木下俊泰
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保11年(1726年) |
死没 | 明和5年7月29日(1768年9月9日) |
改名 | 千吉、俊泰 |
別名 | 内蔵助 |
戒名 | 霊詳院 |
墓所 | 東京都港区高輪の泉岳寺 |
官位 | 従五位下大和守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家重、家治 |
藩 | 豊後日出藩主 |
氏族 | 木下氏 |
父母 | 木下俊量、黒川氏 |
兄弟 |
量道、俊在、俊監、俊能、俊泰、 相良長興正室、久留島光通正室、 木下栄俊正室、大久保忠肥正室、 松平義著正室、横山清章正室ら |
妻 | 土岐頼稔娘 |
子 | 俊胤、於久 |
木下 俊泰(きのした としやす)は、豊後国日出藩9代藩主。官位は従五位下、大和守。幼名は千吉。通称は内蔵助。
経歴
[編集]寛延元年(1748年)、先代藩主で兄の俊能が死去したため、その跡を継いだ。公家の接待役を務めたという。俊量の男児2人はいずれも早世していたため、同族の備中足守藩主・木下利忠の娘を養女とし、これに宇都宮藩主・戸田忠余の息子俊胤を結婚させ養嗣子とした。
明和5年(1768年)7月29日、43歳で死去し、跡を俊胤が継いだ。法号は霊詳院。墓所は東京都港区高輪の泉岳寺。
系譜
[編集]父母
正室
- 土岐頼稔の娘
養子、養女