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北海道札幌北高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北海道札幌北高等学校
2010年8月撮影
地図北緯43度5分27.3秒 東経141度20分0.5秒 / 北緯43.090917度 東経141.333472度 / 43.090917; 141.333472座標: 北緯43度5分27.3秒 東経141度20分0.5秒 / 北緯43.090917度 東経141.333472度 / 43.090917; 141.333472
過去の名称 北海道庁立札幌高等女学校
北海道立札幌女子高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 北海道の旗 北海道
学区 北海道石狩(全日制のみ)
校訓 寛容・進取・良識
設立年月日 1902年
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 2学期制
学校コード D101210200012 ウィキデータを編集
高校コード 01104F
所在地 001-0025
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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北海道札幌北高等学校の位置(北海道内)
北海道札幌北高等学校

北海道札幌北高等学校(ほっかいどう さっぽろきたこうとうがっこう、Hokkaido Sapporo Kita High School)は、北海道札幌市北区にある公立高等学校

北海道を代表する進学校として、多方面に人材を輩出している。定時制普通科を併設する。

概要

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前身は1902年明治35年)に設立された北海道庁立札幌高等女学校である。1948年学制改革によって北海道立札幌女子高等学校となったのち、1950年北海道札幌北高等学校と改称、男女共学となった。

校訓は「寛容」「進取」「良識」。平成14~17年度においては、文部科学省の定めるスーパーサイエンスハイスクールの指定校であった。

スクールカラーは「」となっている。かつては生徒への定着度は低かったが、昨今では定着しつつある。

学校祭の行灯行列は有名である。また、学校祭で作成された一部の行灯は、旭川の烈夏七夕まつりへ出品される。

制服をAKB48渡辺麻友がソロ第3シングル「ヒカルものたち」収録の「サヨナラの橋」のミュージックビデオにて着用。

沿革

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  • 1902年
    • 2月28日 - 文部省告示第31号により設置・開校認可[1]
    • 3月27日 - 北海道庁告示第125号により、札幌区へ設置許可[2]
    • 4月1日 - 北海道庁立札幌高等女学校が開校。(北海道初となる女学校[2]
    • 5月17日 - 文部省告示第96号により札幌区北2条西11丁目に位置選定認可[3]
    • 5月20日 - 札幌区北3条西7丁目(現在:北水協会)にて入学式。
    • 10月27日 - 札幌区北2条西11丁目(旧大通小学校、現在:札幌市立大通高等学校札幌市立中央幼稚園)へ新築移転。
  • 1904年
  • 1910年
  • 1939年
    • 3月30日 - 補習科廃止に伴う募集停止[2]
  • 1945年
    • 3月6日 - 補習科閉科[2]
  • 1947年
    • 4月1日 - 学制改革により北海道庁立札幌高等女学校併置中学校を設置。旧制時の3年生以下を編入。[2]
  • 1948年
    • 4月1日 - 専攻科廃止。学制改革により高等教育課程の北海道立札幌女子高等学校となる。[2]
  • 1949年
    • 3月16日 - 旧制の札幌高等女学校本科の5ヶ年課程の最後の卒業生を送り出す[2]
  • 1950年
    • 3月16日 - 北海道立札幌女子高等学校として最後の卒業生を送り出す[2]
    • 4月1日 - 北海道教育委員会告知第1号による高等学校再編により北海道札幌北高等学校と改称し、男女共学となる[2]
  • 1953年
  • 1954年
    • 7月17日 - 札幌市北区北25-26条西10-11丁目(現在地)へ新築移転。
  • 1970年
    • 3月11日 - 火災により木造二階建て校舎(職員室、普通教室17室、生徒玄関)焼失[5]
    • 5月25日 - 火災により校舎一部(普通教室1室)焼失。
    • 5月28日 - 火災により校舎一部(普通教室14室、特別教室5室、準備室4室)焼失。
    • 7月21日 - 仮設校舎竣工(普通教室14室、生徒玄関など)。
    • 8月18日 - 仮設校舎竣工(特別教室3室、準備室1室)。
  • 1971年
    • 8月3日 - 仮設校舎竣工(普通教室16室、事務室、他18室)。旧校舎解体(木造)。
  • 1972年
    • 11月30日 - 旧校舎(鉄筋コンクリート)一部竣工。2・3年生移転。
  • 1973年
    • 12月19日 - 旧校舎(鉄筋コンクリート)落成
  • 2002年
  • 2003年
    • 4月 - 校地内埋蔵文化財発掘調査開始
  • 2005年
「プロフェッサー・ビジット(PROFESSOR VISIT)」

「2018年度プロフェッサー・ビジット」が2018年10月3日に開催された。国立大学13校の教員が全国各地の高校を訪れ、最先端の研究成果や、大学での学びの楽しさを伝える企画で、一橋大学大学院経済学研究科の岡田羊祐教授による、タイトル「市場経済における競争と規制」についての出張講義を行った[6]

遺跡

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  • K518遺跡

著名な出身者

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政治、行政、司法

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経済

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学問

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文学

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美術

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音楽・芸能

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マスコミ

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スポーツ

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その他

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関連項目

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注釈

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  1. ^ 旧制の中等教育学校におけるもの。旧制中学校を参照

出典

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  1. ^ “文部省告示第31号”. 官報. (1902年2月28日). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2948895/1 
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『北高九十年』北海道札幌北高等学校創立九十周年記念事業協賛会、1992年、pp.339 - pp.363 (年表)頁。 
  3. ^ “文部省告示第96号”. 官報. (1902年5月17日). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2948961/6 
  4. ^ 『北高九十年』北海道札幌北高等学校創立九十周年記念事業協賛会、1992年、pp.294 - pp.298 (年表)頁。 
  5. ^ 札幌北高、17教室焼く『朝日新聞』1970年(昭和45年)3月12日 12版 15面
  6. ^ 「2018年度プロフェッサー・ビジット」」朝日新聞主催、駿台予備校、代々木ゼミナール協賛、2019年1月9日、朝日新聞、P19-21、2019年1月9日閲覧。
  7. ^ “毎日フォーラム・霞が関ふるさと記 北海道(上)”. 毎日新聞デジタル (毎日新聞社). (2016年9月9日). https://mainichi.jp/articles/20160907/org/00m/010/036000c 2023年8月22日閲覧。 
  8. ^ “毎日フォーラム・霞が関人物録:北海道・下”. 毎日新聞デジタル (毎日新聞社). (2022年6月10日). https://mainichi.jp/articles/20220607/org/00m/010/011000d 2024年1月29日閲覧。 

外部リンク

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