日伯関係
日本 |
ブラジル |
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日伯関係(にっぱくかんけい、ポルトガル語: relações entre Brasil e Japão、英語: Brazil–Japan relations、日本とブラジルの関係)は、日本とブラジルの二国間関係を指す。
概要
[編集]調査対象国 | 肯定 | 否定 | どちらでもない | 肯定-否定 |
---|---|---|---|---|
中国 | 22% |
75% |
3 | -53 |
スペイン | 39% |
36% |
25 | 3 |
トルコ | 50% |
32% |
18 | 18 |
パキスタン | 38% |
20% |
42 | 18 |
インド | 45% |
17% |
38 | 28 |
ロシア | 45% |
16% |
39 | 29 |
ペルー | 56% |
25% |
19 | 31 |
ナイジェリア | 57% |
24% |
19 | 33 |
イギリス | 65% |
30% |
5 | 35 |
メキシコ | 59% |
23% |
18 | 36 |
ケニア | 58% |
22% |
20 | 36 |
ドイツ | 50% |
13% |
37 | 37 |
インドネシア | 57% |
17% |
26 | 40 |
アメリカ | 65% |
23% |
12 | 42 |
ギリシャ | 52% |
9% |
39 | 43 |
フランス | 74% |
21% |
5 | 53 |
ブラジル | 70% |
15% |
15 | 55 |
オーストラリア | 78% |
17% |
5 | 61 |
カナダ | 77% |
12% |
11 | 65 |
日本は、1895年に初めてブラジルと外交関係を樹立した[2]。第二次世界大戦後、日本は外国援助を通じてブラジルとの通商関係を強化した[3]。対外直接投資は、ブラジルの産業発展のために用いられた[4]。日系移民は他国よりもブラジルに最も多く見られ、そのことにより日系ブラジル人はブラジルの人口動態において大きな存在感を放っている[5]。
1970年3月11日、当時のサンパウロ総領事大口信夫が誘拐される。誘拐犯の要求は政治犯5人をメキシコに亡命させるというものであり、ブラジル政府は要求を受諾。釈放した政治犯がメキシコへ到着した同年3月15日になって、総領事は無事に釈放された[6]。
2017年のBBCワールドサービスによる世界世論調査 (World Service Poll) によると、ブラジル人の70%が日本の影響力に対して望ましいとの見解を示しており、望ましくないとの見解を示したのはわずか15%のみであり、ブラジルは世界でも最も親日的な国のうちの一つであると言える[1]。2013年のBBCワールドサービスによる世界世論調査 (World Service Poll) によると、日本人の40%がブラジルの影響力に対して望ましいとの見解を示しており、望ましくないとの見解を示したのはわずか3%のみであった[7]。
2018年時点で、日本企業500社以上がブラジルに進出している[8]。
2021年10月12日、ブラジル政府から元皇族の小室眞子(皇籍離脱前は眞子内親王)にリオ・ブランコ勲章大十字型章が授与された[9]。2018年に日本人移住110周年を迎えたブラジルを公式訪問しており、「友好関係を増進した」として贈られた[9]。宮内庁によると、小室は訪問時の歓迎に改めて感謝し、「日本、ブラジルの友好関係が深まることを願います」と述べた[9]。
外交使節
[編集]駐ブラジル日本大使・公使
[編集]駐日ブラジル大使
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- エリオ・デ・ブルゴス・カバル(1974~1976年、信任状捧呈は12月27日[10])
- フェルナンド・ギマランエス・ヘイス(1996~2001年、信任状捧呈は2月9日[11])
- イヴァン・オリヴェイラ・カナブラーヴァ(2001~2005年、信任状捧呈は7月27日[12])
- アンドレ・マットーゾ・マイア・アマード(2005~2008年、信任状捧呈は12月12日[13])
- (臨時代理大使)ジョアォン・バチスタ・ラナーリ・ボ(2008年)
- ルイス・アウグスト・デ・カストロ・ネーベス(2008~2010年[14]、信任状捧呈は11月19日[15])
- (臨時代理大使)オタヴィオ・エンヒッケ・ジアス・ガルシア・コルテス(2010~2011年)
- マルコス・ベゼーハ・アボッチ・ガウヴォン(2011~2013年、信任状捧呈は3月25日[16])
- (臨時代理大使)アレシャンドレ・ジョゼ・ヴィダウ・ポルト(2013年)
- アンドレ・アラーニャ・コヘーア・ド・ラーゴ(2013~2018年、信任状捧呈は11月7日[17])
- (臨時代理大使)フランシスコ・ペッサニア・カンナブラヴァ(2018~2019年)
- エドゥアルド・パエス・サボイア(2019[18] ~2022年[19]、信任状捧呈は3月7日[20])
- (臨時代理大使)フランシスコ・ペッサニヤ・カンナブラヴァ(2022年)
- オタヴィオ・エンヒッケ・ジアス・ガルシア・コルテス(2022年~、信任状捧呈は10月28日[21])
出典
[編集]- ^ a b “2017 BBC World Service poll” (PDF) (英語). BBCワールドサービス. p. 20 (2017年7月4日). 2017年7月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月26日閲覧。
- ^ Kodansha encyclopedia of Japan, (1983)
- ^ Helen Lanto Quan (2002), Finance, diplomacy and development: a study of Brazilian-Japanese relations in the twentieth century, University of California
- ^ Takayo Yamada (1996), The economic relations between Brazil and Japan: the role of foreign direct investment (dissertation submitted in part requirement for the degree Master of Business Administration, Department of Management Studies, University of Glasgow), University of Glasgow
- ^ The Japanese economy, M.E. Sharp, (2002), "The largest amount of Japanese migrants worldwide is found in Brazil"
- ^ 「大口総領事、無事に帰還 四日ぶり、元気で 最後まで緊張の駆引」『朝日新聞』昭和45年(1970年)3月16日夕刊、3版、1面
- ^ “Views of China and India Slide While UK’s Ratings Climb: Global Poll” (PDF) (英語). BBCワールドサービス. p. 25 (2013年5月22日). 2013年9月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月26日閲覧。
- ^ “Uruguay entra al radar de Japón”. エル・パイス. (2018年2月25日). オリジナルの2018年2月25日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c “眞子さま、ブラジルから勲章 母娘で映画鑑賞も”. 時事通信. (2021年10月12日). オリジナルの2021年10月16日時点におけるアーカイブ。
- ^ 外務省情報文化局『外務省公表集(昭和四十九年)』「六、儀典関係」「35 新任駐日ブラジル連邦共和国大使の信任状捧呈について」
- ^ 信任状捧呈式(平成8年) - 宮内庁
- ^ 信任状捧呈式(平成13年) - 宮内庁
- ^ 外務省: 新任駐日ブラジル連邦共和国大使の信任状捧呈について - 2005年12月9日
- ^ ご引見(平成22年) - 宮内庁
- ^ 外務省: 新任駐日ブラジル連邦共和国大使の信任状捧呈について - 2008年11月18日
- ^ 外務省: 新任駐日ブラジル大使の信任状捧呈 - 2011年3月25日
- ^ 新任駐日ブラジル連邦共和国大使の信任状捧呈 | 外務省 - 2013年11月7日
- ^ “駐日ブラジル大使より着任のご挨拶”. ブラジル特報 (一般社団法人 日本ブラジル中央協会) (通巻1649号): 11頁. (2019年3月) .
- ^ “【2022年5月10日】サボイア駐日ブラジル大使 帰国記念 オンライン講演会”. 一般社団法人 日本ブラジル中央協会. 2022年6月11日閲覧。 “演題:「駐日大使としての3年半を振り返る」(仮題)”
- ^ 駐日ブラジル大使の信任状捧呈 | 外務省 - 2019年3月7日
- ^ 駐日ブラジル連邦共和国大使の信任状捧呈 | 外務省 - 2022年10月28日