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成器村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
せいきそん
成器村
廃止日 1952年11月1日
廃止理由 新設合併
成器村大茅村大成村
現在の自治体 鳥取市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
岩美郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 27.53 km2
総人口 1,853
鳥取県統計書、1950年)
隣接自治体 大茅村、宇倍野村小田村
八頭郡上私都村中私都村丹比村若桜町
兵庫県美方郡八田村
成器村役場
所在地 鳥取県岩美郡成器村大字中河原
地図
旧・成器村役場庁舎位置
座標 北緯35度26分33秒 東経134度19分54秒 / 北緯35.44253度 東経134.33153度 / 35.44253; 134.33153座標: 北緯35度26分33秒 東経134度19分54秒 / 北緯35.44253度 東経134.33153度 / 35.44253; 134.33153
特記事項 村役場は成器小学校(現在の成器地区公民館)付近に所在した
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成器村(せいきそん)は、鳥取県岩美郡にあった自治体である。

概要

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現在の鳥取市(旧国府町)のうち、国府町新井・国府町吉野・国府町松尾・国府町中河原・国府町山崎・国府町殿・国府町神護・国府町荒舟・国府町上荒舟・国府町上地に相当する。袋川とその支流上地川・神護川流域に位置した。

村名は合併前の登儀村上舟村が組合立で創設した成器小学校から引用した[1]

1934年(昭和9年)に上地(わじ)の金鉱山が稼働し、鉱石を積んだ馬車が鳥取駅へ通っていたが、第二次世界大戦が始まると政府は金は贅沢品と認定し上地鉱山も1943年(同17年)に廃山となった[1]

沿革

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行政

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歴代村長

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氏名 就任年月日 退任年月日 出身 備考
山本慶造 1918年(大正7年)4月1日 1918年(大正7年)6月27日 神護 前登儀村上舟村組合村長
村長臨時代理者[3]
山本慶造 1918年(大正7年)6月28日 1922年(大正11年)6月27日 神護
山本慶造 1922年(大正11年)6月28日 1926年(大正15年)7月27日 神護
山本慶造 1926年(大正15年)7月28日 1928年(昭和3年)8月16日 神護
福田松太郎 1928年(昭和3年)8月19日 1931年(昭和6年)6月26日 中河原
山田源八 1931年(昭和6年)7月5日 1931年(昭和6年)9月15日 吉野
山田源八 1931年(昭和6年)9月18日 1935年(昭和10年)8月21日 吉野
井戸垣周蔵 1935年(昭和10年)8月26日 1941年(昭和16年)7月30日 新井
入川万亀三 1941年(昭和16年)8月1日 1946年(昭和21年)11月20日 新井
土橋一之 1947年(昭和22年)4月5日 1952年(昭和27年)10月31日 中河原 合併後大成村長に就任
参考文献 - [1]

教育

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交通

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  • 雨滝街道(現在の県道31号):1930年(昭和5年)に日ノ丸自動車が鳥取市 - 中河原間に定期バスの運行を開始、車体の色が銀色であったことから「銀バス」として住民に親しまれた。また1952年(同27年)には沢タクバス(現在の日交バス)が運行を開始した[1]

脚注

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  1. ^ a b c d 国府町誌(国府町誌編さん・編集委員会、1987年)、改訂 国府町誌(改訂国府町誌編纂・編集委員会、2004年)
  2. ^ 「鳥取県告示第489号・市町村の廃置分合」『鳥取県公報 号外第28号』1952年10月14日鳥取県立公文書館
  3. ^ 職員録 大正7年

関連項目

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