明台寺
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明台寺 | |
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所在地 | 岐阜県大垣市墨俣町墨俣225 |
位置 | 北緯35度21分46.97秒 東経136度41分9.79秒 / 北緯35.3630472度 東経136.6860528度 |
山号 |
清光山 (淸光山) |
院号 |
密厳院 (密嚴院) |
宗旨 | 浄土宗 |
宗派 | 浄土宗西山禅林寺派(禅林寺末) |
本尊 | 地蔵菩薩 |
創建年 | 1126年(大治元年) |
開基 | 覚鑁 |
正式名 |
清光山密厳院明台寺 (淸光山密嚴院明臺寺) |
札所等 | 西美濃三十三霊場第十九札場 |
文化財 | 本文参照 |
法人番号 | 8200005004794 |
明台寺(みょうだいじ)は、岐阜県大垣市墨俣町にある浄土宗西山禅林寺派の寺院である。山号は清光山。西美濃三十三霊場第十九番札所。
沿革
[編集]寺伝によれば、嵯峨天皇の在位のころ(弘仁年間という)、現在の大垣市墨俣町上宿にあった墨俣川(現長良川)の古い木橋の橋脚が夜に光っているのが見つかる。調べてみると、長年の風水を受けてあたかも地蔵菩薩像のようになっており、これを草庵にお祀りしたのが始まりという。この像を小野篁が彫り、立派な地蔵菩薩像としたという。
939年(天慶2年)、朱雀天皇の勅使がこの地を訪れた際、この地蔵菩薩の由来を聞き、地蔵菩薩像の前で和歌を詠うと、この地蔵菩薩像の口元が微笑んだという。このことからこの地蔵菩薩像を「橋杭笑地蔵菩薩」というようになったという。
1126年(大治元年)、覚鑁がこの地を訪れ、清光山 密厳院 明台寺として、真言宗(新義真言宗)の寺院として開山する。
江戸時代初期(慶長年間)、寺院整理により、現在地に移転する。
建物は1891年(明治24年)の濃尾地震で倒壊。現在の建物は1907年(明治40年)の再建である。
文化財
[編集]重要文化財(市指定)
他にも土岐悪五郎(土岐頼貞の子)、澤井宗白の墓が境内にある。澤井宗白の墓の碑文は頼山陽によるもの。
所在地
[編集]- 岐阜県大垣市墨俣町墨俣寺町225
交通アクセス
[編集]岐阜バスおぶさ墨俣線、または名阪近鉄バス岐垣線の「墨俣」バス停が最寄である。徒歩5分。
- JR岐阜駅バスターミナル(東海道本線・高山本線岐阜駅)
- 6番のりば:岐阜バス おぶさ墨俣線 「墨俣」行き
- 名鉄岐阜のりば(名古屋鉄道名古屋本線・各務原線名鉄岐阜駅)
- 1番のりば:岐阜バス おぶさ墨俣線 「墨俣」行き
- 大垣駅前バスのりば(東海道本線・養老鉄道・樽見鉄道大垣駅)
- 2番のりば:名阪近鉄バス 岐垣線 「岐阜聖徳学園大学」行き