手嶋敏光
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手嶋 敏光(てしま としみつ、1942年12月12日[1] - )は、日本競輪選手会千葉支部に所属していた元競輪選手。現在は順天堂大学自転車競技部コーチ。日本競輪学校第67期生で、千葉支部所属の競輪選手、手嶋靖は実子であり弟子。
来歴
[編集]東海大学実業高等学校(1979年に廃校)時代、1961年、1962年の全国高等学校総合体育大会自転車競技大会・トラックレースのスクラッチレース及び競走車速度競走において、それぞれ2年連続で優勝[2]。
自衛隊時代、1964年の東京オリンピック・タンデムスプリントに、当時日本大学所属の班目秀雄と組んで出場したが、予選敗退。
1965年10月7日、日本競輪学校第21期生として、千葉競輪場でデビューし2着。初勝利は翌同月8日の同場。現役時代は厳しい番手勝負を信条とし旧制A級1班(現在のS1)に長く在籍。幾度となく落車をしたものの鎖骨骨折は全く無く、また、その人となりから『千葉の鉄人』と称された。
1999年12月24日、選手登録削除。通算戦績2749戦290勝[3]。
現在は順天堂大学自転車競技部のコーチとして学生を指導している。2010年開催の第65回ゆめ半島千葉国体では、自転車競技千葉県チームの監督を務めた[4]。
脚注
[編集]- ^ 手嶋敏光 Profile: Olympics at Sports-Reference.com[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine.
- ^ 高校総体-栄光の記録(1960-1969)
- ^ 通算戦績 Archived 2012年7月10日, at Archive.is - KEIRIN.JP
- ^ http://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/taiiku/kyougiryoku/y3.pdf[リンク切れ]