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明治時代の義塾の一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

明治時代の義塾の一覧(めいじじだいのぎじゅくのいちらん)では、明治時代日本で「義塾」を称した教育機関(主に私塾私立学校)について述べる。

概要

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中国において「義塾」とは、公衆のために義捐金で運営される学費不要(無月謝)の学塾を意味し、14世紀半ばの末に書かれた陶宗儀輟耕録』にみられるという[1]

日本における「義塾」用例の先駆は、天明7年(1787年)、のちに蝦夷地探検で功績を挙げる当時17歳の近藤重蔵が、同志と協力して年少子弟のために開いた私塾の名称「白山義塾」であるとされる[2]。また、掛川藩儒員・松崎慊堂の日記『慊堂日暦』の文政8年(1825年)1月25日の条、慊堂が桑名藩の儒者広瀬蒙斎を訪れ「義塾の事を議す」との記述、さらに寺門静軒天保3年(1832年)に著した『江戸繁盛記』4篇学校の項にある「官学外儒門の義塾」という記述が比較的初期の用例である[3][4])。なお、文久3年(1863年)には久保田藩(秋田)に国学平田篤胤の門人らにより「雷風義塾」が創設されている。

一方、安政5年(1858年)に福澤諭吉は築地鉄砲州の中津藩江戸藩邸で蘭学塾を開き、10年後の慶応4年(1868年)に芝新銭座(現在の港区浜松町)に移転、以降同塾を「慶應義塾」と称した。

蓋此學を世に拡めんには学校の規律を彼に取り生徒を教道するを先務とす。仍て吾党の士相与に謀て、私に彼の共立学校の制に倣ひ、一小区の学舎を設け、これを創立の年号を取て仮に慶應義塾と名く — 『慶應義塾之記』より

「彼の共立学校の制」とは、英国パブリック・スクールを指すものとされ、従って慶應義塾の「義塾」とは、中国伝統の「義塾」という語に英国の近代私立学校の概念を付加したものと解されている[1]

明治期には、おもに慶應義塾の影響により日本全国で「義塾」を称する私塾が設立されたが、各塾の教授内容は和学皇学・漢学洋学、教育段階は初等教育から中等教育専門教育まで様々であった。なお、『慶応義塾百年史 下巻』によれば、慶應義塾以外にも、明治以前に「義塾」を称する私塾が少なからず創立していたことが判明している[注釈 1]

一覧

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明治期に存在・創立された義塾と名のつく私塾・私立学校は以下の通り(判明している場合、数字は明治暦での創立年[注釈 2]を、* は明治以前創立を示す)[5]

なお、慶應義塾は大阪・京都・徳島に分校を設置したが、それ以外に分校として紹介される私塾は同塾を模倣して「義塾」を使用したに過ぎない。人的交流があったケースもあるが、正確には慶應義塾の分校というのは誤りである[6]

東京都

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区:旧区 名 称
港:芝 慶應義塾*、文会義塾*、時習義塾*、育英義塾01、攻玉義塾(攻玉塾)02、勧学義塾03、日新義塾04、高矣義塾08、育幼義塾06、明八義塾09、照国義塾09、甲申義塾16、文友義塾17、瀕瀏義塾19、督業義塾、有明義塾
港:麻布 有朋義塾08
港:赤坂 鞭駘義塾08、崝巷義塾10
千代田:麹町 培達義塾05、奎運義塾06、清静義塾11、学海義塾14、共賛義塾14、浩然義塾17、数学専脩義塾18、弘毅義塾19、寧静義塾
千代田:神田 共心義塾05、独逸義塾11、明治義塾14、有恒義塾18、興東義塾18、立志義塾18、育英義塾20、共和義塾、北溟義塾、龍門義塾
中央:日本橋 岸俊雄義塾苟新館04
中央:京橋 大成義塾20、英学義塾
新宿:四谷 原田義塾08、博約義塾09
新宿:牛込 北門義塾(北門社明治新塾)02、日就義塾06、隆慶義塾06、大園義塾19
文京:小石川 同人義塾(同人社・中村義塾)06、旭義塾07
文京:本郷 共慣義塾04、簡相義塾05、壬申義塾05、原要義塾06、盍簪義塾08、明倫義塾11、見竜義塾、養源義塾
台東:浅草 共心義塾04、共和義塾06、西坂義塾
台東:下谷 成性義塾*、文明義塾、俊徳義塾14、憲徳義塾14、頴昇義塾
墨田:本所 共貫義塾11、蕉蹟義塾13、洪業義塾13、明数義塾14、江東義塾17、教貫義塾20、天神義塾20、明世義塾20、時習義塾
世田谷 青山義塾06
品川 耕文義塾04

北海道・東北・関東地方

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府県 名 称
北海道 札幌・戴星義塾15、小樽・有隣義塾25
青森 桃李義塾03、東奥義塾05、正蒙義塾07、修道義塾08、時習義塾13、篤敬義塾13、幼習義塾13、啓蒙義塾13、五戸英和義塾22
岩手 江南義塾25
宮城 白石義塾02、仙台義塾13、声振義塾20
秋田 雄勝義塾25
山形 明々義塾13、僣龍義塾13
福島 養才義塾05、三余義塾23、石川義塾25、新郷義塾29、喜多方義塾35、会陽義塾37、双松義塾42
茨城 育英義塾24、興東義塾24、峻徳義塾24、晩翠義塾25、明倫義塾26、奚暇義塾29、菁莪義塾35、修成義塾36、端山義塾38、弘敞義塾40
栃木 啓蒙義塾02、昌徳義塾17、明徳義塾27
群馬 養正義塾12、盈科義塾13、天章義塾16、明治義塾16、幽谷義塾17、回天義塾17、愛性義塾17、明志義塾17、正心義塾19、寒香義塾19、三余義塾19、敢為義塾19、修斎義塾19、訓蒙義塾20、曳尾義塾20、一才義塾21、竹林義塾21、育徳義塾24、和気発育義塾32、共立義塾39、前橋義塾41
埼玉 文開義塾05、良忠義塾13、晩成義塾17、鳴和義塾17
千葉 柳窓義塾*、北総英漢義塾19、成田英漢義塾20、丁亥義塾20、夷水義塾23、龍雲義塾25、実利義塾26、養老義塾26、培達義塾27、有隣義塾38、育英義塾39、明治義塾
神奈川 耕余義塾05、三浦義塾15、育英義塾17、共立義塾19、三留義塾42、奚疑義塾、興道義塾

中部・近畿地方

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府県 名 称
山梨 汎愛義塾*、英学義塾11、三余義塾14、立園義塾14、東冠義塾15、時雍義塾16、有朋義塾27、明道義塾33、天民義塾33
長野 猶興義塾04、高矣義塾12、奨匡義塾13、温故義塾15、日曜義塾18、大同義塾25、小諸義塾26、研成義塾31、北信英語義塾31、桃源義塾35、松濤義塾37、有隣義塾
新潟 赤山義塾*、協同義塾05、癸酉義塾06、菁莪義塾10、協力義塾12、藍澤義塾12、北陸義塾13、以文義塾15、上條義塾15、嵐陰義塾20、琢成義塾21、静修義塾27、蓋簪義塾、南条義塾、北溟義塾、峯岡義塾
富山 共立義塾05、越中義塾14
石川 慶應義塾修学所02、明治義塾04、英学義塾05、戊子義塾21
福井 研成義塾12
岐阜 協和義塾06、学習義塾06、明正義塾06、温故義塾15
静岡 後素義塾*、用行義塾05、朝陽義塾09、有朋義塾11、共進義塾13、原川義塾17、駿南義塾18、不二義塾18、東遠義塾19、三余義塾20、矢村義塾33
愛知 成章義塾04、蜜蜂義塾05、渥美義塾12、正心義塾14、大鳴義塾18、静修義塾18、教半義塾18、巴江義塾20、鈴渓義塾20、嚶鳴義塾26、拾石訓唖義塾31、蓋簪義塾、憲良義塾
三重 鈴木義塾02廃業、久居義塾04、中村義塾04、森義塾04、桑名義塾05、富田義塾07、南五味塚義塾07、桑名育英義塾44
滋賀 九皐義塾10、速成義塾10
京都 京都慶應義塾07、天橋義塾08、文武済美義塾08、文会義塾09、一新義塾11、共学義塾11、研究義塾11、共立義塾12、盈科義塾12、成章義塾13、愛民義塾14、南山義塾14、興風義塾37、晩成義塾
大阪 大阪慶應義塾06、瓊江義塾13、嚶鳴義塾17、関西義塾17、浪花英学義塾17、明治義塾
兵庫 開成義塾01、鳳鳴義塾10、乾行義塾11、神港義塾11、宝林義塾11、就先義塾13、導蒙義塾13、英学商法義塾17、山陰義塾20、廣業義塾22、高谿義塾22、山東義塾23、涵養義塾26、神戸育英義塾35、和洋裁縫義塾36
奈良 竹水義塾
和歌山 常盤義塾42

中国・四国・九州地方

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府県 名 称
岡山 明智義塾05、森田義塾10、報天義塾12、作東義塾32
広島 文海義塾13、有志義塾17、山陽英和義塾22
鳥取 邑美義塾05、山陰義塾18、東伯義塾22、山陰専門義塾
島根 義塾01(加茂村)、義塾01(都万村)、加茂中村義塾03、松江義塾05、包蒙義塾09、共研義塾12、進徳義塾20
山口 移風義塾15、赤間義塾16、希聖義塾18、山口協力義塾21、鴻城義塾22、豊華義塾24、興成義塾27、育英義塾
徳島 徳島慶應義塾08、徳島英語義塾23
香川 屏陽義塾03、九思義塾13
愛媛 義塾13(北宇和郡)、西予義塾14、興民義塾15、栄義塾17、南溟義塾19
高知 鼎立義塾12
福岡 麗川義塾(浦川義塾)*、賢木義塾01、漸強義塾03、銀水義塾09、敬止義塾11、向陽義塾11(元・成美義塾)、春信義塾12、北汭義塾12、来目義塾13、盈科義塾13、明善義塾14、嚶鳴義塾18、洋々義塾41
佐賀 鹿島義塾04、戊寅義塾、黄城義塾(猶興義塾)18
長崎 蜚英義塾*、厳原義塾02、新街義塾02、明親義塾05、英語義塾(柴田英語学舎)17、勝田義塾19、有明義塾32
熊本 含窓義塾01、新川義塾13、神水義塾14、大江義塾15、大原義塾15、貫山義塾17、琢磨義塾21、合志義塾25、城南義塾26、含章義塾32
大分 瓊林義塾13、学思義塾19、明徳義塾21
宮崎 日州義塾21
鹿児島 錦江義塾14、三州義塾15、博約義塾18、講数義塾21、養成義塾23、青藍義塾23、英仏義塾27

脚注

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注釈

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  1. ^ 明治以前創立が判明している私塾は、文会義塾・攻玉義塾・時習義塾(東京・港)、白山義塾(東京・文京)、成性義塾(東京・台東)、汎愛義塾(山梨)で、創立年不詳ながら明治以前と推定される私塾は、高矣義塾(東京・港区)、蓋簪義塾・憲良義塾(愛知)、静修義塾(新潟)、蜚英義塾(長崎)であるという(805頁の解説及び一覧表参照)。但し、高井鴻山が開いた港区の「高矣義塾」は明治8年設立、同10年閉校とされる(信濃史談会編『信濃之人』求光閣書店、1914年、138頁)。
  2. ^ 各府県統計書及び学事年報に記載された創立・開校年は、公式上、私立各種学校としての届出・認可年が記されたケースもあり、その場合、実際の創立はそれ以前に遡る。

出典

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  1. ^ a b 『慶応義塾百年史 上巻』245頁。
  2. ^ 『慶応義塾百年史 上巻』244頁。正しくは「白山義学」か。渋江抽斎・森立之『經籍訪古志』安政3年(国書刊行会編刊『解題叢書』1916年所収、10頁)及び村尾元長『近藤守重事蹟考』1893年、2頁を参照。中国語では義学と義塾は同義。
  3. ^ 幕末・維新学校研究会『幕末維新期における学校の組織化に関する総合研究1』1990年所収の名倉英三郎論文参照。
  4. ^ 慶應義塾豆百科』 No.8 「義塾」という名のおこり
  5. ^ 『慶応義塾百年史 上巻』246-254頁、及び『同 下巻』805-813頁。その他、明治期の各府県統計書及び学事年報、各府県・市町村編纂の教育史書を参照。
  6. ^ [ステンドグラス] 各地の義塾」『塾』第213号、慶應義塾、1998年7月、2015年3月11日閲覧 

参考文献

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  • 文部省編刊『明治十四年学校幼稚園書籍館博物館一覧表』1882年(特に私立小学校・私立中学校・私立専門学校・私立各種学校一覧表)
  • 文部省編刊『日本教育史資料 八』(卷23 私塾寺子屋表)及び『同資料 九』(卷24 私塾寺子屋表・続)富山房、1904年再販:文部省による学制発布以前に各府県に存在した私塾・寺子屋の調査結果一覧。
  • 慶応義塾編刊『慶応義塾百年史 上巻』1958年(「義塾」と名のつく諸校一覧)
  • 慶応義塾編刊『慶応義塾百年史 下巻』1968年(補遺1「義塾」一覧:上巻一覧の訂正追加)
  • 神辺靖光「学制期における東京府の私立外国語学校 : その形態と継続状況についての一考察」『日本の教育史学』17巻、1974年。

関連項目

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