木下俊良
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政7年9月5日[1](1795年10月17日) |
死没 | 文化12年10月17日[1](1815年11月17日) |
戒名 | 徳充院殿秀山源英大居士 |
官位 | 従五位下佐渡守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 豊後日出藩主 |
氏族 | 木下氏 |
父母 | 木下俊懋、ウメ |
兄弟 | 俊賢、俊良、俊敦、吉川経礼正室 |
妻 | 有馬頼貴娘国 |
子 | 俊敦 |
木下 俊良(きのした としよし)は、豊後国日出藩12代藩主[1]。正室は有馬頼貴の娘・国。官位は従五位下、佐渡守。
経歴
[編集]文化5年(1808年)2月15日、将軍徳川家斉に拝謁する。文化7年(1810年)3月10日、俊懋の隠居により家督を継いだ。同年12月16日、従五位下・佐渡守に叙任する。文化12年(1815年)10月17日、21歳で死去し[1]、跡を弟の俊敦が継いだ。法号は徳充院殿秀山源英大居士。
系譜
[編集]父母
- 木下俊懋(父)
- ウメ ー 側室(母)
正室
- 国 ー 有馬頼貴の娘
養子
- 木下俊敦 ー 実弟