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摩訶衍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
摩訶衍
チベット語
チベット文字: ཧྭ་ཤང་མ་ཧཱ་ཡཱ་ན
ワイリー方式: hwa shang ma hā yā na
トゥルナドル方式: Hashang Mahāyāna
IPA発音表記: [[haɕaŋ mahajana]]
蔵文拼音: Haxang Mahayana
中国語
繁体字: 和尚摩訶衍
簡体字: 和尚摩诃衍
拼音: Héshang Móhēyǎn

摩訶衍(まかえん、hwa shang ma hā ya na)は、8世紀の仏教の名で、招聘されて禅宗吐蕃チベット)に伝えた。

概要

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786年貞元2年)、敦煌陥落の頃、吐蕃の王ティソン・デツェンは禅僧の摩訶衍(マハーヤーナ)を敦煌より連行して自国に布教させた。

吐蕃におけるインド仏教系の僧は、サムイェー寺において仏道を建立したシャーンタラクシタ(寂護、? - 787年)亡きあと、禅の教義に疑義を示して攻撃し、文書による論争を重ねて禁教にいたらせた。

摩訶衍は無念・無想・無作意による悟得の教義を説いて791年には皇后(没盧氏)を出家させた。さらに、禅の信徒の抵抗で794年禁教が解かれた。

王はインドからカマラシーラ(蓮華戒)を呼び、サムイェー寺のチャンチュプ院においてその面前で摩訶衍を論破させ、妙観察智を捨てた無念の禅を退けたので摩訶衍は敦煌に去り、インド仏教の正統性が認められ、主導権が確立されたと伝えられる(サムイェー寺の宗論中国語: 拉薩法諍)。

参考文献

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  • 『頓悟大乗正理決』(794年

関連項目

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