手塚良成
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手塚 良成(てづか よしなり、1918年(大正7年)4月15日 - 2000年(平成12年)9月24日[1][2])は、日本の運輸官僚。航空局長や海上保安庁長官等を歴任し、退官後は日本航空の常務取締役や空港環境整備協会理事長・会長などを務めた[3]。
来歴
[編集]1942年(昭和17年)9月東京帝国大学法学部政治学科を卒業、10月に逓信省入省と同時に海軍短期現役士官として徳島海軍航空隊に入隊する[3]。1945年(昭和20年)8月、海軍設営隊(28隊)としてラバウルのトベラ飛行場で終戦を迎え[3]、1946年(昭和21年)4月29日、大洋漁業の捕鯨船図南丸で帰国し、のち運輸省に復帰した[3]。
1964年(昭和39年)6月1日、新設された新東京国際空港担当参事官に抜擢され、航空局長の栃内一彦と共に官邸や知事らへの新空港建設の説明と協力要請に奔走する(成田空港問題)[4]。
1970年(昭和45年)6月、海上保安庁長官に就任する[3]。
1979年(昭和54年)6月、国際観光振興会会長に就任する[5]。
栄典
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 「訃報・手塚良成氏(元海上保安庁長官・空港環境整備協会会長)」東京新聞、2000年9月26日朝刊33頁
- ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、825頁。
- ^ a b c d e f g 駿河昭 (2008年5月16日). “<実録>成田開港に奔走した功労者達(2)手塚良成②”. 日刊航空
- ^ 駿河昭 (2008年5月15日). “<実録>成田開港に奔走した功労者達(1)手塚良成①”. 日刊航空
- ^ 官報昭和54年本紙第15714号 6頁
- ^ 「秋の叙位叙勲4538人、晴れの受章 隠れた功労者、史上2位の1741人」『読売新聞』1988年11月3日朝刊
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