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木佐徳之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
木佐徳之助
きさ とくのすけ
生年月日 1890年10月16日
没年月日 (1969-06-07) 1969年6月7日(78歳没)
出身校 慶應義塾大学[注釈 1]
前職 実業家
称号 正六位
勲五等双光旭日章
親族 父・木佐徳三郎(衆議院議員)
義兄・13代絲原武太郎(貴族院議員)
娘婿・庄司保親(渡村議会議員)
宗教 大社教

当選回数 3回
在任期間 1955年2月5日 - 1967年5月16日

在任期間 1948年 - 1954年
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木佐 徳之助(きさ とくのすけ、1890年明治23年〉10月16日[1][2] - 1969年昭和44年〉6月7日[1])は日本実業家政治家島根県平田市名誉市民。木佐家第9代当主。は旅峰。島根県多額納税者[3]農業[3]位階正六位[2]

経歴

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徳三郎の男[4]慶大に学ぶ[5][注釈 1]農業を営む[3]

雲洋石油株式会社を創設し、1928年昭和3年)社長となり、1945年(昭和20年)帰郷[7]

1948年(昭和23年)に平田町長に就任した[2]1954年(昭和29年)、町長を辞任した[2]1955年(昭和30年)2月5日から1967年(昭和42年)5月16日まで、平田市長を務めた[2]

栄典

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人物像

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宗教大社教[7]。住所は島根県平田市平田町[7]。美術茶道など多方面で造詣深い風流人として知られた。

家族・親族

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木佐家

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島根県平田市平田町[7]

脚注

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注釈

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  1. ^ a b 『人事興信録. 第11版』(昭和12年)上では「慶大理財科豫科出身」、『新日本人物大観』(島根県版)昭和32年(1957年) カ・キ…379頁では「慶大本科中退」となっている[6][7]

出典

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  1. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、328頁。
  2. ^ a b c d e 日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み 第3巻 143コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ a b c 『人事興信録. 13版』(昭和16年)上キ三
  4. ^ a b c d 『人事興信録. 7版』(大正14年)き二四
  5. ^ 学歴について『人事興信録. 第11版』(昭和12年)上では「慶大理財科豫科出身」、『新日本人物大観』(島根県版)昭和32年(1957年) カ・キ…379頁では「慶大本科中退」となっている。
  6. ^ a b 『人事興信録. 第11版』(昭和12年)上キ三
  7. ^ a b c d e f g h i j k 『新日本人物大観』(島根県版) 人事調査通信社 1957年 カ・キ…379頁
  8. ^ 叙勲名鑑 昭和41年秋季版 258コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

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  • 『新日本人物大観』(島根県版) 人事調査通信社 1957年 カ・キ…379頁

外部リンク

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