聖トマス西と15殉教者
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(日本十六聖人から転送)
聖トマス西と15殉教者 | |
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時代 | 寛永年間 |
殉教日 | 1633年~1637年 |
殉教場所 | 長崎・西坂 |
処刑方法 | 逆さ吊り、火刑、他 |
崇敬する教派 |
カトリック教会 英国国教会 ルーテル教会 |
列福日 | 1981年 |
列福場所 |
フィリピン マニラ |
列福決定者 | ヨハネ・パウロ2世 |
列聖日 | 1987年 |
列聖場所 | ローマ |
列聖決定者 | ヨハネ・パウロ2世 |
記念日 | 9月28日 |
聖トマス西と15殉教者(せいトマスにしと15じゅんきょうしゃ)は、1633年から1637年にかけて長崎で刑死した16名のカトリックの司祭、修道者、信徒で、1987年に列聖された聖人たちのことである。
概説
[編集]江戸幕府による禁教令(キリスト教禁止令)が発布されたことにより、キリシタン摘発の厳しかった1633年から1637年にかけて、長崎で殉教したドミニコ会司祭、修道者、および彼らを助けた信仰者たちの総称である。
のちに日本人司祭として初めて列聖されたトマス西、ヤコボ朝長、ビセンテ塩塚の3人と、修道女の長崎のマグダレナと大村のマリナ、そしてフィリピン人として初の聖人となったロレンソ・ルイスらが含まれている。このうち日本人は9人で、他にスペイン人4人とフィリピン人、イタリア人、フランス人がそれぞれ1人ずつである[1]。
トマス西と15殉教者は1981年2月にフィリピンで列福され、6年後の1987年10月18日、バチカンでローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によって列聖された[1]。
聖人名リスト
[編集]聖トマス西と15殉教者(カトリック中央協議会公式ホームページ)より
- トマス西
- 司祭。1590年、平戸生月出身。1634年11月17日殉教。
- ヤコボ朝長
- 司祭。1582年、大村領杭出津出身。1633年8月17日殉教。
- ビセンテ塩塚
- 司祭。生年不詳。長崎出身。1637年9月27日殉教。
- マテオ小兵衛
- 修道士。1615年、長崎(または有馬)出身。1633年10月19日殉教。
- フランシスコ正右衛門
- 修道士。出生地・生年不詳。1633年8月14日殉教。
- 長崎のマグダレナ
- 修道女。1610年(?)、長崎出身。1634年10月15日殉教。
- 大村のマリナ
- 修道女。生年不詳。肥前大村出身。1634年11月11日殉教。
- ミゲル久郎兵衛
- 信徒。出生地・生年不詳。ヤコボ朝長とともに1633年8月17日殉教。
- 京都のラサロ
- 信徒。生年不詳。京都出身。アントニオ・ゴンザレスやロレンソ・ルイスとともに1637年9月29日殉教。
- ロレンソ・ルイス
- 信徒。1600年頃、フィリピン・マニラ出身。1637年9月29日殉教。
- ドミンゴ・エルキシア
- 司祭。1589年、スペイン・ギプスコア県出身。1623年来日。1633年8月14日殉教。
- ルカ・スピリトサント
- 司祭。1594年、スペイン・サモーラ県出身。1623年来日。1633年10月19日殉教。
- アントニオ・ゴンザレス
- 司祭。1593年、スペイン・レオン出身。1636年、琉球に到着、1637年9月23日殉教。
- ミゲル・デ・アオサラサ
- 司祭。生年不詳。スペイン・ギプスコア県出身。1636年、琉球に到着、1637年9月29日殉教。
- ジョルダノ・アンサロネ
- 司祭。1598年、イタリア・シチリア島出身。1632年来日。1634年11月17日殉教。
- ギヨーム・クルテ
- 司祭。1590年、フランス・モンペリエ出身。1636年、琉球に到着、1637年9月29日殉教。
脚注
[編集]関連項目
[編集]- カトリック中町教会(聖トマス西と15殉教者を教会の保護聖人としている。)
- 日本二十六聖人
- 日本のキリシタン一覧