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旭化成陸上部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
旭化成陸上部
競技種目 陸上競技(長距離種目)
創設 1946年
本拠地 宮崎県延岡市
監督 西村功
ウェブサイト 公式サイト

旭化成陸上部(あさひかせいりくじょうぶ)は、宮崎県延岡市に本拠地を置く、旭化成の実業団陸上競技部である。

全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)で歴代最多25回の優勝を果たしている[1](2020年現在)。

概要

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1992年バルセロナオリンピックで銀メダルを獲得した森下広一の他、宗兄弟谷口浩美川嶋伸次など数々のオリンピック・世界選手権代表を輩出した社会人チームである。全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)では第9回大会に初優勝を飾ったのをきっかけに、3連覇を2回、4連覇を1回、6連覇を2回達成するなど、計25回の優勝を飾っている。特に90年代は、1996年の第40回大会で鐘紡(現在のカネボウ)に僅か1秒差で優勝を逃したのを除けば、全ての大会で優勝を果たしている。ちなみに、この時優勝していれば前人未到の10連覇を達成していた。

しかし21世紀になると、富士通コニカミノルタ中国電力日清食品グループといった新興勢力が台頭し、優勝から長く遠ざかることになる(特に2009年の第53回大会では、富士通や日清食品グループとゴール直前までデッドヒートを演じながら、僅か1秒差の3位に終わり、10年ぶりの優勝を逃した)。

転機となったのは2015年。双子の村山兄弟(謙太紘太)をはじめとする大学駅伝で名を馳せた有力選手7名が加入する大型補強を行うと、2017年の第61回大会で18年ぶり22回目の優勝を飾り、2020年の第64回大会まで4連覇を達成している。

多くの実業団にアフリカからの強力な外国人選手が所属している中、あえて外国人選手を所属させることなく日本人選手だけで戦っていたが、2017年に2名の外国人選手が加入した(以前は中国電力も同様だったが、2016年に外国人選手が加入した)。

監督はOBで1984年ロサンゼルスオリンピックマラソン日本代表の宗猛が2008年4月から2014年3月まで務めていた。後任はOBでコーチを務めていた西政幸が昇格し、宗猛は総監督に就任。なお猛の双子の兄・もかつては監督を務めたが、2020年時点では顧問として弟や後輩らをサポートする。

2020年4月に、2012年までコーチを務め、その後宮崎銀行女子陸上部の監督を務めた西村功が監督に就任。西は副部長に就任しスカウト活動担当となった[2]

同陸上部をきっかけとして整備された「日本一のマラソン練習コース」が、1995年(平成7年)度手づくり郷土賞(自然部門)を受賞[3]

設立・沿革

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1946年創部。1957年の第1回全日本実業団対抗駅伝競走大会(現在のニューイヤー駅伝)に出場[4]、2023年の第67回大会で37年連続60回の出場を果たした。

当初は長距離種目のみならず、トラック・フィールド種目も行っていたが、1983年4月から長距離種目に一本化された。

1990年より延岡市で行われているゴールデンゲームズinのべおかの運営にも深く関わっている(創設当初は主催、現在は協賛)。

実績

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部内最高記録

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種目 記録保持者 記録 大会 年月日
1500m 村山紘太 3分40秒26 全日本実業団対抗陸上競技選手権大会 2016年9月24日
5000m 鎧坂哲哉 13分12秒63 KBC Night of Athletics 2015年7月18日
10000m 相澤晃 27分13秒04 第107回日本陸上競技選手権大会 2023年12月10日
3000mSC 荻野太成 8分31秒021 第106回日本陸上競技選手権大会 2022年6月22日
ハーフマラソン 市田孝 1時間00分19秒 全日本実業団ハーフマラソン 2021年2月14日
マラソン 大六野秀畝 2時間07分12秒 びわ湖毎日マラソン 2021年2月28日

輩出した五輪・世界選手権メダリスト

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男子

女子

全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)成績

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1988年以降のみ掲載。 走者 は区間賞。

総合順位 1区走者 2区走者 3区走者 4区走者 5区走者 6区走者 7区走者
1988年 3位 亀鷹律良 前田直樹 西政幸 宗猛 久保田晃弘 谷口浩美 米重修一
1989年 2位 米重修一 大崎栄 亀鷹律良 児玉泰介 橋口良登 谷口浩美 西政幸
1990年 優勝 谷口浩美 前田直樹 米重修一 亀鷹律良 熊谷哲哉 森下広一 西政幸
1991年 優勝 米重修一 西村功 谷口浩美 久保田晃弘 石本孝幸 森下広一 西政幸
1992年 優勝 大崎栄 米重修一 西政幸 秋吉慎一 石本孝幸 森下広一 谷口浩美
1993年 優勝 佐保希 石本孝幸 熊谷哲哉 田中敏大 米重修一 秋吉慎一 谷口浩美
1994年 優勝 西政幸 高尾憲司 大崎栄 森下広一 石本孝幸 佐保希 谷口浩美
1995年 優勝 高尾憲司 立花和紀 佐保希 谷口浩美 大崎栄 川嶋伸次 西政幸
1996年 2位 大崎栄 高尾憲司 佐藤信之 小島宗幸 立花和紀 川嶋伸次 佐保希
1997年 優勝 小島忠幸 小島宗幸 三木弘 秋吉慎一 佐保希 川嶋伸次 佐藤信之
1998年 優勝 小島忠幸 小島宗幸 佐藤信之 佐保希 高尾憲司 川嶋伸次 秋吉慎一
1999年 優勝 木庭啓 小島忠幸 川越衛 高尾憲司 三木弘 佐藤信之 川嶋伸次
2000年 2位 川越衛 森下由輝 渡辺共則 三木弘 瀬戸口賢一郎 小島忠幸 佐藤信之
2001年 8位 渡辺共則 小島忠幸 瀬戸口賢一郎 三木弘 佐藤信之 佐藤智之 秋吉慎一
2002年 10位 渡辺共則 永田宏一郎 山本佑樹 井出慶 小島忠幸 元田幸祐 堀川佳成
2003年 6位 佐藤信之 永田宏一郎 元田幸祐 佐藤智之 小島忠幸 高尾憲司 渡辺共則
2004年 4位 井出慶 小島忠幸 瀬戸口賢一郎 小島宗幸 佐藤智之 白石賢一 佐藤信之
2005年 15位 大野龍二 小島忠幸 白石賢一 高尾憲司 永田宏一郎 小島宗幸 佐藤智之
2006年 8位 大野龍二 佐藤智之 小島宗幸 久保田満 山本佑樹 白石賢一 瀬戸口賢一郎
2007年 2位 大野龍二 佐藤智之 岩井勇輝 白石賢一 小島忠幸 足立知弥 渡辺共則
2008年 27位 大野龍二 佐藤智之 堀端宏行 久保田満 河添俊司 瀬戸口賢一郎 幸田高明
2009年 3位 大野龍二 瀬戸口賢一郎 岩井勇輝 佐藤智之 佐々木悟 小島忠幸 足立知弥
2010年 8位 大野龍二 荒川丈弘 大西智也 佐藤智之 佐々木悟 足立知弥 幸田高明
2011年 5位 大西智也 白石賢一 深津卓也 佐々木悟 佐藤智之 森賢大 足立知弥
2012年 3位 深津卓也 白石賢一 岩井勇輝 堀端宏行 佐々木悟 荒川丈弘 出口和也
2013年 10位 大西智也 鎧坂哲哉 深津卓也 堀端宏行 佐々木悟 大野龍二 出口和也
2014年 4位 大西智也 八木勇樹 鎧坂哲哉 岩井勇輝 深津卓也 佐々木悟 出口和也
2015年 10位 大西智也 八木勇樹 鎧坂哲哉 佐々木悟 茂木圭次郎 深津卓也 出口和也
2016年 7位 鎧坂哲哉 村山紘太 大六野秀畝 村山謙太 茂木圭次郎 丸山文裕 佐々木悟
2017年 優勝 村山紘太 鎧坂哲哉 大六野秀畝 市田孝 村山謙太 市田宏 佐々木悟
2018年 優勝 茂木圭次郎 アブラハム・キャプシス 市田孝 大六野秀畝 村山謙太 市田宏 鎧坂哲哉
2019年 優勝 村山紘太 アブラハム・キャプシス 鎧坂哲哉 市田孝 村山謙太 市田宏 大六野秀畝
2020年 優勝
(大会記録更新)
茂木圭次郎 アブラハム・キャプシス 市田宏 市田孝 村山謙太 小野知大 鎧坂哲哉
2021年 3位 茂木圭次郎 ベヌエル・モゲニ 大六野秀畝 鎧坂哲哉 村山謙太 小野知大 市田孝
2022年 3位 茂木圭次郎 ベヌエル・モゲニ 相澤晃 市田孝 小野知大 鎧坂哲哉 大六野秀畝
2023年 16位 茂木圭次郎 デービス・キプランガット 大六野秀畝 市田孝 小野知大 市田宏 土方英和
2024年 3位 長嶋幸宝 大六野秀畝 相澤晃 井川龍人 葛西潤 齋藤椋 市田孝

所属選手・スタッフ

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中・長距離

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競歩

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※( )内は所属期間

女子

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  • 2010年3月末をもって2人いた部員が退部して以降、女子部員は2020年1月現在まで不在の状況が続いている[5]

過去の主な所属選手

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男子

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女子

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脚注

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  1. ^ "【ニューイヤー駅伝】旭化成が3度目の4連覇!6区・小野知大が区間新で逆転 25度目の頂点". Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 1 January 2020. 2020年1月1日閲覧
  2. ^ 旭化成陸上部の新監督に西村功氏 西政幸監督は副部長に 産経新聞 2020/3/11
  3. ^ 政策・仕事>総合政策>手づくり郷土賞>これまでの受賞一覧>大分県(竹田市の欄を参照) - 国土交通省。2023年5月3日閲覧。
  4. ^ 全日本実業団対抗駅伝競走大会競技会結果
  5. ^ 名門・旭化成陸上部、女子選手不在に…”. スポーツニッポン新聞社 (2010年4月1日). 2014年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年1月1日閲覧。
  6. ^ 力武敏昌「陸上つわもの列伝 安田 矩明」『月刊陸上競技』第47巻第5号、陸上競技社・講談社、2013年6月、162頁。 安田矩明「私の少年時代」『ジュニア陸上競技』第1巻第8号、ジュニア・スポーツ、1958年12月、10-12頁。 
  7. ^ プラチナ・チケット目指しGO!シドニー五輪女子マラソン出場権争い asahi.com朝日新聞社
  8. ^ 埼玉栄高校全国高校女子駅伝を3連覇した1995年~1997年の間、高校1・2年時にアンカー5区5kmの走者を2年間、高校3年時に1区6kmの走者を務めた(全国高校駅伝女子大会全記録 毎日新聞社)。

参考文献

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  • 「激走」旭化成陸上競技部50年史(1996年

外部リンク

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