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慶滋保胤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
慶滋 保胤
慶滋保胤『前賢故実』より
時代 平安時代中期
生誕 承平3年(933年)以後[1]
死没 長保4年10月21日1002年11月27日[2]
改名 保胤→心覚(法名)→寂心
別名 内記入道、字:茂能、唐名:定潭
官位 従五位下大内記
主君 村上天皇冷泉天皇円融天皇花山天皇
氏族 賀茂氏→慶滋氏
父母 父:賀茂忠行
兄弟 賀茂保憲、賀茂保遠、保胤保章
忠順
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慶滋 保胤(よししげ の やすたね)は、平安時代中期の貴族文人儒学者丹波権介賀茂忠行の子。官位従五位下大内記。家学であった陰陽道を捨てて紀伝道を志し、姓の賀茂を読み替えて慶滋とした。

経歴

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村上朝天暦9年(955年)ごろ大学寮に入学して学生となる[3](字は茂能[4]天徳元年(957年)学生の身分のまま内御書所へ出仕する[4]。内御書所衆は天皇や上流貴族主催の作文会に文人として出席することがよくあり、しばしば内御書所でも作文会が行われていたことから、内御書所には詩文に長けた者が多く集まっていた[5]。保胤も同様であり、早くも天徳・応和年間(957年-964年)には高岳相如と並んで才子と賞賛されていた[6]

大学寮では右少弁菅原文時に師事したが、文時の弟子の中で保胤は筆頭格であり[7]、文章の点では茂能(保胤)、才学の点では祢文(不詳)が相対していた。保胤は文時からも史書全経に堪能の者と評されていたという[8]

応和3年(963年)文人として先輩格である三善道統が開催した詩合(「善秀才宅詩合」)に参加。ここで保胤は左方の頭首を務め、右方頭首の高岳相如と「花鳥は尚ほ春を留む」の句題で七言詩を作り競ったが、勝負は未定であった[9]康保元年(964年)初めての勧学会が東山親林寺で開催される、保胤は藤原在国橘倚平高階積善紀伝道の学生らとともに参加する。午前中は延暦寺僧侶による『法華経』従地涌出品の講説、午後は講説の中から選ばれた論題について僧侶による竪義論議が行われたが、保胤はこの論議の記録を担当した[10]

天延年間に文章生となり、のち大内記兼近江掾を務め、永観2年(984年)ごろ従五位下に叙せられている。この間の永観元年(983年)には元号を「永観」に改める際のなどを起草している。

若い頃より仏教に対する信仰心が厚く[11]、息子の成人を見届けると[12]寛和2年(986年)に出家して比叡山横川に住した。また同年、念仏結社『二十五三昧会』の結成にも関わったとされる。法名は始め心覚と称し、その後寂心と改めている。内記入道と呼ばれ、諸国を遍歴した後、洛東如意寺(如意輪寺)で没した。なお、藤原道長を授けたこともあり、保胤が没した際、道長がその供養のために、大江匡衡に諷誦文[13]を作らせたとされる[14]

弟子に寂照(俗名:大江定基)がいる。

著作

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著書『池亭記』は、当時の社会批評と文人貴族の風流を展開し、隠棲文学の祖ともいわれている[15]。漢詩は『本朝文粋』及び『和漢朗詠集』に、和歌は『拾遺和歌集』(1首)[16]に作品が収載されており、現代まで伝えられている。

本朝において往生を遂げたとされる人物の伝記を集めて『日本往生極楽記』を著し、後世の往生伝や説話集に大きな影響を及ぼした。同作品中には、保胤の浄土信仰への傾倒が見られる。

官歴

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注記のないものは、小原仁『慶滋保胤(人物叢書)』による。

系譜

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  • 父:賀茂忠行
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:慶滋忠順

登場作品

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説話
近代
現代

脚注

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  1. ^ 『池亭記』の天元5年(982年)の記述に、自らの年齢を「生年五旬に垂(なんなん)とす」(年はもう少しで50歳になる)とあることから、承平3年(933年)より数年ほど後と思われる。
  2. ^ 『続本朝往生伝』では没年を長徳3年(998年)とする。
  3. ^ 小野[2016: 26]
  4. ^ a b 小野[2016: 31]
  5. ^ 小野[2016: 33]
  6. ^ 『本朝文粋』巻9
  7. ^ 『続本朝往生伝』
  8. ^ 『古事談』6-36「菅原文時の弟子。一の座のこと」
  9. ^ 小野[2016: 43]
  10. ^ 小野[2016: 47]
  11. ^ 「予自少日念弥陀仏」『日本往生極楽記』序文、「自少年之時、心慕極楽」『続本朝往生伝
  12. ^ 「及子息冠笄纔畢、寛和二年遂以入道」『続本朝往生伝
  13. ^ 故人の追善供養のために供物と共に僧に差し出す読経を請う文のこと。このときの諷誦文が『本朝文粋』14にある。
  14. ^ 『今鏡』347段
  15. ^ 鴨長明の『方丈記』は『池亭記』を手本にしたとされる。
  16. ^ 『勅撰作者部類』
  17. ^ 『三条左大臣殿前栽合』
  18. ^ 『池亭記』

参考文献

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