明治村 (鳥取県八頭郡)
表示
めいじそん 明治村 | |
---|---|
廃止日 | 1915年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 五総村、明治村 → 西郷村 |
現在の自治体 | 鳥取市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 鳥取県 |
郡 | 八頭郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
1,228人 ([1]、1915年) |
隣接自治体 |
五総村、八上村、佐治村 気高郡明治村、岩坪村、砂見村、小鷲河村 東伯郡神中村 |
明治村役場 | |
所在地 |
鳥取県八頭郡五総村大字中井 (五総村明治村組合役場) |
座標 | 北緯35度22分58秒 東経134度07分47秒 / 北緯35.3829度 東経134.12974度座標: 北緯35度22分58秒 東経134度07分47秒 / 北緯35.3829度 東経134.12974度 |
特記事項 | 座標は現在の北村公民館位置 |
ウィキプロジェクト |
明治村(めいじそん)は、鳥取県八頭郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは八上郡に属した。
概要
[編集]現在の鳥取市河原町湯谷・河原町小畑・河原町弓河内(ゆみごうち)・河原町北村に相当する。千代川支流の曳田川流域、および高山・高鉢山の東麓に位置した。
村名は明治期に成立した村であることによる[1]。なお気高郡にも同名の明治村が存在しており、当村の大字北村と気高郡明治村大字河内が隣接していた[2][3]。
藩政時代には鳥取藩領の八上郡曳田郷(ひけたのごう)に属する湯谷村・小畑村・弓河内村・北村があった[4]。
沿革
[編集]- 1881年(明治14年)9月12日 - 鳥取県再置。
- 1883年(明治16年)3月 - 曳田村(後の曳田村→八上村大字曳田)に置かれた連合戸長役場の管轄区域となる[5]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、湯谷村・小畑村・弓河内村・北村が合併して村制施行し、八上郡明治村が発足。旧村名を継承した4大字を編成。五総村および曳田村との組合役場を五総村大字中井村に設置[4][6][7]。
- 1893年(明治26年)3月1日[6]、または4月20日[8] - 曳田村が組合村を離脱したことに伴い、五総村明治村組合役場となる。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、八上郡・八東郡・智頭郡の区域をもって八頭郡が発足し、八頭郡明治村となる。
- 1915年(大正4年)1月1日 - 「明治村大字◯◯村」から大字の「村」を削除し、「明治村大字◯◯」と改称[9]。
- 1915年(大正4年)4月1日 - 五総村と合併して西郷村が発足。同日明治村廃止[10]。
行政
[編集]- 歴代五総村明治村組合村長については五総村を参照。
教育
[編集]備考
[編集]1915年(大正4年)に改称された大字のうち、大字北は河原町発足後の1955年(昭和30年)9月1日に再び大字北村と戻した[11]。
脚注
[編集]- ^ a b 角川日本地名大辞典 鳥取県「明治村(近代)」
- ^ 鳥取県鳥取市河原町北村北村七区 (31201360007) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット(Geoshapeリポジトリ)
- ^ 鳥取県鳥取市河内 (312011860) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット(Geoshapeリポジトリ)
- ^ a b c 河原町誌(河原町誌編集委員会、1986年)
- ^ 府県管轄区域郡区町村名集覧(樋口文治郎、1888年)
- ^ a b 鳥取県町村合併誌(鳥取県、1964年)
- ^ 鳥取県改正市町村名及役場区域 明治22年10月改正(横山敬次郎、1889年)
- ^ 初稿八頭郡誌(八頭郡郷土文化研究会郡誌編集専門委員、1982年)
- ^ 「大字名改称」『官報』1914年11月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「村廃置」『官報』1915年3月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鳥取県告示第463号・河原町の字の名称変更(大字北→大字北村)」『鳥取県公報 第2653号』1955年9月23日(鳥取県立公文書館)