札幌市立中央中学校
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札幌市立中央中学校 | |
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北緯43度04分04秒 東経141度21分35秒 / 北緯43.06772度 東経141.35969度座標: 北緯43度04分04秒 東経141度21分35秒 / 北緯43.06772度 東経141.35969度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
併合学校 | 札幌市立一条中学校・札幌市立陵雲中学校 |
校訓 | 吾あり 人あり 学びあり |
設立年月日 | 1968年 |
開校記念日 | 9月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | C101210110022 |
所在地 | 〒060-0034 |
北海道札幌市中央区北4条東3丁目 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
札幌市立中央中学校(さっぽろしりつ ちゅうおうちゅうがっこう)は、北海道札幌市中央区北4条東3丁目にある公立中学校。
概要
[編集]1968年9月に、札幌市立一条中学校(札幌市南2条東6丁目に所在)と札幌市立陵雲中学校(札幌市北2条西11丁目に所在)が統合し、札幌市立中央中学校として開校。札幌の都心部にあり、校区周辺にはマンション、会社や商業施設が多く立ち並ぶ。
生徒数は、2017年度は331名(10学級、特別支援学級を除く)であったが[1]、2024年度は474名(17学級、特別支援学級を含む)となっており、市内中心部の公立中学校でありながら、ここ数年間で大幅に増加している。校区内に、近年人口の増加が著しい創成川東地区の大半が含まれていることが、背景にあると見られる[2][3]。
沿革
[編集]札幌市立一条中学校
[編集]- 1947年5月 - 札幌市立一条中学校(札幌市南2条東6丁目)が、札幌女子国民学校[注釈 1]の木造校舎を利用して開校[4]。
- 1948年3月 - 北海道教育部が民間情報教育局の協力を得て、本校をモデルスクール(実験校)に指定[5]。移動制授業、職員室の廃止、教科別準備室の職員室兼用、5日制授業、研究会の開催、研究叢書の発行、地域即応の指導などを行う[6]。
- 1950年4月 - 北海道立札幌女子高等学校(北2条西11丁目)に併設されていた札幌市立第三中学校が廃校になり、残った生徒を受け入れる[7][注釈 2]。この年、39学級、生徒数2,069名[8]。
- 1952年4月 - モデルスクールの任解かれる[9]。
- 1968年8月 - 閉校[10][11]。
一条中学校の校舎は、1969年3月までは中央中学校一条校舎[12]、その後札幌市役所新庁舎建設中「一条庁舎」となった[13]ほか、札幌北陵高等学校の仮校舎[14]、札幌清田高等学校の仮校舎[15]として用いられた後取り壊され、跡地には現在市民ギャラリーとマンションが建っている[16]。
札幌市立陵雲中学校
[編集]- 1954年4月 - 札幌市立陵雲中学校開校、当初は大通小学校(大通西11丁目)・桑園小学校の一部を借用[17][18]。
- 1954年9月 - 移転した北海道札幌北高等学校跡(北2条西11丁目)の木造校舎に移転[17]。
- 1959年 - 新校舎完成[19]。札幌市内の中学校としては初の鉄筋コンクリート地下1階地上3階建て校舎となった[20]。
- 1968年8月 - 閉校[21][11]。
陵雲中学校の校舎は、1969年3月までは中央中学校陵雲校舎[12]、同年7月に札幌市立大通小学校の移転先となり[22]、2004年に大通小学校廃校[23]の後、2005年度には札幌市立円山小学校の校舎改築中の仮校舎[24]、2008、2009年度には同地に新設された市立札幌大通高等学校の暫定校舎として使われた[25]後、取り壊された。
札幌市立中央中学校
[編集]- 1968年9月 - 市内中心部のドーナツ化現象に伴う生徒数減少により、一条中学校と陵雲中学校が統合し、札幌市立中央中学校が開校[12]。新校舎が完成するまでの間は、一条校舎と陵雲校舎に分かれて授業を行う[12]。
- 1969年3月 - 現在地に校舎を新築、移転。体育館を校舎の3-4階に設けた[26]。
- 1978年10月 - 開校10周年記念式典[12]
- 1988年11月 - 開校20周年記念式典[12]
- 1997年11月 - 開校30周年記念式典[12]
- 2017年8月 - 新校舎竣工及び旧校舎より移転開始[12]
- 2018年11月 - 開校50周年記念式典[12]
学校経営の方針
[編集]校訓
[編集]吾あり 人あり 学びあり[27]
教育目標
[編集]- 強い意志をもち、豊かな未来を創造する生徒[27]
- 思いやりをもち、人との結び付きを大切にする生徒
- 自ら学び、確かな知恵を身に付ける生徒
- 忍耐強く、たくましい心身を鍛える生徒
主な行事
[編集]- 4月 - 入学式、着任式
- 5月 - 1年生:校外学習(炊事遠足)、2年生:宿泊学習、3年生:修学旅行
- 6月 - 陸上競技会
- 7月 - 球技大会
- 8月 ー ユニセフ募金運動
- 9月 - 文化祭
- 10月 - 生徒会役員選挙、合唱祭
- 11月 - 進路説明会
- 12月 - 全学年期末懇談会
- 3月 - 卒業式
部活動
[編集]- 運動部
- 野球部
- 女子バレーボール部
- 男子バスケットボール部
- 女子バスケットボール部
- サッカー部
- 文化部
- 吹奏楽部
- 演劇部
- 美術・工芸部
通学区域
[編集]札幌市中央区[28]
- 大通東1丁目~14丁目、西1丁目~13丁目
- 南1条東1丁目~8丁目、西1丁目~12丁目
- 南2条東1丁目~6丁目、西1丁目~4丁目
- 南3条東1丁目~6丁目、西1丁目~4丁目
- 南4条東1丁目~5丁目
- 南5条東5丁目
- 北1条東1丁目~19丁目、西1丁目~13丁目
- 北2条東1丁目~20丁目、西1丁目~13丁目
- 北3条東1丁目~15丁目、西1丁目~13丁目
- 北4条東1丁目~8丁目、西1丁目~13丁目
- 北5条東1丁目~3丁目、西1丁目~13丁目
- 北6条西10丁目~13丁目
- 北7条西11丁目~13丁目
- 北8条西12丁目~13丁目
- 北9条西13丁目
進学前小学校
[編集]- 札幌市立中央小学校[29][注釈 3]
- 札幌市立資生館小学校[29][注釈 4]
- 札幌市立桑園小学校[29][注釈 4]
- 札幌市立苗穂小学校[30][31][注釈 5]
- 札幌市立北光小学校[30][31][注釈 6]
出来事
[編集]その他
[編集]- 本校の生徒は、挨拶に関しては、形だけではなく出来るだけ心のこもった挨拶をするように心がけている。また、ドアを開けて出入りをする際、次の人がいるとそのままドアを押さえて開けておく習わしがある。開けておく人が次々と交代することから、この習わしは「ドアリレー」と呼ばれている。「挨拶」と「ドアリレー」は、本校の伝統として長く引き継がれているものである[33][34]。
- また本校では、毎年修学旅行から列車で帰校する3年生の生徒を、校舎の屋上から1・2年生が黄色いハンカチを振って迎えることが恒例行事となっている。この行事は「黄色いハンカチ」と呼ばれ、1990年代から現在まで途切れることなく行われている[33][35]。
出身者
[編集]- 安倍理津子(歌手、「安倍律子」・「安倍里葎子」の芸名でも活動、旧陵雲中出身)
- 上草義輝(元衆議院議員、旧一条中出身)
- 岡部恒治(数学者、埼玉大学名誉教授、旧一条中出身)
- 勝浦修(将棋棋士、旧陵雲中出身)[36]
- 菊地昌実(フランス文学者、比較文学者、北海道大学名誉教授、旧一条中出身)
- 小菅正夫(元旭山動物園園長、旧陵雲中出身)
- 佐々木一樹(ヴァイオリニスト、旧一条中出身)
- 西村六善(外交官。元外務省欧亜局長、元OECD政府代表部・駐メキシコ・地球環境問題担当各特命全権大使。旧一条中出身)
- 広田レオナ(女優)
- 八木アリサ(モデル)
- 屋敷伸之(将棋棋士)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1930年(昭和5年)に札幌女子高等小学校として開校、1941年(昭和16年)に国民学校令により改称したもの。大通小学校の前身である札幌女子小学校の尋常科・高等科分立時代(1899年〈明治32年〉-1904年〈明治37年〉)に存在した札幌女子高等小学校とは異なる。
- ^ 『札幌教育史 下巻』182頁では第三中学校廃止の時期を「(昭和)24年(1949年)3月」としているが、正しくは昭和25年3月31日である(昭和25年5月22日札幌市告示第55号、『札幌市公報』第563号掲載)。なお、同書187頁では第三中学から一条中学への生徒移籍時期を「(昭和)25年4月1日」としている。
- ^ 通学区域のほとんどが中央中の通学区域に含まれるが一部の通学区域は中島中の通学区域に含まれる。
- ^ a b 通学区域の一部が中央中の通学区域に含まれる。
- ^ 東栄中または美香保中への進学区域の一部に、中央中も選択できる指定変更区域がある。
- ^ 美香保中への進学区域の一部に、中央中も選択できる指定変更区域がある。
出典
[編集]- ^ 札幌市教育委員会『札幌市立小中学校の学校規模の適正化に関する基本方針~子どもたちのより良い教育環境を目指して~』「資料4 中学校の規模別状況(平成 29 年度)」
- ^ 札幌市企画課「■3 都心まちづくりの重点地区【創成川以東地区】」
- ^ 北海道新聞デジタル、2023年5月15日「<ディープに歩こう 創成イースト>①20年で人口3倍 札幌「第3のエリア」 マンション建設 相次ぐ再開発」
- ^ 『新札幌市史 第8巻2』313頁
- ^ 『一条の歩み』7頁、14頁、『札幌教育史 下巻』114頁、『新札幌市史 第5巻』765頁
- ^ 『札幌教育史 下巻』186頁、215-218頁
- ^ 『一条の歩み』7頁、『新札幌市史 第8巻2』333頁
- ^ 『札幌教育史 下巻』186頁
- ^ 『一条の歩み』7頁
- ^ 『一条の歩み』7頁、『新札幌市史 第5巻』798頁
- ^ a b “さようなら われらの母校 一条、陵雲両中学で閉校式”. 北海道新聞. (1968年8月31日)
- ^ a b c d e f g h i “札幌市立中央中学校の沿革”. 2021年8月5日閲覧。
- ^ “あすから移転 水道局など 新庁舎建設で”. 北海道新聞. (1969年4月16日)
- ^ 『新札幌市史 第8巻2』445頁
- ^ 『新札幌市史 第8巻2』461頁
- ^ 『札幌市電が走った街今昔』40‐41頁
- ^ a b 『札幌教育史 下巻』192頁
- ^ 『新札幌市史 第8巻2』355頁
- ^ 『札幌教育史 下巻』663頁
- ^ “陵雲中で校舎落成式”. 北海道新聞. (1959年9月27日)
- ^ 『新札幌市史 第5巻』798頁
- ^ 札幌市立大通小学校 『札幌市立大通小学校 創立80周年・校舎移転記念 学校要覧』、6頁
- ^ 『新札幌市史 第5巻』772頁
- ^ “札幌市立円山小学校-学校の沿革史”. www16.sapporo-c.ed.jp. 2021年9月1日閲覧。
- ^ “kouchou of 市立札幌大通高等学校公式Webサイト”. 市立札幌大通高等学校公式Webサイト. 2021年9月1日閲覧。
- ^ “平成28年度学校要覧”. web.archive.org (2016年8月24日). 2021年8月7日閲覧。
- ^ a b “学校経営の方針”. 2021年8月5日閲覧。
- ^ 札幌市. “中央区中学校”. 札幌市. 2023年1月8日閲覧。
- ^ a b c 札幌市. “中央区小学校”. 札幌市. 2023年1月8日閲覧。
- ^ a b 札幌市. “東区小学校”. 札幌市. 2023年1月8日閲覧。
- ^ a b 札幌市. “東区中学校”. 札幌市. 2023年1月8日閲覧。
- ^ 「劇薬ごっそり盗まる 札幌中央中」『北海道新聞』昭和46年10月13日 朝刊19面、「札幌の中学校でも硫酸など」『中國新聞』昭和46年10月14日 15面
- ^ a b “学校長挨拶”. 2021年10月1日閲覧。
- ^ “札幌市立中央中学校 学校だより 平成30年第2号”. 2021年10月1日閲覧。
- ^ “札幌市立中央中学校 学校だより 平成30年第5号”. 2021年10月1日閲覧。
- ^ “陵雲中三年の勝浦君が優勝 全道将棋選手権札幌予選”. 北海道新聞. (1961年7月25日)
参考文献
[編集]- 札幌市立一条中学校 編『一条の歩み 開校から統合まで』1968年。
- 山崎長吉『札幌教育史 下巻』第一法規出版、1997年。
- 札幌市教育委員会 編『新札幌市史 第5巻』2002年。
- 札幌LRTの会 編著『札幌市電が走った街 今昔 北の都の路面電車定点対比』JTB、2003年。
- 三浦宏 編著『豊平川の橋物語』石狩川振興財団、2003年。
- 札幌市 編『新札幌市史 第8巻2』2008年。