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明台寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
明台寺
本堂
所在地 岐阜県大垣市墨俣町墨俣225
位置 北緯35度21分46.97秒 東経136度41分9.79秒 / 北緯35.3630472度 東経136.6860528度 / 35.3630472; 136.6860528
山号 清光山
淸光山
院号 密厳院
密嚴院
宗旨 浄土宗
宗派 浄土宗西山禅林寺派禅林寺末)
本尊 地蔵菩薩
創建年 1126年大治元年)
開基 覚鑁
正式名 清光山密厳院明台寺
(淸光山密嚴院明臺寺)
札所等 西美濃三十三霊場第十九札場
文化財 本文参照
法人番号 8200005004794 ウィキデータを編集
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明台寺(みょうだいじ)は、岐阜県大垣市墨俣町にある浄土宗西山禅林寺派の寺院である。山号は清光山。西美濃三十三霊場第十九番札所。

沿革

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寺伝によれば、嵯峨天皇の在位のころ(弘仁年間という)、現在の大垣市墨俣町上宿にあった墨俣川(現長良川)の古い木橋の橋脚が夜に光っているのが見つかる。調べてみると、長年の風水を受けてあたかも地蔵菩薩像のようになっており、これを草庵にお祀りしたのが始まりという。この像を小野篁が彫り、立派な地蔵菩薩像としたという。

939年天慶2年)、朱雀天皇の勅使がこの地を訪れた際、この地蔵菩薩の由来を聞き、地蔵菩薩像の前で和歌を詠うと、この地蔵菩薩像の口元が微笑んだという。このことからこの地蔵菩薩像を「橋杭笑地蔵菩薩」というようになったという。

1126年大治元年)、覚鑁がこの地を訪れ、清光山 密厳院 明台寺として、真言宗新義真言宗)の寺院として開山する。

1229年寛喜元年)、浄土宗西山禅林寺派に改宗する。

江戸時代初期(慶長年間)、寺院整理により、現在地に移転する。

建物は1891年明治24年)の濃尾地震で倒壊。現在の建物は1907年(明治40年)の再建である。

文化財

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重要文化財(市指定)

  • 土岐悪五郎墓[1]
  • 斎藤利藤墓[1]

他にも土岐悪五郎土岐頼貞の子)、澤井宗白の墓が境内にある。澤井宗白の墓の碑文は頼山陽によるもの。

所在地

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  • 岐阜県大垣市墨俣町墨俣寺町225

交通アクセス

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岐阜バスおぶさ墨俣線、または名阪近鉄バス岐垣線の「墨俣」バス停が最寄である。徒歩5分。

脚注

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  1. ^ a b 指定文化財一覧表” (PDF). 大垣市 (2013年3月1日). 2014年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月15日閲覧。

外部リンク

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