弘前高等学校 (旧制)
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(旧制弘前高等学校から転送)
弘前高等学校 | |
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創立 | 1920年 |
所在地 | 青森県弘前市 |
初代校長 | 秋田實 |
廃止 | 1950年 |
後身校 | 弘前大学 |
同窓会 |
旧制弘前高等学校(ひろさきこうとうがっこう)は、青森県に設立された官立の旧制高等学校。略称は「弘高」。
概要
[編集]沿革
[編集]- 前史
- 1917年9月: 弘前市、文部大臣に高等学校新設の請願書提出。青森県会も建議書採択。
- 1918年9月: 先に山形市への設置が内定。
- 1918年10月: 再度誘致運動。県知事、1920年設置の内諾を取り付け。
- 1919年: 青森市も候補地に名乗り。前県知事の調停で弘前市に一本化。
- 1919年7月: 青森県会、高等学校創立に対する寄附案件採択。
- 地元負担額: 青森県 40万円 (土地 2万坪を含む)、弘前市 5万円、個人 5万円。
- 1920年9月: 富田村 (現 弘前市) の校地にて校舎着工。
- 弘前高等学校
- 1920年11月26日: 弘前高等学校設立。
- 1921年2月4日: 鵬の校章制定。
- 1921年4月16日: 仮校舎 (弘前市公会堂) で開校式。
- 仮寮は市内西茂森町・新寺町の寺 8ヶ所。
- 1922年4月: 北溟寮完成。
- 1923年末: 生徒により社会思想研究会結成。
- 1924年1月: 校舎落成式を挙行。
- 1924年3月: 第1回卒業。同窓会を設立。
- 1925年6月: 外国人教師館竣工 (現存、登録有形文化財)。
- 1928年6月: 『弘高新聞』 創刊。
- 1928年11月: 校友会、「弘高会館」 設立案を承認 (十和田湖畔)。
- 1929年2月: 校長による弘高会館建設資金流用疑惑が報道される (18日)。
- 19日-22日、生徒ら同盟休校。25日、校長休職で落着。
- 1930年1月: 共産青年同盟活動容疑で生徒 9名検挙。
- 3月処分: 放校 3名、諭旨退学 3名、無期停学 2名、戒飭 8名。
- 1930年末: 演劇研究会、左翼活動を理由に解散を命じられる。
- 1931年2月: 左翼活動により十数名検挙。
- 3月処分: 放校 3名、諭旨退学 5名、無期停学 1名。
- 1932年2月: 『弘高新聞』、第20号で終刊。
- 1932年6月: 社会科学研究グループ 12名を含む 31名検挙。
- 8月処分: 諭旨退学 6名、無期停学 5名、戒飭 6名、訓戒説諭 12名。
- 1933年7月: 左翼活動家 田中清玄 (4回卒)、獄中で転向。
- 1935年2月: 左翼学生処分: 諭旨停学 2名、戒飭 5名。
- 弘前高等学校における戦前の左翼活動は終焉。
- 1940年11月: 『図南歌』 発表 (中村高雄 作詞、明本京静 作曲)。
- 1942年9月: 戦時措置による最初の繰上卒業。
- 1943年1月: 2年制に短縮。
- 1944年10月: 図南寮竣工。11月開寮。
- 1945年11月: 校長排斥運動で同盟休校 (16日-26日)。校長交代で落着。
- 1946年2月: 3年制に復帰。
- 1948年4月: 弘高自治会結成。
- 1949年3月: 第28回生、1年修了で離校。
- 1949年4月: 講師への辞職勧告問題発生。
- 共産党入党表明講演を行った関戸講師に対し、校長が辞職勧告。
- 5月16日-6月13日、生徒ら同盟休校。処分: 放校 3名ほか。
- 1949年5月: 新制弘前大学に包括される。
- 旧制弘前高等学校は文理学部の母体となった。
- 1950年3月: 弘前高等学校、閉校。
歴代校長
[編集]- 初代: 秋田實 (1920年12月 - 1925年3月)
- 第2代: 黒金泰信 (1925年3月 - 1927年7月)
- 第3代: 鈴木信太郎 [1](1927年7月 - 1929年2月)
- 第4代: 戸沢正保 (1929年2月 - 1932年8月)
- 第5代: 中山文雄 (1932年8月 - 1935年4月)
- 第6代: 安齋宏索 (1935年4月 - 1938年4月)
- 第7代: 龍山義亮 (1938年4月 - 1943年9月)
- 第8代: 宇野喜代之介 (1943年9月 - 1945年11月24日[2])
- 前・都立高等学校校長。
- 第9代: 安齋宏索 (1945年11月24日[2] - 1946年10月 公職追放)
- 再任。前・浦和高等学校校長。
- 校長事務取扱: 久野眞吉 (1946年10月 - 1947年5月)
- 第10代: 栗原一男 (1947年5月 - 1950年3月)
校地の変遷と継承
[編集]1921年の開校当初は弘前市公会堂 (弘前市蔵主町) を仮校舎として使用した。富田村 (現 弘前市文京町) に建設中の本校舎が 1923年末までに完成し、移転した。以後、同校地は旧制弘前高等学校廃止まで使用され、後身の弘前大学に引き継がれた (現 文京町地区)。
著名な出身者
[編集]学者
[編集]- 大石義雄 - 憲法学者(3回卒)
- 山本時男 - 生物学者(3回卒)
- 小山正孝 - 中国文学者
- 田中修 - 元・北海学園大学学長
- 高瀬侍郎 - 拓殖大学総長、外交官
- 高橋延清 - 東京大学名誉教授、林学者
- 小栗浩 - 独文学者
- 津田真澂 - 労働問題研究者
- 緑川林造 - 工学者 元北海道工業大学学長
- 奥平康弘 - 憲法学者
- 川村琢 - 農業経済学者
- 工藤圭章 - 建築史学者
- 箕輪成男 - 出版学者
- 安藤良雄 - 経済学者
- 野崎孝 - アメリカ文学者、翻訳家
財界
[編集]- 日高輝 - 山一證券社長(2回卒)
- 岩越忠恕 - 日産自動車社長
- 細井倞 - 同和火災海上保険社長
- 生田幸夫 - 富士紡績社長
- 小川義男 - 住友軽金属工業社長
- 中瀬秀夫 - 日清紡績社長
- 千葉一男 - 王子製紙社長
- 大道寺小三郎 - みちのく銀行頭取
政治家・官僚
[編集]- 宇佐美毅 - 宮内庁長官(1回卒)
- 門叶宗雄 - 3代目防衛事務次官、内務出身
- 田中敏文 - 北海道知事
- 竹内黎一 - 科学技術庁長官
- 池端清一 - 国土庁長官
- 鴨田宗一 - 自由民主党衆議院議員
- 竹中修一 - 自由民主党衆議院議員
- 小林国司 - 自由民主党参議院議員、農林官僚
- 津川武一 - 日本共産党衆議院議員、医師
- 佐藤敬治 - 日本社会党衆議院議員、大館市長
- 鈴木隆夫 - 衆議院事務総長、国立国会図書館長
- 松本作衛 - 農水事務次官、農林漁業金融公庫総裁
- 谷藤正三 - 北海道開発事務次官
法曹
[編集]文化
[編集]- 明本京静 - 音楽家(5回卒)
- 太宰治 - 作家(7回卒)
- 石上玄一郎 - 小説家
- 家城巳代治 - 映画監督(12回卒)
- 鈴木清順 - 映画監督(25回卒)
- 高野斗志美 ー文芸評論家
- 高木恭造 - 日本の方言詩人(津軽弁)、医師
- 中村嘉人 - 日本の文筆家
政治運動家
[編集]- 田中清玄 - 政治活動家(4回卒)
マスコミ
[編集]脚注
[編集]- ^ 京都大学大学文書館企画展 屏風に名を残した教員たち(2012年に開催された企画展の図録)P.18
- ^ a b 『官報』第5664号、昭和20年11月28日。
関連項目
[編集]- 青森師範学校・青森青年師範学校・青森医学専門学校 (旧制)・弘前医科大学 (旧制) - 新制弘前大学の前身校
関連書籍
[編集]- 旧制弘前高等学校同窓会(編) 『旧制弘前高等学校史』 弘前大学出版会、2005年5月。
外部リンク
[編集]- 弘前大学
- 弘前大学 旧制弘前高等学校外国人教師館 - 現存する唯一の弘高時代の建物。
- 旧制弘前高等学校北冥寮 寮歌「都も遠し」(新制弘前大学)
- 華麗なる旧制高校巡礼-旧制弘前高等学校
- 『校長三代』:旧字旧仮名 - 青空文庫 - 太宰治の随筆。歴代校長のうち黒金泰信、鈴木信太郎、戸沢正保についての記述あり。