^ a b 「当世百人娘 (二) 萩原愛子」『読売新聞』1903年5月16日朝刊、4頁。
  3. ^ a b 『地方長官人物評』187頁。
  4. ^ a b 「鳥取県少書記官萩原汎愛昇任ノ件」
  5. ^ 『新編日本の歴代知事』1080頁。
  6. ^ 『官報』第3167号、明治27年1月22日。
  7. ^ 『官報』第3193号、明治27年2月22日。
  8. ^ 『新編日本の歴代知事』310頁。
  9. ^ 『官報』第4690号、明治32年2月22日。
  10. ^ 『官報』第4708号、明治32年3月16日。
  11. ^ Anshin Anatoliy「山岡鉄舟の功績を称えた「正宗鍛刀記」の考証」『日本漢文学研究』2、pp. 307–308
  12. ^ 『官報』第2776号「叙任及辞令」1892年9月27日。

参考文献

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  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 埼玉県教育委員会編『埼玉人物事典』埼玉県、1998年。
  • 大岡力『地方長官人物評』長島為一郎、1892年。
  • 内閣「鳥取県少書記官萩原汎愛昇任ノ件」明治19年。国立公文書館 請求番号:本館-2A-018-00・任A00106100