更級村
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さらしなむら 更級村 | |
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廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 埴科郡戸倉町、更級郡更級村 → 埴科郡戸倉町 |
現在の自治体 | 千曲市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(甲信越地方) |
都道府県 | 長野県 |
郡 | 更級郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
5,282人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 更級郡八幡村、上山田町、埴科郡戸倉町、五加村 |
更級村役場 | |
所在地 | 長野県更級郡更級村 |
座標 | 北緯36度29分44秒 東経138度07分20秒 / 北緯36.49567度 東経138.12222度座標: 北緯36度29分44秒 東経138度07分20秒 / 北緯36.49567度 東経138.12222度 |
ウィキプロジェクト |
更級村(さらしなむら)は長野県更級郡にあった村。現在の千曲市大字羽尾・若宮・須坂にあたる。
地理
[編集]歴史
[編集]- 1873年(明治6年)7月 - 羽尾、須坂、若宮三村の学校組合を仙石組に設立。鼎立学校と支校を羽尾、若宮に置く。[1]
- 1879年(明治12年)12月 - 羽尾村の村誌が成り、県に進達。[1]
- 1880年(明治13年) 1月 - 若宮村の村誌が成り、県に進達。[1]
- 1883年(明治16年)12月 - 冠着山が村有林として下付され若宮、羽尾、須坂、上徳間、内川、千本柳の各村で経営。[1]
しかし羽尾村は山麓一帯の所有権を主張。これに対し明治17年2月千本柳、内川、上戸倉、若宮、須坂は米沢瀧兵衛(千本柳)と高松佐源治(若宮)を大総代として共有権確認の訴訟を起こした。明治18年4月長野県始審裁判所は原告敗訴となったが東京控訴裁判所に上告。この日、羽尾との共有権が原告側に認められて確定した。だが判決後も紛争は深刻化し明治20年5月には暴動化寸前まで至ったのを戸倉村の坂井良之助県会議員の調停でようやく落着を見た。
- 1886年(明治19年)4月 - 鼎立学校を羽尾学校と改称。[1]
- 1888年(明治21年)12月19日 - 羽尾村、若宮村、須坂村の合併に当たり、更級村の村名命名について理由書を県に提出。[1]
- 1889年(明治22年)
- 1890年(明治23年)
- 1892年(明治25年)4月1日 - 羽尾尋常小学校を更級尋常小学校に改称。[1]
- 1898年(明治31年)
- 1899年(明治32年)
- 1900年(明治33年)7月1日 - 大谷銀兵衛が村長に就任。[1]
- 1901年(明治34年)6月7日 - 豊城啓次が村長に就任。[1]
- 1904年(明治37年)
- 1906年(明治39年)7月 - 更級小学校5年生以上と同窓会などが学校林に落葉松6600本を植樹。[1]
- 1907年(明治40年)11月 - 更級小学校に仙石区が学有林として3町2反歩を寄付。(仙石区小滝神社記念碑)
- 1908年(明治41年)6月 - 更級小学校の校歌(浅井冽詞、福井直秋曲)制定。[1]
- 1909年(明治42年)6月 - 更級小学校平屋建て校舎が竣工。[1]
- 1910年(明治43年)8月9~11日 - 大豪雨105.4mmを記録する明治期最大の千曲川大洪水。須坂下中島堤防300間欠潰・浸水10町歩・流失家屋1戸・浸水家屋5戸の大災害が発生(明治43年の大水害)。[1]
- 1911年(明治44年)12月15日 - 矢島五郎兵衛が村長に就任。[1]
- 1914年(大正3年)
- 1916年(大正5年)
- 1917年(大正6年)
- 1918年(大正7年)11月 - 羽尾地区に電気無尽が発足。[1]
- 1920年(大正9年)
- 1921年(大正10年)10月29日 - 塚田五作が村長に就任。[1]
- 1922年(大正11年)
- 1924年(大正13年)3月 - 更級小学校本校舎を増築。[1]
- 1925年(大正14年)
- 1926年(大正15年)
- 1927年(昭和2年)
- 4月 - 冠着山共有地100町歩の官行造林が始まる。[1]
- 12月12日 - 中村行治郎が村長に就任。(同上)
- 12月 - 姨捨・上山田間に定期バスが開業。(同上)
- 1929年(昭和4年)
- 1930年(昭和5年)
- 1931年(昭和6年)
- 1935年(昭和10年)
- 1938年(昭和14年)
- 1940年(昭和15年)満州開拓団更級郷136戸が虎林県東安に入植。満蒙開拓青少年義勇軍も更級郡は60名を送出。[1]
- 1941年(昭和16年)
- 1942年(昭和17年)12月31日 - 中村熊三郎が村長に就任。[1]
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)8月24日 - 上水保雄が村長に就任。[1]
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 埴科郡戸倉町と合併し、改めて埴科郡戸倉町が発足。同日更級村廃止。
- 1961年(昭和36年)- 初代村長の意を受けた在京の村出身者らが旧村内の姨捨山冠着宮遙拝所に棄老イメージ払拭と建部大垣の事跡顕彰を願って姨捨孝子観音を建立。
- 2003年(平成15年)9月1日 - 上山田町が更埴市・埴科郡戸倉町と合併して千曲市が発足。
交通
[編集]鉄道路線
[編集]村域を日本国有鉄道の篠ノ井線が通過したが、駅は所在しなかった。
道路
[編集]現在は旧村域を長野自動車道が通過するが、当時は未開通。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 20 長野県
- 「年表・戸倉町の今昔」 戸倉町教育委員会