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有山じゅんじ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
有山じゅんじ
出生名 有山淳司
生誕 (1953-01-04) 1953年1月4日(71歳)
出身地 日本の旗 日本 大阪府
ジャンル フォークソングロックブルース
職業 歌手ギタリスト
担当楽器 ギター
活動期間 1968年 -
共同作業者
公式サイト 有山じゅんじのありやまなぺーじ

有山 じゅんじ(ありやま じゅんじ、本名:有山 淳司1953年1月4日 - )は、日本歌手ギタリスト

略歴

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音楽が楽しい

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大阪府寝屋川市香里園出身。小学生のころから笛が好きで、アマリリスは得意中の得意、鼓笛隊にも参加[1]。洋楽では、姉の影響でドミニクを聞き、「これがおれ(の体の芯(引用者加筆、以下同様))に今もずっと通っているみたい。ずっと、おれ(ギター)弾いてたら『ドミニク、ニク、ニク~』、そんなみたい(な弾き方)になんねん」[注釈 1][注釈 2]と。そして、中学の頃、学校の先生に笛以外の楽器もやれっと言われ[3]、「おばあちゃんに買うても[注釈 3]」らったカワイ[注釈 4]のギターを弾きだした、そのきっかけがマイク真木の「バラが咲いた[注釈 5]

1967年(中二の終わり[1])頃から近所の西岡たかし宅に出入りするようになり、1968年には「五つの赤い風船」に参加[7]、テレビ番組『ヤング720』に出演するなど、しばらく中川イサトとも活動を共にしていた[注釈 6]。しかし、当時はまだ中学生だったため、高校受験を機に脱退。本人によると、「おれのおかんが『(有山が)勉強せんようになったから、バンドやめさせてくれ』言うて、西岡さんに電話してそれで終わり」になったとのこと[注釈 7]

同志社香里高等学校に入学し、1、2年はブラスバンド、3年になり武部行正[注釈 8]と「グループぼく[注釈 9]」を結成する[5]等、様々な音楽を聴きながら過ごし、心斎橋ヤマハ[注釈 10]のアマチュアサークル『ダックス・バンド・クラブ[1]』等で上田正樹石田長生と知り合う[注釈 11][注釈 12]。また、現在まで多大な影響を受けているブラインド・ブレイクを知ったのは、この頃の友達に「こんな雑音ばっかりのレコード聴けへんから、やるわ[注釈 13]」と言われて貰った戦前ブルースコンピレーション・アルバム[注釈 14]だった。

そうして同志社大学に進学する。1971年、武部行正とのデュオ「ぼく」として第3回全日本フォークジャンボリーに出演。翌年に武部が『ゆふすげびとのうた』を発表したが、そのレコーディングに有山も参加し数曲でギターやフルートを演奏[7]

当時の周りの状況としては、同志社大学軽音楽同好会には「ウエストロード」のメンバーが居り[注釈 15]龍谷大学に進学した石田長生は同志社の軽音楽部でギターを弾いていた[11]

有山は、ブルースやラグタイムだけではなく、「フェアポート・コンヴェンション」や「ペンタングル」等のブリティッシュフォークや当時のシンガーソングライターなども好んで聴いていた。大阪市西成区に住んでいた頃、本人曰く「岸里ジェームス・テイラーと呼ばれていた。」

ウイ・アー・サウス・・・・・トゥ・サウス

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そして、上田正樹に誘われる。当時の状況を上田は、「有山との出会いはね、・・・何かのイベントで一緒になったの。ジェイムス・テイラーみたいな感じでやってた。フォークギターを弾いてる人って、リズムのいいかげんなケースが多いんだけど、有山はリズムがすごく良かった。・・・そのとき有山は、まだ同志社大学の学生で」大阪府の職員になる考えもあったが、「(上田が)口説いていっしょにやることになった。「サウス」が、かたちになるかならないかの時期」であった、という[注釈 16][11]。「最初は俺(有山)と裕ちゃん(藤井裕)と松浦(善博)[注釈 17]とキー坊の4人で、ドラムなしでブルースをルーツにしたオリジナルをやってたな。その時は「上田正樹グループ」って言うとったな。[注釈 18]

こうして、1973年頃から新バンド結成に向けて動き出していた上田正樹と、1974年「サウス・トゥ・サウス」結成[注釈 19]。当時のライブ・スタイルは、前半が戦前のカントリー・ブルースジャグバンド・ミュージック、ホウカム・ナンバー、ラグタイム風のアコースティック・セット、後半がバンドによるファンクリズム・アンド・ブルースソウルミュージックに影響を受けたファンキーなセットとして2部構成で行われた。有山によると、ライブは「・・・大阪ミナミにあった『バハマ[注釈 20]』っていう店で始めて、京都の『拾得[注釈 21]』でやるようになってだんだん(演奏場所が)広がってい」った[注釈 22]という。

結成当時の状況について藤井裕は、「(「MZA」や「バッド・クラブ・バンド」等「サウス」以前のバンドを)解散して僕(藤井)はキーボー(上田)と一緒に居て、キーボーは、有山じゅんじ(ママ)と一緒にやりたがってて、キーボーが『有山と一緒にせえへんか』ってことになって、僕は『ええよ』って。で僕と有山とキーボーでバンドつくったんです。それが「サウス」の始まりなんです。その時はラグタイムブルースってのを中心にやったんです。・・・で、キーボーが『R&Bもしたいな』って言い出してね。自分もそう思ってるところがあって、じゃ、メンバーもうちょっと集めるかって事になって、それからメンバー集め出したの。」と述べている[13]

また山岸潤史は、「上田正樹となかまたち」が毎日の文化ホールでコンサートを行ったときに[注釈 23]、上田から「有山ちゅうヤツが居って、・・・(そいつと)いわゆるカントリー・ブルースで、「ホット・ツナ」みたいな、ライ・クーダーとかな、そういうヤツをやんねん」と聞かされ、有山がギター、「(後の)ツイスト」の松浦がスライドを弾いていたのを見たのが有山との初めての出会いであった、と述べる。「イヤイヤ、ああいうスタイルをやるヤツ(バンド)は見たことなかった、おれ。本格的なさぁラグタイムのスタイルやんのさぁ。「憂歌団」は、そのもっと、シカゴ・ブルースのアコースティック版みたいな感じ[注釈 24]やったからなぁ。」[2]

関東でのブルースに関して、有山は「やっぱり、かっこよかったやん、なあ。おれなんか、逆に憧れたけどねえ。「夕焼け楽団」のケンちゃん[注釈 25]のスタイルもそやし、内海さん、「キャロル」の。内海さんのブルースも好きやし。東京は、ああいうブルース」と話すが[11]、このうち井上ケン一に関しては、「サウス」結成当時「(その)ギターに惚れこんで、彼の実家まで押しかけて泊まり込みの勉強をしてきたのはつい最近[注釈 26]」とされる。

1975年6月「上田正樹と有山淳司」名義でアルバム『ぼちぼちいこか[注釈 27]』、1976年1月「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」名義でアルバム『この熱い魂を伝えたいんや』発表。前者ではライブにおけるアコースティック・セットをスタジオで再現。同年発表される「憂歌団」の1stアルバム、「ウエスト・ロード・ブルース・バンド」1stアルバムに先駆けて発表された関西ブルース、ひいてはジャパニーズ・ブルースを代表する[要説明]作品。後者はバンドスタイルのライブ盤である。当初、メンバーは2枚組での発表を考えていた様だが、レコード会社の意向で半年ずらしての発表となったそうである[要説明][注釈 28]

1975年10月12日、NHK教育テレビ若い広場』「雑居時代のヒーロー ‐泉谷しげる‐」で、「サウス」としてのセッションが放送[14]

1976年3月17日-1976年9月22日、日本テレビ系列で水曜日20時から放送された『泣かせるあいつ[注釈 29]』で主題歌と音楽担当。やせた口笛で(前半)と始発電車(後半)とをカップリングしたシングル盤を発表。BGMとしては、後述三枝バージョンのとったらあかんに似た中西ホンキートンクピアノ風の、またドブロの指弾きCome On おばはん風のものや雨の降る夜に風、その他R&Bラグインストが流れていた。

2枚のアルバムと1枚のシングルを残し、1976年7月17日解散[注釈 30]

「サウス」での状況、そして自身の演奏スタイルについて、有山は「「サウス・トゥ・サウス」をやる前は黒人の音楽はブルースしか聞いたことがなかった。だけど、やっぱり裕ちゃんやキー坊とかの影響でソウルばっかり聞き出した。そういう意味では「サウス・トゥ・サウス」に入って良かったと思う。・・・「コモドアーズ」も「アベレージ・ホワイト・バンド」も知らんかった。それで、聞いてて面白いから自分でもやりたなる。で、エレキは気持ちエエしな。音が大きいから。」と、サウスの途中からエレキ・ギターも持ちだしたと話す。「今でも、アコースティックでも音が大きいのは多分キー坊と一緒にやってたからやと思う。・・・キー坊が声をガーと出すと負けそうで腹が立つから、生ギターでも大きな音を出さなあかんのや。」と述べている[注釈 31]

『ぼちぼち』でのギターは、'69年のマーチンO-18にバーカスベリーピックアップをガムみたいな糊で固定して使っていた。「・・・梅田からナンバまでガットに鉄弦張って・・・。(他は)家内の持ってたギター(O-18)をそのまま借りた。(その)ままね、結婚に至りましたけど。」[3]

友とともに

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1977年、中川イサトの『1310[注釈 32]』で、不演唱(ぶるーす)オレンジを共演。

1978年 初のソロアルバム『ありのままじゅんじ』発表[注釈 33]。ブルースやラグタイムに拘らない多彩なスタイルで、自身のアコースティック・ギターの弾き語りを中心に気の置けない友人と一緒に展開。B-1、2[注釈 34]のライブ演奏ディディ ワァ ディディ[注釈 35](作: Arthur Blake)、行くあてなし(作: 尾関真)は、1977年5月2日天王寺野外音楽堂春一番コンサートでのもの。尾関隆(Dobro)、西依一実(Mandolin)とのトリオ編成で行われた[注釈 36]

この頃からはライブ演奏[注釈 37]を中心に活動し[注釈 38]、『スタジオあひる[注釈 39]』での「Accostic(ママ) Guitar School」で講師をつとめていたこともある。また1979年頃からは、内田勘太郎とのユニット「有勘」でも活動している[注釈 42]

1980年10月26日、日比谷野外音楽堂で『SWEET SOUL SHOW』開催[注釈 43]。当日の模様はNHK-FMで同年12月30日に、『'80フォーク・ライブ』の一環として放送された。桂文珍が司会「RCサクセション」が対バンを務めた、上田正樹とサウス・トゥ・サウス再結成ライブである[注釈 45]。残念ながら「RC」とのセッションは・な・か・っ・た・。1部、2部ときっちり別れた構成ではなく、有山は途中可愛い女と呼ばれたいからドブロを持って登場してサムピックで弾き、そしてジャガーをかき鳴らした。

コンサート直前の10月15日には[注釈 46]恵比寿の『NEVERLAND[注釈 47]』において、上田正樹、有山淳司、内田勘太郎、正木五郎中西康晴の面々でライブが行われ、『ぼちぼちいこか』や「有勘」でのナンバーが演奏されている[注釈 53]

1981年4月封切りの『劇場版 じゃりン子チエ』で星勝が音楽を担当しているが、その劇伴には関西のミュージシャンが多く登用され、有山は、アニメ・ミュージック・カプセル・シリーズ『じゃりン子チエ[注釈 54]』のℳ-24「おもしろ遊園地[注釈 55]」で聞こえるギター他を弾いている、と思われる[要出典]

同年 「憂歌団」の『夢・憂歌[注釈 56]』では、「有勘」でのレパートリー、ヘビー・スモーカー(作詞/作曲: 尾関真[注釈 57])、けだるい二人[注釈 58](日本語詞: 有山淳司、作曲: Hoagy Carmichael)、スティーリン[注釈 59](日本語詞: 有山淳司/内田勘太郎、作曲: Gus Cannon)、GOOD NIGHT SWEET HART(作詞: 有山淳司、作曲: 内田勘太郎)に、編曲[注釈 60]等として関わっている。

1988年 「中川イサトと有山じゅんじ」としての競演盤『アフター・アワーズ』発表。

1990年 13年ぶりにソロ・アルバム『聞こえる 聞こえる』を発表。 その経緯を、有山は「音楽はやってたんやで。ソロも・・・バンドもやってた。バイトしながらな。9時から5時まで発掘調査のバイトして、7時から『磔磔[注釈 61]』でライヴ、みたいな感じ。バイトがない時は地方をツアーしてな。僕はそれでいいと思ってた。・・・でも、家内は苦労したやろうね。口では言わんけど」。「そんな頃、僕が37歳やったと思うけど」、『どん底ハウス[注釈 62]』で10年ぶりに会った「「サウス・トゥ・サウス」時代のマネージャーの藤井淳(ジュン)[注釈 63]・・・が言うわけや。『なんでバイトなんかしてるんだ。お前は音楽で行けるんだから、バイトなんか辞めてしまえ、俺がCD出すから』ってな。嬉しかったな。」と述べている[21][5]

1991年「サウス・トゥ・サウス」再々結成(その後'95にも再々々結成)。 同年7月21日京都大学西部講堂でのライブはWOWOWで、『バビロン オブ ロック - 西部講堂伝説 もっとかー!』と題して生中継された[注釈 64]。放送内容は、まず「泉谷しげるとルーザー」の演奏、そして北京一のパフォーマンス[注釈 65]で前座が務められ、講堂脇のテント(楽屋)での会話も映し出されている。ライブでのアンコールにより後の番組が中止された[注釈 66]。またその後LD、2枚組ライブ盤CDやDVDで『シンパイスナ・アンシンスナ』が発表された。

また、同年ソロアルバム『MAKE A JOYFUL NOISE』を発表。古くからのレパートリー、なんだ坂 こんな坂(作: 有山淳司)も音源化された。

1992年4月10日24時20分[注釈 67]から、毎日放送で石田長生プロデュース『放送禁止06ライブ』という、パロディドラマ仕立ての音楽バラエティが放送された[注釈 68]。有山も役名[注釈 69]をもらい、また石田、木村充揮とともに「平成トリオ[注釈 70]」として「あたしは不幸をよぶ女[注釈 71]」、けだるい二人を演奏。

また、同年7月6日放送の、関西テレビ夢の乱入者[25]』第28回[注釈 72]に出演し、「What A Wonderful World」「月光値千金」を演奏。同番組には、1996年2月17日の第68回、1997年3月14日の第75回(最終回)にも出演し、前者は『チキンジョージ』でのライブ収録で、ソロでは「Georgia Bound[注釈 73]」、渡辺香津美、石田とトリオで「Gee Baby, Ain't I Good To You」、「ティーンエイジャー」、けだるい二人杉山清貴を加え「The Weight[注釈 74]」を演奏した。後者ではNORAと一緒に「You've Got A Friends[注釈 75]」等を演奏している。

サルサバンド、「ロス・ルンベロス」との競演盤『Hurry Hurry Hurry』も1992年発表。自身の過去の楽曲を新たな解釈で再演する。

さらに1992年09月、フジテレビ深夜帯の番組『the american guitars』第11回「Martin」が放送され、有山がコメント出演。前年にネックを折って修理したF-50で「およげ!たいやきくん」を爪弾きながら、一服をつける。マーチンの繊細さについて、「・・・(以前O-18の上に坐ってしまい、その時の)響きがねぇ、リバーブが付いて割れますねぇ。」と感心した話をし、RAILROAD JUNJIを演奏する。

1993年 京都『磔磔』で内田勘太郎、ゴンザレス三上をギタリストに迎え、藤井裕らとライブレコーディングされた『レア・ソングス』を発表。

1996年 「加川良 with TE-CHILI」に参加。アルバム『R.O.C.K』発表。ちなみに「TE-CHILI」の名は当時有山も好んで聴いていた「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」の愛称「レッチリ」にちなんだもの[注釈 76]。その名のとおり、加川の代表作を爆音のロックサウンド[注釈 77]で演奏している。

1998年 『あした元気になれ』発表。続いて1999年には木村充揮とのユニット「木村充揮・有山じゅんじ」として、『木村くんと有山くん』を発表。同時期にデビューした二人だが、内田と違いこれまで余り交流はなかったそうである[要出典]

2004年、ソロアルバムとしては6年ぶりとなる『Thinkin' of You』発表。

2008年7月8日、道頓堀の「くいだおれ」閉店。当日シークレット・ライブが開催され、向かって右の上田と左の有山の間に、正木はスネア(小太鼓?)で参加[注釈 79]。当時「有山と上田は、前年より東京・下北沢の『風知空知[注釈 80]』というお店で、定期的にリユニオン・ライブを始めて[26]」おり、この偶然が『ぼちぼちいこか '08』、『ぼちぼちいこか ザ・ムービー』の制作につながる。

2014年10月16日藤井裕[28]、2015年7月8日石田長生[29]が次のステージへ旅立つ。藤井への弔辞は石田が、石田への弔辞は有山が行った[30]。三人は「サウス」結成前後、近所の「文化」に住み互いに行き来していた[注釈 81][注釈 82]

2019年 木村充揮の『ザ・ライブ!』でキムチはできるだけ辛い方がいい(作詞/作曲: 上田正樹、有山淳司)を共演し、キムチが初めて陽の目を見た。

ディスコグラフィー(映像含む)

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ぼく

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  • Various Artists『1971フォーク・ジャンボリーVol.1』(1998年、TOCT-10382-3、東芝EMI。再発: 2003年、IOCI-41018-9、avex-io)
Disc-2: 03. 深い木立に(A.G.)/04. あたたかい木曜日の午後のこと(有山ソロ、Vocal、A.G.)/05. 春の歌(Flute、A.G.)
1971年8月8日、中津川。
サブステージ(ロック)で、中川イサトの前に出演[注釈 83]

サポート

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A面: 02. 風景(A.G.)/03. 円か(マドカ)(A.G.)
B面: 01. 春の歌(A.G.、Classic Guitar、Flute)
西岡たかしプロデュース。

サウス・トゥ・サウスとして

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A面: 大阪へ出て来てから/可愛い女と呼ばれたい/あこがれの北新地/Come on おばはん/みんなの願いはただひとつ/雨の降る夜に
B面: 梅田からナンバまで/とったらあかん/俺の借金全部でなんぼや/俺の家には朝がない/買物にでも行きまへんか/なつかしの道頓堀
「上田正樹と有山淳司」名義。
仲野仁太[注釈 84](テキサスフィドル)、井上茂[注釈 85]ウッドブロック、ファンキースティック[注釈 86])、金子マリ[注釈 87](唄)、妹尾隆一郎(ウイーピング・ハープ)等がサポート。
  • 「始発電車/やせた口笛で」(1976年5月、DRQ 1002、Kitty Record
サウス解散前に発表されたシングル盤。上記『泣かせるあいつ』の主題歌。
Masaki Ueda『ゴールデン☆ベスト Kitty Years & More』(2008年、UPCY-6488/9、USMジャパン)、Disc-1の01、02で聞くことが出来る。

ライブパフォーマンス(演奏日順)

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  • Various Artists『8・8 ROCK DAY[34]の軌跡 ~ソウル・R&B篇~』(1989年、25JC-422、徳間ジャパン。『ベスト オブ 8・8 ROCK DAY ~ソウル・R&B篇~』として再発。2002年、TKCA-72477、徳間ジャパン)[注釈 88]
01. バッド・ジャンキー・ブルース[注釈 89]/02. ほんとにいやになるぜ/03. 負けると知りつつバクチをしたよ[注釈 90](以上1部)/04. Get you when I want you[注釈 91]/05. Licking Stick[注釈 92]/06. Funky Broadway[注釈 93](以上2部)
1974年8月2-3日、びわ湖バレイで開催。
1部: 上田正樹、有山淳司、藤井裕 Elec. Bass、上場正俊 Drums[注釈 94]、ゲスト・プレイヤー: セノオ Weeping Harp。
これらは、『ぼちぼちいこか+6Tracks』のボーナストラックとして聞くことが出来る。
  • 『上田正樹とサウス・トゥ・サウス - 1974ワンステップ・フェスティバル』(2019年、R-18B1086MT、One Step Festival 実行委員会)
タバコが苦い/バッドジャンキーブルース/負けると知りつつバクチをしたよ(以上1部として、上田正樹&有山淳司)/Opening/The Funky Penguin[注釈 95]/Ooo Poo Pah Doo[注釈 96]/Walking The Dog[注釈 97]/Get You When I Want You/Member's Introduction/Licking Stick/Funky Broadway/I Can't Turn You Loose[注釈 98]/Try A Little Tenderness[注釈 99]/Shake[注釈 100](以上2部)
1974年8月9日、郡山開成山で開催。
1部としてのクレジットはないが、おそらく藤井裕 B、宮内良和 Kbd[注釈 101][注釈 102](バッドジャンキーブルースのみ)、上場正俊 ファンキースティック?(負けると知りつつバクチをしたよのみ)。
  • Various Artists『今よみがえる 郡山 - ワンステップ・フェスティバル 1974』(2005年、JRDF-0012、DEAD FLOWER。DVD)
07. Can't Turn You Loose
上記、ワンステップでの映像シンクロしていない[注釈 103]。当該2部では有山は出演していないと思われるが、当時の記録として掲載。
  • 上田正樹『ライブ帝国 上田正樹』(2005年、JPBP-13041、ドリームタイムエンタテインメント。DVD)
09. あこがれの北新地(BONUS TRACK)
1970年代[注釈 104]の「ヤングインパルス」より。スタジオライブ。
上田、有山、中西がフロント、バックには風貌からおそらくクンチョーが立ちリムショット? している? ドラマーは確認困難。
04. ブレイクダウン[注釈 105]
第2回「夕焼け祭り[36]」、1975年8月23-24日、山中温泉水無山スキー場で開催。
当日セットリスト等は不明。有山はまだ登場していない模様であるが、はっきりと確認できない。一部界隈で有名な上田正樹の浴衣衣装が見られるが、画質はかなりマニア向け。
全3巻の内。
  • Various Artists『夕焼け祭り』(2004年、JRDF-0005、DEAD FLOWER。DVD)
12. バッドジャンキーブルース/13. 王・メイコの唄/14. Come On おばはん
仝上ステージ。
ラグタイムセットでも「サウス」全員で演奏[注釈 106]
  • 『この熱い魂を伝えたいんや』(1976年1月、BMC-7001、徳間音楽工業。再発CD: 2007年、TKCA-73244、徳間ジャパンコミュニケーションズ)
A面: オープニング(サウス・トゥ・サウス)/ウ・プ・パ・ドゥ[注釈 107]/最終電車/こわれたコーヒー・カップ/ラブ・ミー・テンダー[注釈 108]
B面: ブレイク・ダウン/むかでの錦三[注釈 109]/わが心のジョージア/お前を離さない[注釈 110]
1975年9月28日、芦屋ルナ・ホール
再々結成ライブ
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  • 『シンパイスナ・アンシンスナ - サウス トゥ サウス '91ライブ』(再発版、2015年9月、AZRC-1006/07、amazon records。CD)
Disc-1: OPENING/OPENING~SOUTH TO SOUTH/THE FUNKY PENGUIN/Love Me Tender/あこがれの北新地/とったらあかん/梅田からナンバまで/Come On おばはん/大阪へ出て来てから
Disc-2: 大阪一番 "\en" Power/Walking The Dog/Ooo Poo Pah Doo/むかでの錦三/お前を救けに行く/Route66/TRY A LITTLE TENDERNESS/I CAN'T TURN YOU LOOSE
1991年7月21日、京大西部講堂。
上記『バビロン オブ ロック』の編集版。
  • 『シンパイスナ・アンシンスナ - サウス トゥ サウス '91ライブ』(2015年9月(発売年等記載なし)、AZRD-1004、amazon records。DVD)
OPENING/OPENING~SOUTH TO SOUTH/Love Me Tender/あこがれの北新地/梅田からナンバまで/大阪へ出て来てから/大阪一番 "\en" POWER/Ooo Poo Pah Doo/お前を救けに行く/I CAN'T TURN YOU LOOSE
1991年7月21日、京大西部講堂。
上記『バビロン オブ ロック』の編集版。

上田正樹と有山淳司、リユニオン

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  • 有山じゅんじと上田正樹『『ぼちぼちいこか '08』フューチャリング くいだおれ太郎』(2008年10月、FUCHI-001、UK.PROJECT
俺の借金全部でなんぼや/梅田からナンバまで/あこがれの北新地/買い物にでも行きまへんか/なつかしの道頓堀/ぼちぼちいこか
「ぼちぼちいこか」は有山(2008年)の書き下ろし。Drums/正木五郎、Woodbass/黒川修(from 「Ban Ban Bazar」)、Chorus/金子マリ。
  • 有山じゅんじと上田正樹『ライブ アット 道頓堀くいだおれ ぼちぼちいこか ザ・ムービー』(2009年、FUCHI-002DV、UK.PROJECT。DVD)
Disc-1(2008年10月22日、道頓堀くいだおれ): 大阪へ出て来てから/あこがれの北新地/可愛い女と呼ばれたい/俺の家には朝がない/50歳/悲しい色やね/HARD TO HANDLE[注釈 111]/むかでの錦三/買い物にでも行きまへんか/俺の借金全部でなんぼや/梅田からナンバまで/おまえを救いにゆく/なつかしの道頓堀/ぼちぼちいこか
Disc-2: 梅田からナンバまで(2008年10月28日、下北沢『風知空知』)/(以降、Promotion Video)なつかしの道頓堀/俺の借金全部でなんぼや/ぼちぼちいこか

サポート(バッキング)

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Various Artists『SHOW WA! ハレンチ・パラダイス[注釈 112]』の3曲目、その他のオムニバス盤で聞くことが出来る。
とったらあかんの桂三枝バージョン。
特に『ぼちぼちいこか』の雰囲気を漂わせているのが、A-3の「街角」。

ソロ(ライブ、オムニバス含む)

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  • 『ありのままじゅんじ』(1978年3月、MKF-1028、Kitty Record。再発CD: 2005年、UKRR-6027、Rice Records)
A面: 今日も元気に/Baby もうすぐ帰るよ/僕ムシャクシャクシャ/ほら あんなに月までブルームーン/めざすは夢の宝島
B面: ディディ ワァ ディディ/行くあてなし/Baby お前が好きだよ/今夜はカキ色の月が[注釈 114]/果てしなく
有山: ボーカル、アコースティック・ギター、スライド・ギター、バンジョー、ドブロ・ギター、リコーダー
サポート、石田長生藤井裕国府輝幸正木五郎中川イサト中西康晴、西依一実、尾関隆、西山速水[注釈 115]松田幸一金森幸介小田急小梅亀淵友香、増本博人[注釈 116]、等々。
  • Various Artists『限りなく透明に近いブルー オリジナルサウンドトラック』(1979年、MKF-1044、Kitty Record。再発CD: 1989年、H25K-20153、Kitty Record)
B面: 02. DAYDREAM[注釈 117]
スライドは長田TACO和承
原作の舞台設定時期に流行っていた洋楽、その心象風景を飾る音楽を、レーベルを越えて日本の各ミュージシャンがカバーし作製されたサントラ[注釈 118]
  • Various Artists『春一番ライブ '79』(再発CD: 2004年、BZCS-9029~30、Bellwood Records)[注釈 119]
Disc-1: 06. Baby お前が好きだよ
1979年5月3-6日、天王寺野外音楽堂。
中西康晴: Piano[注釈 120]
  • 『聞こえる 聞こえる』(1990年、UK-J001、UK.PROJECT)
Be All Right/あつい夏/ウーララ/月の唄が聞こえる/Gooday 今日はSunshine/気持ち/おまえとならうまくやれる/なんでもない なんでもない/鯖、ジン
藤井裕(B)、正木五郎(Dr)、他。
  • 『MAKE A JOYFUL NOISE』(1991年、UKRR-6001、UK.PROJECT)
抱きしめよう[注釈 121]/ぐちぐちぐち/今日もこつこつ/満月の夜/明日考える/RAILROAD JUNJI/MAKE A JOYFUL NOISE[注釈 122]/けだるい2人/そんなにガミガミ/物語を聞かせて/なんだ坂こんな坂/満月の夜Ⅱ(bonus track)
  • 『レア・ソングス』(1993年、UKRR-6009、UK.PROJECT)
大阪も雨に沈んでいるかい/よいしょ、よっこらしょ/星に願いを/ゴーイング・マイ・ウェイ/まちがえる/時代遅れのバースディプレゼント/冷たい風[注釈 123]/ぐるぐるぐる/クリスマス・イン・マイ・ハート/うそじゃない うそじゃない/Baby おまえが好きだよ/ここにいるよ
1993年7月5-6日、京都『磔磔』。
ゴンザレス三上: g、内田勘太郎: g、藤井裕: b、原ボビー隆: key、松井宏: harp。
  • 『あした元気になれ』(1997年、UKRR-6016、UK.PROJECT)
あした元気になれ/パチンコはやめた!!/Guitar Chime[注釈 124]/眠れぬ夜[注釈 125]/狼男の唄/ウォーキン'ダウン・ザ・ストリート/Baby/もえてる/イライラしてる/君に逢いたい/唄は悲しみに勝つ
  • 『Thinkin' of You』(2004年、UKRR-6022、UK.PROJECT)
Ain't Nobody's Business/光る雪/Think of You/ドレミファ、ソッと暮らしてる/It's Only A Paper Moon[注釈 126]/Wabash Rag[注釈 127]/いつかあの娘が戻ってきたら/碧い夜/ありやまな夜だ/Over The Rainbow[注釈 128]/50歳/光る雪(Reprise)
12. TEARS IN HEAVEN[注釈 129]
ag.、flute、humming。使用ギター: MARTIN 2-17(1931)
リットーミュージック刊行「季刊アコースティック・ギター・マガジン」プロデュースによるアコギカヴァー企画アルバム。
  • 『有山じゅんじ ベスト アリ・ヤ・マニア』(2013年、FUCHI-005、006、UK.PROJECT)
Disc-1: 梅田からナンバまで(「上田正樹と有山淳司」)/Baby お前が好きだよ/ディディ ワァ ディディ/今夜はカキ色の月が/時代遅れのバースディプレゼント(未発表、1985ライブ)/気持ち(2012、ニュー・ボーカル&ミックス)/あつい夏(2012、ニュー・ボーカル&ミックス)/ウーララ(2012、ニュー・ボーカル&ミックス)/なんだ坂こんな坂/そんなにガミガミ/抱きしめよう/今夜はカキ色の月が(「LOS RUMBEROUS」feat. JUNJI ARIYAMA)/C'mon 買いもん(「LOS RUMBEROUS」feat. JUNJI ARIYAMA)/クリスマス・イン・マイ・ハート/時代遅れのバースディプレゼント
Disc-2: Saba-Gin(「LOS RUMBEROUS」feat. JUNJI ARIYAMA)/時代遅れのバースディプレゼント(未発表、1993スタジオ)/あした元気になれ/唄は悲しみに勝つ/陽よ 昇れ Let's it shine on(「木村くんと有山くん」)/Ain't Nobody's Business/Think of You/ありやまな夜だ/ぐるぐるぐる(未発表、2003スタジオ、with 「FUJI・MASA[注釈 130]」)/Woo...(未発表、2003スタジオ、with 「FUJI・MASA」)/光の中から笑顔が見えるよ(未発表、2003スタジオ)/くそっ、Blues![注釈 131](未発表、2009スタジオ)/残しとこう(「有山岸」)/元気をだそう(2012、ニュー・レコーディング)/胸があついよ(新曲。2012、ニュー・レコーディング)/のんき(2012、ニュー・レコーディング)/ぼちぼちいこか(2012、ニュー・レコーディング。有山ソロ)
2枚組ベストアルバム。
購入者は、有山演奏(ラジカセ録音)のブラインド・ブレイク、エバーグリーン8曲を聴くことが出来る。
  • 『ありやまなチンチン電車の旅! 阪堺電車一周ライブ』(2016年、AND071、アルファノート。DVD)
Bye Bye Baby Blues/なんだ坂こんな坂/スルメのように生きている/線路は続くよどこまでも/上を向いて歩こう/のんき/ぐるぐるぐる/鯖、ジン/月の唄が聞こえる/ありやまな夜だ/陽よ昇れ Let's it shine On/あこがれの北新地/買い物にでも行きまへんか/みんなの願いはただひとつ/梅田からナンバまで
阪堺電車を貸し切り、走る列車内でのライブDVD。

共演、競演、ユニット、サポート etc.[注釈 132]

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中川イサト

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  • 『1310』(1977年、25AH-186、CBS・ソニー。再発CD: 1991年、SRCL 2048、SONY RECORDS)
A面: 04. 不演唱(ぶるーす)
B面: 06. オレンジ
Acoustic Guitar。
  • 中川イサト・有山じゅんじ『AFTER HOURS』(1988年、NR-5、ナニワ・レコード。再発CD: 2000年、SEAL-010、SEALS RECORDS)
A面: 01. Perugino/03. 不演唱#2/04. C-Rag/05. 夕焼け雲
B面: 01. Chott Tropical/02. Rouler Sa Bosse/04. After Hours/05. 月の唄が聞こえる
Acoustic Guitar、Vocal。A-4、B-5 by 有山じゅんじ。B-1 by 中川イサト and 有山じゅんじ。金森幸介 Chorus on "夕焼け雲"and"月の唄が聞こえる"。
  • 『また恋をしてしまったぼく』(1978年、OFL-48、キングレコード。再発CD: 2004年、BZCS-9047、Bellwood Records。2012年、KICS-2591、Bellwood Records)
曲ごとのクレジットはないが、A面: 02「夜盗のように(Run Like a Thief[注釈 133])」等で、おそらく有山のギターが聞こえる。
藤井裕も参加。中川イサトプロデュース。

大原治三[注釈 134]

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  • 『根無し草』(1979年、NAO-0001、Nao Records)
A面: 04「独り暮らし」で、おそらく有山のギターが聞こえる。
中川イサトプロデュース。
  • Various Artists『春一番ライブ '79』(ibid.[注釈 135]
Disc-2: 02. その際に立ち
有山淳司: Kalimba
  • 『中村よお』(1988年、HLP-0001、HEFFALUMP RECORDS。再発、2000年、SEAL-013、Seals Records他)
A面: 01. LAST-SONG
有山じゅんじ: electric guitar。
  • 「ほんまやね/抱きしめよう」(1990年、CARC-33、TEICHIKU RECORDS
有山は、「ほんまやね」ではボーカルとしてほぼ「雀もいっしょの御堂筋」とだけ歌い、「抱きしめよう[注釈 136]」では作者(編: 藤井裕)としてメインボーカル。
1990年大阪で開催された「国際花と緑の博覧会」に協賛し、服部克久が総監修、石田長生がプロデューサーとして結成、作製されたCDシングル。有山のほか、上田正樹・笹野みちる木村秀勝大上留利子二井原実なぞの女キムチ・北京一 ・東雲マリ[注釈 137]・永井隆・中島らも・マーシーもんたよしのりコング桑田桑名正博桑名晴子山下政人清水興・西田忠彦[注釈 138]大谷令文・ 山岸潤史・内田勘太郎・石田長生・竹田達彦[注釈 139]中村建治GEE2wo・井上敬三[注釈 140]・唐口一之[注釈 141]・ナガオクミ[注釈 142]リクオ・氏永仁[注釈 143]・藤井裕が参加。
  • KYOZO&BUN『トラベリン'・バンド』(1990年、ZO-K 001、ZO RECORD。再発: 2022年、CRCD 5157、CLINCK RECORDS他)
02. 真冬のアロハ・パーティー
Electric Guitar、Vocal、Chorus(X'mas Singersとして): 有山じゅんじ。
1989年X'mas Live テーマ曲。
  • 『わたしがなりたかったもの』(1990年、OPR-9001、Opera Club Office。再発1998年、OPR-9001、ZERO COMMUNICATIONS)
08. たいこばしわたれば
Guitar: 有山じゅんじ、Handclaps: 炭谷昇。

いなますはじめ[注釈 144]

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  • HAJIME INAMASU『ECHOLARIA』(1991年、H-0001、HAIR BAND)
03. ふたりの島/05. ルードボーイ/06. 10月の海
いなますはじめ: Vocal、有山じゅんじ: E. Guitar(Guest Appearance)、わたなべいくお: Background Vocal/Acoustic Guitar、にしやまこういちろう: Piano。
  • 『ひとひら』(1992年、UKRR-6005、RICE RECORDS。下田通信所再発、廃盤)
04. 不思議な気分/07. トビウオ飛んだ/10. 今夜?
有山じゅんじ: ギター、ボビー原: オルガン、山田晴三: ベース・カリンバ、土居正和: ドラムス。07のみ、朴在干: パーカッションも録音。
  • 『ワルツの時間』(2000年、不明、下田通信所、廃盤)

ロス・ルンベロス

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  • ロス・ルンベロス FEATURING 有山じゅんじ『Hurry Hurry Hurry』(1992年、UKRR-6007、UK.PROJECT)
Hurry Hurry Hurry/C'mon 買いもん/Piano Interlude/今夜はカキ色の月が/月の唄が聞こえる/Funny Guy/I'm Insane/La Cita/Gooday 今日はSunshine/SABA-GIN

ZOUND SYSTEM[注釈 145]

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  • 『SHE'S A MYSTIC』(1993年、ZS-9301、ZOUND SYSTEM。1994年、EDCR-708、江戸屋)
02. ALL RIGHT/04. BOAT CLUB ROAD[注釈 146]
JUNJI ARIYAMA: Chorus。04はChorus Arrangeも[注釈 147]

加川良

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  • 『2 [túː]』(1993年、TKCA-70097、Japan Records。再発: 2011年、GRCL-6011、GREEN WOOD RECORDS)
ONE/胸にあふれるこの想い/丘の上/ASIA(夢のおまつり)/オーマイ ダーリン/りんごのひとりごと/本当のこと/たぬきのロクさん/ONE(別バージョン)/星屑の街(再発版ボーナストラック)
エレクトリック&アコースティックギター、バッキング ボーカル 有山じゅんじ(ONE別バージョンは加川弾き語り)[注釈 148]
  • RYO KAGAWA WITH TE-CHILI『R・O・C・K』(1996年、UKRR-6015、UK.PROJECT)
戦争しましょう/教訓Ⅰ/下宿屋/親愛なるQに捧ぐ/アイ&アイ/伝道/冬の星座/女の証し/コスモス
1996年7月10-11日、『バナナホール』。
Ryo Kagawa: vocal、You Fujii: bass、Roger: drums、Junji Ariyama: guitar。
01. ファイト!/07. 舟唄
TE-CHILIとしてバッキング[注釈 149]
  • OKINO, shuntaro『hold still-keep going』(1995年、PSCR-5374、POLYSTAR
07. Get Yourself/08. Life Goes On
Drums: Goro Masaki、Base: Yu Fujii、Guitar: Junji Ariyama、Fender Rhodes: Yasuharu Nakanishi(08)、Hammond B-3: Yasuharu Nakanishi(07、08)。

木村充揮

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  • 『YOU-TONE』(1995年、TOCT-9107、東芝EMI
08. 君とのランデブー/09. オールライト・サン
Dr: 正木五郎、G: 有山じゅんじ、B: 藤井裕、他。別の曲で中西康晴も参加。
  • 木村充揮・有山じゅんじ『木村くんと有山くん』(1998年、UKDL-001、DANDY LION)
あなたも私もブルースが好き/陽よ昇れ(Let's it Shine On)/オッチロリン/秋の空/君の瞳/La-Cana[注釈 150]/ビビッテ・バビッテ・ブー/過ぎたるは及ばざるが如し/(サービス・トラック)[注釈 151]
Vocal/Guitar/Kalimba/6 Strinugs Banjo。陽よ昇れで聞こえる乾いた音が6弦バンジョー(ギターバンジョー)。
05. 胸の中(Whistle
木村充揮、河内博[注釈 152]、渡辺けんぞう[注釈 153]、正木五郎によるバンド。有山は他に、Backing Vocalでも参加。
  • 『30th Anniversary 継続は力 ~オ・カ・ゲ・サ・マ・デ~』(2006年、DEJR-0004、JUST LUCK RECORDS。DVD)
DISC-2: 11. 当たれ! 宝くじ2006[注釈 154]/16. いつか来た町/17. スキップミュージック
2006年2月12日、NHK大阪ホール
with 上田正樹+有山じゅんじ+藤井裕+正木五郎。16、17は出演者全員。
  • 『ザ・ライブ!』(2019年、EDCE-1031、江戸屋)
Disc-2: 07. あなたも私もブルースが好き/08. 陽よ昇れ/09. キムチはできるだけ辛い方がいい/10. けだるい二人(Two Sleepy People)/11. いい感じ/12. シカゴバウンド[注釈 155]/13. 嫌んなった[注釈 156]
2018年4月14日、『風知空知』。
  • 『ブルースを発車させよう』(1997年、TM009-010、友部正人オフィス)
Disc-2: 07. 夕日は昇る/08. 一本道/09. 涙/10. 夜は言葉
1997年9月20日、『バナナホール』。
09. は作曲: 有山じゅんじ。09. 10. A・ギターに加えコーラス。
  • 『ブルースを発車させよう 2』(1998年、ジュゴン企画。VHS)
07. 夕日は昇る/08. 一本道/09. 涙/10. 夜は言葉
全2巻のうち。

KUROメモリアル・アルバム(1997年4月4日逝去。R.I.P)

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  • Various Artists『KUROちゃんをうたう』(1998年、MDCL-1335、ミディ
Disc-2: 13. La-Cana[注釈 157]
有山じゅんじ&ゴンチチ。有山: ボーカル、フルート、アコースティック・ギター。
  • 『WILDERNESS』(1999年、BSR-051、BlueSky Records)
03. Chicken/07. 灯り
アコースティック・ギター、コーラス。

金森幸介[注釈 159]

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  • 『Lost Songs』(2000年、HICK-003、Hickory Wind Records)
06. 摩天楼Bluse
Flute、Electric Guitar。
  • 『金森幸介』(2002年、MDCL-1428、MIDI INC.)
04. 大阪も雨に沈んでいるかい(guitar on 有山じゅんじ)/07. ふたりは(vocals and guitar on 有山じゅんじ)
2002年4月24-25日、5月9日、能勢ルーテル教会
  • 『ほんまかいな』(2001年、XZCS-2009、X.Y.Z. RECORDS)
01. RAG BAG ~ボロボロ紙袋~/03. ナマケモノ/08. Octopus Dreaming ~ しばらくお待ち下さい/12. あんた好みの女
Junji Ariyama (01、03、08: Flute & Voice、12: kuchi-bue)。
  • 『Hobo's Lullaby』(2002年、SYJY-005、PALM STRINGS RECORDS)
01. 500miles[注釈 161]/09. 二月のうた-The New Land[注釈 162]
フルート(木田高介の遺品)。
  • Various Artists『坂庭省悟トリビュート やくそく』(2006年、SYJY-008、PALM STRINGS RECORDS)
坂庭省悟メモリアル・アルバム(2003年12月15日逝去。R.I.P)
12. ぼく
有山じゅんじ(Vocal&Guitar[注釈 163]&虎ちゃん
  • 三宅伸治プロジェクト2『Guitars' talk』(2002年、ENCM-2013、mind box)
01. It's All Right(有山じゅんじ: Vocal、Clap、Flute)/03. さよならだけが人生さ(町から町へ)(有山じゅんじ: Vocal&A.Guitar)
  • 三宅伸治トリビュートアルバム『ソングライター』(2017年、TKCA-74606、徳間ジャパン)
Disc-2: 10. 平気
  • 三宅伸治&Santa Clauses『Rainbow Christmas』(2020年、PCD-18879、Pヴァイン
12. レインボー クリスマス
  • 三宅伸治&Santa Clauses『Rainbow Christmas LIVE』(2022年、PCD-18896、Pヴァイン)
11. ハイボール クリスマス/12. レインボー クリスマス
2021年12月4日、横浜ベイホールで開催されたイベント「Rainbow Christmas 2021」のライブ・アルバム。

シカゴロッカーズ[注釈 164]

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  • 『ナニワジャングル明日はなし』(2006年、XQBA-1001、SILVER BIRCH RECORDS)
09. 上を向いて歩こう[注釈 165](AG。国府テルユキ: ピアニカ)
他、EGでの参加曲は不明。
  • Various Artists『ChicagoRock 12th Anniversary The Osaka Blues』(2014年、SENT-0005、シカゴロック。DVD)
10. Blues![注釈 166] ~ 12年なんかくそくらえ[注釈 167]/14. ギター小僧(ぐぶつwith有山じゅんじ)
10. はソロ(vo. g.)、14. はサポート(g.)。シカゴロック12周年記念ライブ。

金子マリ

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  • 『B-ethics』(2006年、IOCD-20192、AVEX)
02. GIVE, GET PEACE/12. GIVE, GET PEACE -A- Chance
Words music & Arrangement、Acoustic Guitar & Flute。
  • 『金子な理由』(2008年、HW-016、HOME WORK RECORDS)
12. 悲しい色やね
guitar。
  • 『MARI KANEKO 60th BIRTHDAY LIVE 金子な理由』(2015年、TBRD-1201、たっぷり金子な実行委員会。DVD)
03. Give get peace/04. 抱きしめよう[注釈 168]/05. みんなの願いはただひとつ
2014年12月1日、『下北沢ガーデン』。
03は、with 5th element will、05は、with Ban Ban Bazar

Ban Ban Bazar

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  • 『One Day, One Month, One Year!』(2007年、HW-013、HOME WORK RECORDS)
12. スルメのように生きている

藤井裕

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  • 『フジーユー』(2007年、JIYU-001、JIYU RECORDS)
10. 心の中のカード
EG。Dr.、Pf.、Cowbellはイマーノキヨシロー。他、石田や正木五郎等が参加した曲も。

長野友美[注釈 169]

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  • 『何もない日々』(2008年、CXCA-1226、MIDI Creative
04. 明け方のブルース
AG.、Recorder

上田正樹

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  • 上田正樹 with Reggae Rhythm『FINAL FRONTIER』(2009年、VICL-63355、Victor Entertainment
01. Hellow I Love You[注釈 170]
有山じゅんじ: Electric Guitar。他、Sly & Robbie数曲参加。
  • 『俺たちの歌』(2011年、DQC-563、スリーエーミュージック)
01. Bluesと暮らしてる/02. 俺の四季
Vocal、Guitar。妹尾隆一郎: Harp(01)。
  • 『遠ざかる日本(ふるさと)の歌』(2012年、UICZ-4260、USM JAPAN
05. I've been working on the railroad線路は続くよどこまでも)/10. We shall overcome
Electric Guitar: 有山じゅんじ、Drums: 正木五郎、Blues Harp: Weeping Harp Senoh(妹尾隆一郎、05のみ)、他。
01. 心配スナ 安心スナ/04. Hey Brother/05. First Base/07. R&B聞こえてくるよ/08. The Light in Your Eyes/09. Name of The Game/10. Soul to Soul/12. 46憶ページの一枚の物語/13. あなたを感じていたい
有山じゅんじ: Guitar、正木五郎: Drums、藤井裕(R.I.P): Bass(07)、作詞作曲(12)、他。
  • 『そろそろおこか -CARELESS LOVE-』(2010年6月、DDCB-14012、バウンディ)
Disc-1: そろそろおいとこ、Careless Love/Tipitina/皆既日食/よいしょよっこらしょ/Young Boy Blues/ろっかまいばいべいびい/Jamaica Song[注釈 171]/Monday Night In New Orleans/Sukiyaki Blues(上を向いて歩こう)[注釈 172]/残しとこう
細野晴臣(Bass&Vocal on 06、Bass on 08)。
Disc-2: 皆既日食/Tipitina/しょぼくれあかんたれ[注釈 173]/Monday Might In New Orleans/ろっかまいばいべいびい/よいしょよっこらしょ/残しとこう/梅田からナンバまで/よいしょよっこらしょ
Disc-2はDVD。Making Of Album, and more。
  • 『そろそろおこか ~CARELESS LOVE~ TOUR 2010』(2011年、DDBB-14005、バウンディ。DVD)
オープニング/タイトル~皆既日食/よいしょよっこらしょ/ラジオ出演(FM COCOLO)/テネシーワルツ/悲しい色やね[注釈 174]/なつかしの道頓堀/ツアー用リハーサル/世界は日の出を待っている/テネシーワルツ/バッドジャンキーブルース/ジャマイカ ソング/ろっかばいまいべいびー/しょぼくれあかんたれ/梅田からナンバまで/残しとこう/そろそろおいとこ、ケアレスラブ
2010年6月27日、青山『CAY』[注釈 175]
『そろそろおこか -CARELESS LOVE-』発売記念コンサートの模様、等。
  • 有山岸 feat.上田正樹『Bitter Sweet Soul』(2014年9月、PECF-3098、SPACE SHOWER NETWORKS)
I'm Gonna Sit Right Down And Write Myself A Letter/Let's Go Get Stoned/The Dock Of The Bay/Hook Me Up(Japanese Version)[注釈 176]/Brickyard Blues/Take These Chains From My Heart/Baby Don't Push Me/Love T.K.O./もうしんどい from Busted/River Side Blues
  • 『ホーボー・コネクション Vol.1』(2012年、HW-024AV、HOME WORK RECORDS。2CD+1DVD)
CD-2: 07. 気持ち/08. 梅田からナンバまで
DVD: 01. プロローグ~光/18. 梅田からナンバまで/19. 気持ち
2010年11月28日、『下北沢ガーデン』。
リクオ with 有山じゅんじ、バンバンバザール。01は出演者全員。

アサキチ[注釈 177]

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  • 『ぬかるみ天国』(2016年、SPR-001、Spine Records)
12. 靴を磨こう
vo&a.gt.。

石田長生メモリアル・アルバム(2015年7月8日逝去。R.I.P)

[編集]
  • Various Artists『SONGS OF Ishiyan』(2019年、EDCE-1035、江戸屋)
Disc-2: 01. Boat Club Road
有山じゅんじ: ヴォーカル&ギター[注釈 178]。作者、C-rag(Zound System): ヴォーカル&コーラス。

教則アイテム、その他

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VHS

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  • 『アメリカン・ギターズ vol.11 マーティン』(1993年10月、RMAG-11、Rittor Music
1992年、フジテレビで放送された『the american guitars』(Ibid.)シリーズのビデオ化。髪を短くした有山のコメントは撮り直しされ「月の唄が聞こえる」を演奏。中川イサトのコメントや技巧的な演奏も追加されている。

雑誌

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『アコギでクラプトン』に関連した記事がpp.95-101にあり、有山とマーチン2-17の写真が載っている。
  • 「季刊アコースティック・ギター・マガジン VOLUME40」(2009年5月、リットーミュージック・ムック第45号)
付属CDのTrack 01に、「誌上スペシャル・セッション!」(pp.24-48)で紹介されている、おおはた雄一との書き下ろし楽曲「くそっ、Blues!」が録音され、当該TAB譜が本誌pp.35-40に掲載されている[注釈 179]
  • 「ギター・マガジン 第28巻6号」(2007年6月、リットーミュージック)
付属CDのTrack 29-37に、本誌pp.213-223、「名手直伝 誌上スペシャル・セミナー2「有山じゅんじのラグタイムってなんだろう? ~親指をブン・チャッ♪~」」掲載TAB譜に連動した、親指をブン・チャッ♪/ありやまなブン・チャッ♪のテーマ/ラグ・ラ・グラ・グラ/ブン・チャッ♪なブギ/ウキ・ウキ・ブン・チャッ♪/憂鬱な夏のブン・チャッ♪/ウロ・ウロ・ラグ/ラグタイムってなんだろう?/地球があぶないっ!、各楽曲が録音されている。
  • 「ギター・マガジン 第45巻7号」(2024年7月、リットーミュージック)
付属小冊子pp.8-12に、梅田からナンバまでのTAB譜が掲載されている。

DVD

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  • 『有山じゅんじ ラグタイムの流儀 ~弦で紡ぐありやまな音楽~[注釈 180]』(2016年、AND066、アルファノート)
50歳/梅田からナンバまで/陽よ昇れ/親指でブン・チャ♪/Ain't Nobody's Business/買い物にでも行きまへんか/俺の借金全部でなんぼや
各TAB譜付属。
『ありやまなチンチン電車の旅! 阪堺線一周ライブ』から「スルメのように生きてる」と「梅田からナンバまで」が挿入され[注釈 181]、「ぶんちゃっ(難波)」、「リズム&串カツ アガッタ!(東心斎橋)」等飲食店での歓談も。

書籍における発言等

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  • 憂歌団『憂歌団DELUX』(1988年、白夜書房)
「憂歌団は、かっこ悪うてかっこええやん。」pp. 122-123。
  • 永井隆『ENDLESS BOOGIE』(1991年、少年社)
「最初好きになったんは、マイク真木の「バラが咲いた」や。」pp. 38-40。
「"有山じゅんじ"いうジャンルができたらええなと思う。」pp. 107-109。
「バンドのツアーもひとりのツアーもどっちもどっちやな。」p. 127。
「金にうるさい割に、すぐ丸め込まれるっていうタイプやったな。」pp. 148-149。
「おれはもう、今は何してでもずっと歌っていくやろと思う。」pp. 185-186。
  • Live Music JIROKICHI 40th アニバーサリー実行委員会 編『ジロキチ・オン・マイ・マインド ライブハウス高円寺JIROKICHIの40年』(2014年、Pヴァイン)
「ジロキチは人も空気もいい匂い」pp. 66-67。

映画出演

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  • 『とめ子の明日なき暴走』(2012年11月公開[注釈 182]、ビジュアルアーツ専門学校/ムービーワークショップ)
監督: 吉浦敦博[注釈 183]。主人公山田とめ子(演: 宮嶋麻衣)の父親役。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 有山岸『そろそろおこか』DISC-2インタヴュー[2]
  2. ^ 『ラグタイムの流儀』[3]、「ぶんちゃっ」でのインタヴュー。
  3. ^ 永井隆『ENDLESS BOOGIE[4]』、p. 185。
  4. ^ 『アリ・ヤ・マニア』ライナーノーツ内インタヴューより[5]
  5. ^ 「EAZY」のインタビュー[6]、p.4。
  6. ^ 「EAZY」ibid.[6]、p.4では、中学二年生の時、最初のステージがサンケイホールで、「Bマイナーも押さえられへんかった」ので「そういう曲が出てきたら何も弾かんと立ってるだけ」なこともあったと記載されている。「イサトちゃんの横で弾いてたからな。」
  7. ^ 永井、ibid.[4]、p. 40。
  8. ^ 後述『ゆふすげびとのうた』のみ残したシンガーソングライター
  9. ^ のちの中津川でのレコードでは「ぼく」とされている。
  10. ^ 産経新聞2016/06/06[8]より、「ヤマハ心斎橋店は昭和27年にオープンし、53年に建て替えられ、昨年(2015年)3月に閉店。」
  11. ^ 永井、ibid.[4]、p. 40。「その頃、心斎橋のヤマハにアマチュアサークルがあって、おれ(有山)はそこでゴチャゴチャやっとったな。キー坊とか石田(長生)とかもおってな。キー坊は「BST」やってて、おれは「ペンタングル」やって、「アリス」のベーヤン(堀内孝雄)もおってクロスビーのコピーやっとったな。」
  12. ^ 上田正樹『戻りたい過去なんてあらへん』[9]、p.51。「(上田が)石田と出会ったのは、心斎橋のヤマハのスタジオ。石田はまだ高校生で、ヤマハのジャズのギター教室に通ってい」た。
  13. ^ 「EAZY」op.cit.[6]、p.6。「(今、ジャケット見ている)そのレコード聞けへん(か?)。黒人の(曲で、)雨が降ってるの(、)ステレオで聞いてもエエことないから上げる(ママ)わ。」
  14. ^ 「EAZY」ibid.[6]、p.6ではYAZOOの1012番として、ブラインド・ブレイクやタンパ・レッドについて述べられているが、それは品番の表記ミス?。『アリ・ヤ・マニア』ibid.[5]において『Guitar Wizards 1926-1935(YAZOO、L-1016)』と言及されている。「EAZY」p.7では、黒人ギタリストとしてその他ビッグ・ビル・ブルンジィスクラッパー・ブラックウェルらからも強い影響を受けているとも話す。
  15. ^ 永井隆『ドッグ・デイ・ブルース』[10]、p.213。「その(軽音楽)同好会へ行く前に、僕(永井)も小堀も「軽音楽部」を訪ねている。「同志社の軽音」と言えば、ちったァ(ジャズで)名の知られたクラブだった。しかし、「軽音」には入らず同好会へ入った・・・。」
  16. ^ 上田、ibid.[9]、p.72。
  17. ^ オールマン・ブラザース・バンド」の2ndアルバムタイトルをバンド名とした「アイドルワイルド・サウス」のリーダー、スライド・ギタリスト。後に「ツイスト」にも参加。
  18. ^ 永井、op.cit.[4]、p. 40。
  19. ^ 上田、ibid.[9]、p.77。1974年ワンステップ・フェスティバルに出演するまでは、「上田正樹とそのグループ」(等)と名乗っていた。
  20. ^ 西心斎橋アメリカ村で1963年からジャズ喫茶、1972年ライブハウスとして改装。2006年に閉店した。
  21. ^ 大宮下立売下ルにある京都ライブハウスの老舗。1973年2月オープン。
  22. ^ JIROKICHI アニバーサリー実行委員会編『ジロキチ・オン・マイ・マインド[12]』、p. 66。
  23. ^ ソロコンサートであったのか、「ウエストロード」等とのフェスであったのか、山岸が飛び入りしに行ったのかは定かではない。
  24. ^ その頃の感じは、『Blues 1973-1975』(1978年、Showboat。再発CD: 1999年、SWAX-104、sky station)や『LOST TAPES』(2005年、ABCS-91、Absord Music Japan)、『憂歌団』(1975年、Showboat。再発CD: 1999年、SWAX-102、sky station)のリスペクトもの等。
  25. ^ 井上ケン一、井上憲一、ケニー井上、等々。
  26. ^ 『ぼちぼちいこか』のライナーノーツ(増渕英紀)から。1975年6月の少し前となる。
  27. ^ ジャケット写真は道頓堀くいだおれ」前で、くいだおれ太郎を挟んで向かって左手に上田、右手に有山が写っている。
  28. ^ 上田、ibid.[9]、pp.71-77。上田は徳間音工のディレクターから『ムゲン』(MUGEN。赤坂のディスコ。日本で初の黒人バンドの生演奏を堪能しながら踊れる店。高級ゴーゴークラブ)でのライブをレコードにしたいと言われたが、ジャスト・コピーなので出したくない、有山とコピーではないものをやりたいと『ぼちぼちいこか』を二週間で作った、と述べている。
  29. ^ 2024年、BFTD-0478、ベストフィールド、DVD5枚組。
  30. ^ 上田、ibid.[9]、pp.144-145。
  31. ^ 「EAZY」ibid.[6]、p.4。
  32. ^ 1イ、3サ、10ト。
  33. ^ 「EAZY」ibid.[6]、p.7によると、「『ありのままじゅんじ』は"月"か"ベイビー"やねん。」
  34. ^ 再発CDでは、6、7曲目。
  35. ^ 1929年、ブラインド・ブレイク。スペルは「Diddie Wa Diddie」で、「Diddy Wah Diddy」とは別の曲。
  36. ^ 尾関隆は、憂歌団に沖てる夫とともに楽曲提供している兄、尾関真と名古屋で「尾関ブラザーズ[15][16][17][18]」を結成し、関西にもよく来ていた。音源はこの有山らとのものと、Weeping Harp SenohMessin' around』(1976年、再発CD: 2007年、VICL-62497、Victor)の08「You're The One」でサイドを切っているものが残されている。隆のいない「尾関ブラザーズ」としては、Various Artists『NOT THE LAST - LIVE AT OPENHOUSE』(1991、OHST-001~2、酒富蓄音)CD-2、01「シカゴバウンド」(録音: 15th Feb 1991)がある[19]。西依一実は1980年ニュー・ウェーブバンド「ビジネス」を結成。
  37. ^ 当時大阪では、アコースティック・ギタリストがジャムる「ワークショップ」等銘打ったライブイベントも継続的に開催されていた。
  38. ^ 『ぼちぼち』や『ありのままじゅんじ』の曲のほか、松村正秀の「坂道」を好きで演奏したり、「ウォバッシュ・ラグ」(1927年、ブラインド・ブレイク)や「A列車のラグ」(Kenichi Inoue(a.k.a 井上ケン一)『LAZY BABY KENI』(1975年、3A-2019、Showboat。再発CD: 2007年、RATCD-4310、MUSKRAT)A-1のリスペクトバージョン)もよく弾いていた。
  39. ^ 寺田町にあったライブハウス/レンタルホール。1979年-1984年。
  40. ^ 1929年。1943年、「キング・コール・トリオ」他。
  41. ^ 1929年。ファッツ・ウォーラー他。
  42. ^ 手元にあった「プレイガイドジャーナル[20]を見ると、二人でのライブが月に複数回行われており、内田は憂歌団としても活動し、有山はソロでも活動。デュオはその後もぼちぼち続けられ、テーマソングとして「第三の男」を編曲し演奏したり、「天使の歌声有山淳司と悪魔のギター内田勘太郎、「アーリーカーンズ・セレナーデ・バンド」」と名乗ったり、黒田征太郎が割り込んで「黒有勘」と冠したこともあった。レパートリーとしては、やはり『ぼちぼち』や『ありのままじゅんじ』、「憂歌団」のナンバーや他の注釈等にあるもの以外では、「ジー・ベイビー[注釈 40]」や「エノケンの月光価千金」、「エイント・ミスビヘイヴン[注釈 41]」、鯖ジン時代遅れのバースデイプレゼント等も良く演奏されていた。
  43. ^ 上田、ibid.[9]、pp.152-154。
  44. ^ 1965年、「ローリング・ストーンズ」。
  45. ^ 放送曲目は、オープニング・パート1‐サウス・トゥ・サウス/ステージ・マン/ウ・プ・パ・ドゥ/可愛い女と呼ばれたい/俺の借金全部でなんぼや/みんなの願いはただひとつ/モノローグ(上田正樹)/オープニング・パート2/リッキン・スティック/最終電車/むかでの錦三/お前を離さない-サティスファクション[注釈 44]‐お前を離さない/ホールド・オン 抱きしめていよう/大阪へ出て来てから/大阪オン・マイ・マイン(大阪も雨に沈んでいるかい(詩: 金森幸介、曲: 藤井裕))。
  46. ^ その前に、下北沢『スーパーマーケット』(ライブハウス)でもライブがあった。
  47. ^ 恵比寿にあったライブハウス。
  48. ^ 1972年、ボビー・チャールズ
  49. ^ 1966年、パーシー・スレッジ
  50. ^ 1949年、アントン・カラス
  51. ^ 1938年、「ボブ・ハワード・アンド・ヒズ・ボーイズ」他。
  52. ^ 1930年。1960年、レイ・チャールズ他。
  53. ^ 曲目は、[サウス] とったらあかん/[サウス+勘太郎]He's Got All The Whiskey[注釈 48]/When A Man Loves A Woman[注釈 49]/雨の降る夜に/ホールド・オン 抱きしめていよう((当時の)新曲)/[有勘] テーマ(第三の男[注釈 50])/愛想つきたか、ベイビー/今日もデート/[有勘+中西] If Youre Are Viper[注釈 51](勘太郎Vo.)/ダイナ(井上ケン一、ibid.、 A-2のリスペクト、ディックミネバージョン。)/[サウスへ戻る] 大阪へ出て来てから/あこがれの北新地/梅田からナンバまで/[サウス+勘太郎] Georgia On My Mind[注釈 52]/シカゴ・バウンド(「憂歌団」Ver.)/可愛い女と呼ばれたい/俺の借金全部でなんぼや/バッド・ジャンキー・ブルース/なつかしの道頓堀/[アンコール、サウス] Come On おばはん/[再アンコール、サウス+勘太郎] みんなの願いはただひとつ/メイコの唄。 さらにその前日は「憂歌団」が2デイズライブ。
  54. ^ 2008年、CDSOL-1269、ウルトラ・ヴァイヴ
  55. ^ ℳ番号、タイトルはサントラLP『じゃりン子チエ~東宝映画オリジナル・サウンド・トラック~』(1981年、MKF-1068、キティ・レコード)の表記に沿う、とされる。
  56. ^ 1981年、3B-28003、TRIO RECORDS。再発CD: 2023年、CDSOL-2016、SOLID/TRIO/SHOW BOAT他。
  57. ^ 有山バージョン≒有勘バージョンでは「~伊藤つかさよりも~」と歌われていた、こともある。
  58. ^ 1938年、ファッツ・ウォーラー他。
  59. ^ 1929年、「メンフィス・ジャグ・バンド」。
  60. ^ GOOD NIGHT SWEET HARTは編曲: 憂歌団。
  61. ^ 『拾得』と並ぶ、富小路仏光寺下ルにある、京都ライブハウスの老舗。1975年頃からライブ開始。ソロや『有勘』としても、よくライブをしていた。
  62. ^ 京都円町にあったライブハウス。有山のライブは御所の南へ移った時期であったか、と思われる。その後も『アザー・サイド』等名を変え場所を変え、2024年現在一乗寺で『わからん屋』として営業。『アリ・ヤ・マニア』[5]では『どんぞこハウス』と表記されている。
  63. ^ UK.PROJECT創業者。
  64. ^ ここでのバビロンは、ラスタファリズムにおける悪の体制としてのバビロンではなく、メッカの意味でのバビロンである、と思われる。キャプション上は西部講堂のその歴史経過やポジション等について記されているが、映像とはリンクしておらず、一部前日の雨による水たまりの残る、西部講堂でのライブ実況ドキュメンタリーとして鑑賞でき得る。
  65. ^ 講堂前で足場を組みロープを垂らして行われた。
  66. ^ 「サウス」の演奏曲目は、SOUTH TO SOUTH/FUNKY PENGUIN/LOVE ME TENDER/あこがれの北新地/オレの借金全部でなんぼや?(最後、タイミングがズレてしまうが)/とったらあかん/梅田からナンバまで/Come on おばはん/大阪へでてきてから/OSAKA ICHIBAN \EN POWER/WALKIN' THE DOG/Ooo Poo Pah Doo/むかでの錦三/お前を救けにゆく(上田が有山を紹介したところ、まずクンチョーがアップに。有山にパンしたときには有山はお辞儀中)/[アンコール] ルート66/TRY A LITTLE TENDERNESS/[再アンコール] I CAN'T TURN YOU LOOSE。上田はMCとして「Wink」や人生幸朗美川憲一ネタ、「『死ぬ時は別々や』ど」でウケる。なお、上田は再結成について、上田、ibid.[9]、pp.152-153では1980年の再結成はクンチョーがアメリカで行方不明になったのが発見されたことを喜んで行ったとしているが、その'80年のFM放送(編集されたのは当然としても)ではMCやモノローグでもまったく述べられていない。クンチョーは渡米していた期間を'85-'88としており[22]、'91年再結成時の映像では何回かその発見を喜んで述べている。
  67. ^ 当時のチラシ[23]より。
  68. ^ ドラマパートでは石田、有山の他、毎日放送アナウンサーの小池清佐々木美絵や、木村充揮ちわきまゆみ羽野晶紀(声のみ)、清水興野村義男忌野清志郎中島らもらも出演。
  69. ^ 制作局次長: 有山じゅんじ「すでに、これ以上の出世はあきらめ仕事意欲ゼロの男。」
  70. ^ 有山[21]はいう「「平成トリオ」は、平成に変わってすぐ、金森幸介服部緑地野外音楽堂でフリー・コンサートをやるいうんで、呼んでくれてね。で。その3人で出たわけや。ギャラなしの手弁当やったけど、今と違って当時は客席が芝生でね、ええ感じやった。僕たちも気分良く演奏できて、それから「平成トリオ」として定期的にやるようになったわけやね。」
  71. ^ 中川イサトの孫弟子、加藤政彦[24]作。同名タイトルの二枚目アルバム『あたしは不幸を呼ぶ女』(2005年、BEER-0002、PASTA-RECORDS)でCD化。
  72. ^ 回数はwww.es-346.com、Ibid.[25]の記録/考察に従って、初回を0回とカウントしている。
  73. ^ 1929年、ブラインド・ブレイク。
  74. ^ 1968年、「ザ・バンド」。
  75. ^ 1971年、キャロル・キング。ジェームス・テイラー。
  76. ^ てっちり」にもちなんだもの。
  77. ^ 上田、ibid.[9]、p.92。「有山は、(クンチョーとはタイプが違い)フェンダージャガーをギャイーン! みたいな感じで鳴らす。」
  78. ^ 有山じゅんじと上田正樹『ライブアット 道頓堀くいだおれ ぼちぼちいこか ザ・ムービー』[26]番外編。
  79. ^ 当日の様子は「新聞、インターネットでも取り上げられ」、メイン・イベントとして「『ぼちぼちいこか』再開ライブ」が企画されたが、「警察から中止命令が出」て「シークレット・ライブ」となった[注釈 78]」。そのシークレットな模様は、あこがれの道頓堀の一部分のみ「かんさい熱視線[27]」で放送された。
  80. ^ 下北沢のライブハウス。
  81. ^ 有山じゅんじと上田正樹、ibid.[26]Disc-1、インタヴューパート。
  82. ^ 有山は、「有山じゅんじ・インタビュー 「音楽の力」を語る!!」[31]のp.4で「1970年代初めですね。「サウストゥサウス」の『ぼちぼち行こか(ママ)』とかの時は、岸里に2年くらいおりました。天下茶屋とかあの辺りには、キー坊も一時おったけど、石田長生君とか、音楽やる人はあの界隈にたくさんいた。加川良さんとか大塚まさじさんとかなんかはちょっと上がった所でね、みんな近いところに住んでいたんです。」と話している。
  83. ^ 中川イサト[32]「・・・あの、僕の前に出た「ぼく」というグループがですね、あそこのリードギターを弾いてはりました彼がですねぇ。実は、あの「五つの赤い風船」の、一番最初のメンバーのうちの一人やったんです。そういうのは、意外と知らん(ママ)人が少ない(ママ)と思うんですけど。へっへっ。そういうことですわ。」
  84. ^ ペダルスチールで多くの人とセッション。
  85. ^ 「しーちゃん・ブラザース」のリーダー。しーちゃん。
  86. ^ 「正確には椅子を叩いていたのだ[33]。」
  87. ^ ライナーでは、上田正樹&金子ユリと誤植。「下北沢のマリちゃん」との表記もある。
  88. ^ 初出: Various Artists『8・8 ROCK DAY ロックの暑い日』(1974年、YC-5001~5002、徳間音楽工業。2枚組LP)。A面: 01-06。またバッド・ジャンキー・ブルースとファンキー・ブロードウェイのみVarious Artists『ALL ABOUT 8・8 ROCK DAY '74-'76』(1977年、BMC-1007~1008、徳間音楽工業。2枚組LP)のC面: 01、02に記録。
  89. ^ 作者佐藤博もメンバーである「ハックルバック」としての演奏が残されており(SHIGERU SUZUKI & HUCKLEBUCK『1975 LIVE』(2015年、FJSP239/240、ディスクユニオン))、また、佐藤自身のセカンドアルバム『Time』(1977年、LX-7009、日本コロムビア。再発CD: 2012年、TWCP-26、タワーレコード他)でも演奏している。
  90. ^ ポリス・ドッグ・ブルース(1929年、ブラインド・ブレイク)なら、オープンD(E)
  91. ^ 1971年、「アイク&ティナ・ターナー」。
  92. ^ 1968年、ジェームズ・ブラウン
  93. ^ 1967年、ウィルソン・ピケット
  94. ^ 上田、ibid.[9]、p.61、83。「ワンステップ・フェスティバルの映像に残っているのは、彼だね。上場は、現在(2007年)大阪でジャズをやっている。」
  95. ^ 1971年、ルーファス・トーマス
  96. ^ 1970年、ライブアットPJズ、ルーファス・トーマス。
  97. ^ 1970年、ライブアットPJズ、ルーファス・トーマス。
  98. ^ 1965年、オーティス・レディング
  99. ^ 1966年、オーティス・レディング。
  100. ^ 1967年、オーティス・レディング他。
  101. ^ 上田、op.cit.[9]、p.61、86。「宮内は「サウス」を辞めて、アメリカに行ったんじゃなかったんかな。「ダウン・ホーマーズ」とかやっていたね。宮内は当時からジャズとファンクを意識した音を出していた。」
  102. ^ ヨースケ『父、宮内良和のこと。』[35]
  103. ^ 上田、ibid.[9]で、特典DVDとして提供されている。
  104. ^ パッケージには、TVKコピーライトとして1974年との記載がある。
  105. ^ 1971年、ルーファス・トーマス。
  106. ^ ギターソロで有山を撮ろうとしたであろうカメラマンは、カズーを吹くクンチョーをアップにする。
  107. ^ 1970年、ライブアットPJズ、ルーファス・トーマス。
  108. ^ 1956年、エルビス・プレスリー
  109. ^ 政岡としやの漫画『ダボシャツの天』(1973-1975年、「週刊漫画TIMES」、芳文社連載)の登場人物。松田天の兄貴分。
  110. ^ 1965年、オーティス・レディング
  111. ^ 1968年、オーティス・レディング。
  112. ^ 2004年、MTCC-1003、P.S.C.。
  113. ^ 全12曲のうち、01. 野良犬、07. 彼と彼女、03. 街角、12. 家族は『GOLDEN☆BEST~Early Days Selection』(2002年11月、FLCF-3932、FOR LIFE MUSIC ENTERTAINMENT)16-19曲目で聴くことが出来る。
  114. ^ ドロップD
  115. ^ フィドラー。
  116. ^ ベーシスト。西依と「ビジネス」結成。
  117. ^ 再発CDでは8曲目。1966年、「ラヴィン・スプーンフル」。
  118. ^ ちなみにB面: 03の上田正樹「WHEN A MAN LOVES A WOMAN」は、上田『ゴールデン☆ベスト Kitty Years & More』(op.cit.)、Disc-1: 14. で聴くことが出来る。
  119. ^ 初出: Various Artists『最後の春一番 春一番コンサート '79 vol.1』(1979年、SKD-1046、Bellwood Records)、B面: 01。当該vol.1と2を合わせて再発CD化。またオムニバスCD: Various Artists『帰る道はないだろう 春一番スペシャル・セレクション』(1998年、KICS-2237、Bellwood Records)13にも。
  120. ^ 「EAZY」ibid.[6]、pp.3-4。インタヴュアー「春一番の時に中西康晴とやったの面白かったね。」有山「ほんまに、オレはもっとああいった形のものをやりたいねん。・・・。あいつは元々クラシックやろ。・・・(中西は「サウス」で出会った)初めからずっとああいうのを弾いたし、その辺の「息」みたいなのはつかんでくれてると思う。春一番の時も、あいつはその日に来て・・・練習してへん。それでもできるし、そういう自信はあるわ。」
  121. ^ '90「SAKA-O-BAND」シングルの再演。
  122. ^ 1972年、ジェシ・デイヴィス
  123. ^ 1975年、井上憲一。
  124. ^ 1929年、ブラインド・ブレイク。
  125. ^ WHY。1940年、「ジェリー・ロール・モートン・セクステット」。
  126. ^ 1933年、作: ハロルド・アーレン。
  127. ^ 1927年、ブラインド・ブレイク。
  128. ^ 1939年、作: ハロルド・アーレン。ジュディ・ガーランド。
  129. ^ 1992年、エリック・クラプトン。
  130. ^ 藤井裕と正木五郎でのベース&ドラムのユニット。
  131. ^ '09「季刊アコースティック・ギター・マガジン VOLUME40」でのおおはた雄一との書き下ろし曲、ソロ・バージョン。
  132. ^ BRUCE06『コピーライターの頭の中』[37]に示唆を得る。
  133. ^ 1972年、J.D.サウザー
  134. ^ 京都のフォーク・シンガー。
  135. ^ 初出は『最後の春一番 春一番コンサート '79 vol.2』A面: 02。
  136. ^ '91ソロ作『MAKE A JOYFUL TIME』や'15金子マリ『BIRTHDAY LIVE 金子な理由(DVD)』で再演。
  137. ^ ジャズ・シンガー。
  138. ^ 「ハナサカ」のギタリスト。石田の弟子。
  139. ^ ジャズ・ドラマー。
  140. ^ ジャズ・クラリネット奏者。坂田明の師匠筋。
  141. ^ ジャズ・トランペット奏者。
  142. ^ 「ハナサカ」のボーカル。
  143. ^ 「KING SIZE」のドラマー。
  144. ^ 稲増はじめ。奈良のシティロックンローラー。
  145. ^ ジェームズ・ボンとともに、日本人として初めて、1984年レゲエ・サンスプラッシュに参加したレゲエバンド[38]
  146. ^ ここではコーラスであるが、後の石田追悼盤(2019年)ではメインボーカル・ギターで参加。
  147. ^ その他、石田長生がギター、木村充揮がボーカル、島田和夫がドラムスでそれぞれ参加した曲もある。
  148. ^ たぬきのロクさん: ベース 細野晴臣、スティールギター 村上律
  149. ^ 忌野清志郎がサックスとフルート、バッキング・ボーカルで参加。
  150. ^ 同年のV.A.『KUROちゃんをうたう』での「ゴンチチ」との共演、の再演。
  151. ^ なぜか表記されていないが、「星に願いを(1940、ネッド・ワシントンリー・ハーライン)」が演奏されている。
  152. ^ 「KING SIZE」のギタリスト。
  153. ^ ジャズベーシスト。
  154. ^ オリジナルは、憂歌団『Rolling Steady』(1979年、3SB-1013、TRIO RECORDS)。B面: 01。
  155. ^ 1975年、憂歌団。
  156. ^ 1975年、憂歌団。
  157. ^ 同年、木村、有山『木村くんと有山くん』で再演。
  158. ^ 吉野五十一。ドブロのスライドプレイヤー。
  159. ^ 下記CD以外に、CD-R: 有山じゅんじと金森幸介『ふたりは』(2000年、ぽかぽかレコード)や、CD-R: 『ちがう言葉』(2000年、ぽかぽかレコード)が一部で流通。
  160. ^ 元「イタチ」の三井雅弘と、彼の京都産業大学での後輩、大村章(ザビエル大村)とのラグブルースデュオ。
  161. ^ 1961年、ヘディ・ウエスト他。
  162. ^ 1982年、「タッチストーン」等。
  163. ^ そして、おそらく口笛も。
  164. ^ 土居"ベーカー"正和(Dr)プロデュース。南森町の『シカゴロック』(Blues&Soul Bar)に集う面々での、一発録りセッション等インストアルバム
  165. ^ '10有山岸『そろそろおこか』で「Sukiyaki Blues」として再演。
  166. ^ 2009年、有山「くそ、Blues!」。
  167. ^ 2009年、有山「50歳」改。1963年、ボブ・ディラン風に吹かれて。」
  168. ^ '90「SAKA-O-BAND」シングルの再演。
  169. ^ オリジナルのほかには欧州に残る古謡なども歌ったり集めたり、弾き語り。
  170. ^ 1968年、「ドアーズ」
  171. ^ Jamaica Farewell(さらばジャマイカ)。1956年、ハリー・ベラフォンテ
  172. ^ '06「シカゴロッカーズ」『ナニワジャングル明日はなし』「上を向いて歩こう」の再演。
  173. ^ 1976年、「SOOO BAAD REVUE」。
  174. ^ a.k.a 悲しいヨーロッパ、哀愁の色やね。
  175. ^ オープニング/リハーサル(2010年6月22日、大阪SWEET STRINGS STUDIO)テネシーワルツ#2(2010年6月23日、心斎橋『JANUS』)、しょぼくれあかんたれ(2010年6月24日『磔磔』)。
  176. ^ 1994年、ジョニー・ギター・ワトソンに、日本語詞: 有山。
  177. ^ スワンプ・ロック・シンガー。
  178. ^ Zound System オリジナル(1993年)ではコーラス。
  179. ^ 『アリ・ヤ・マニア』(2013年)でソロ・バージョン演奏。
  180. ^ DVD内容は、有山が逐一細かいフィンガリングを説明するというより、彼の手癖等をインタヴュアーとの対話で、映像で確認しながら解いていく。「ほんまやなぁ。考えたことないワ。おっしゃる通りです。・・・」
  181. ^ 編集されている。
  182. ^ 2024年現在、DVD、BD化や配信等為されていない。
  183. ^ フリーディレクター。専門学校で30年以上、映画の事を教えている。

出典

[編集]
  1. ^ a b c TV Bros. WEB「有山じゅんじ PART1「1発でブラインド・ブレイクの虜になってしまった」不定期連載「旅と酒とブルーズと」第一回」無料部分”. 2023年7月30日閲覧。
  2. ^ a b 『そろそろおこか -CARELESS LOVE-』(2010年、DDCB-14012、バウンディ)DISC-2 DVD「インタヴュー」より。
  3. ^ a b c 『有山じゅんじ ラグタイムの流儀 ~弦で紡ぐありやまな音楽~』(2016年、AND066、アルファノート)有山の発言より。
  4. ^ a b c d 永井隆『ENDLESS BOOGIE』(1991年、少年社)。
  5. ^ a b c d e 『有山じゅんじ ベスト アリ・ヤ・マニア』(2013年、FUCHI-005、006、UK.PROJECT)ライナーノーツでの有山インタヴューより。
  6. ^ a b c d e f g 「EAZY」1979 6(1979年、OBCミュージックセンター)pp.3-7、「特集 有山淳司インタヴュー」より。当時のミニコミ誌。なお、編集(切り貼り)のズレが見られる。
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関連項目

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外部リンク

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