摩訶衍
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摩訶衍 | |
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チベット語名 | |
チベット文字: | ཧྭ་ཤང་མ་ཧཱ་ཡཱ་ན |
ワイリー方式: | hwa shang ma hā yā na |
トゥルナドル方式: | Hashang Mahāyāna |
IPA発音表記: | [[haɕaŋ mahajana]] |
蔵文拼音: | Haxang Mahayana |
中国語名 | |
繁体字: | 和尚摩訶衍 |
簡体字: | 和尚摩诃衍 |
拼音: | Héshang Móhēyǎn |
摩訶衍(まかえん、蔵:hwa shang ma hā ya na)は、8世紀の唐の仏教僧の名で、招聘されて禅宗を吐蕃(チベット)に伝えた。
概要
[編集]786年(貞元2年)、敦煌陥落の頃、吐蕃の王ティソン・デツェンは禅僧の摩訶衍(マハーヤーナ)を敦煌より連行して自国に布教させた。
吐蕃におけるインド仏教系の僧は、サムイェー寺において仏道を建立したシャーンタラクシタ(寂護、? - 787年)亡きあと、禅の教義に疑義を示して攻撃し、文書による論争を重ねて禁教にいたらせた。
摩訶衍は無念・無想・無作意による悟得の教義を説いて791年には皇后(没盧氏)を出家させた。さらに、禅の信徒の抵抗で794年禁教が解かれた。
王はインドからカマラシーラ(蓮華戒)を呼び、サムイェー寺のチャンチュプ院においてその面前で摩訶衍を論破させ、妙観察智を捨てた無念の禅を退けたので摩訶衍は敦煌に去り、インド仏教の正統性が認められ、主導権が確立されたと伝えられる(サムイェー寺の宗論、中国語: 拉薩法諍)。
参考文献
[編集]- 『頓悟大乗正理決』(794年)