村山雅美
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村山 雅美(むらやま まさよし、1918年〈大正7年〉3月28日 - 2006年〈平成18年〉11月5日)は、日本の登山家。元南極観測隊隊長で国立極地研究所名誉教授。1968年(昭和43年)12月19日、隊長を務めた第9次越冬隊が日本人として初めて南極点に到達した。東京府出身。
人物
[編集]第二次世界大戦時の戦況悪化に伴い東京帝国大学を繰り上げ卒業。海軍を志願し、予備学生として入隊。戦艦「長門」、航空母艦「瑞鶴」の乗員、滋賀海軍航空隊分隊長、海軍通信隊勤務を経験した後に終戦を迎える。階級は海軍大尉。
東京帝国大学時代はスキー山岳部に所属した登山家でもあったことから1953年(昭和28年)のヒマラヤ・マナスル第1次遠征隊に参加し[1]、1956年(昭和31年)には西堀榮三郎に依頼されて第1次南極観測隊に参加する。その際に横浜国立大学に入職した。
1968年(昭和43年)12月19日、隊長を務めた第9次越冬隊極点調査旅行隊が日本人として初めて南極点に到達した。雪上車を使用。
2006年(平成18年)11月5日に前立腺がんのため死去した。88歳没。
2018年(平成30年)12月20日、内閣総理大臣顕彰状、第七回秩父宮記念学術賞表彰状・副賞などが、遺族から国立極地研究所アーカイブ室へ寄贈された[2]。
略歴
[編集]- 1930年 - 東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業
- 1935年 - 東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業
- 1939年 - 松本高等学校文科甲類卒業
- 1941年 - 東京帝国大学経済学部繰上げ卒業。海軍に入隊。
- 1953年 - マナスルに参加(第1次隊)
- 1956年 - 第1次観測隊に横浜国立大学工学部より設営担当として参加
- 1957年 - 第2次観測隊に副隊長として参加
- 1958年 - 第3次越冬隊に副隊長として参加
- 1965年 - 第7次観測隊に隊長として参加
- 1968年 - 第9次観測隊隊長として参加。12月19日、極点調査旅行隊が日本人として初めて南極点に到達。雪上車を使用。
- 1974年 - 第15次越冬隊隊長として参加
- 1978年 - 北極点を目指していた日大隊、植村隊の激励のためカナダを訪問する[3]。
- 1988年 - チャーター機で北極点に降り立つ
- 1989年 - 勲三等旭日中綬章受章
- 2006年11月5日 - 前立腺がんのため死去。死後、正七位から従四位に昇叙された。
著作
[編集]単著
[編集]- 『アムンゼン・スコット・シャクルトン・白瀬中尉・バード・フックス 極地を探検した人々』さ・え・ら書房〈さ・え・ら伝記ライブラリー 8〉、1965年12月。 NCID BN12482232。全国書誌番号:45022304。
- 『昭和基地 南極に挑む男たちの記録』講談社〈ブルーバックス〉、1966年。 NCID BN10953983。全国書誌番号:66000688。
- 『南極観測隊 よみがえる昭和基地』講談社〈ブルーバックス〉、1966年。 NCID BN10955785。全国書誌番号:66005311。
- 『南極点への道』朝日新聞社、1969年9月。 NCID BN02974649。全国書誌番号:73001423。
- 『南極点へ5200キロ 昭和基地の越冬生活と極点征服』偕成社〈少年少女ドキュメンタリー 6〉、1970年3月。 NCID BA45086057。全国書誌番号:45001056。
- 『地の果てに挑む マナスル・南極・北極』東京新聞出版局、2005年6月。ISBN 9784808308322。 NCID BA72437722。全国書誌番号:20811024。
共著
[編集]- 村山雅美、谷口善也、木村義昌『極地探検99の謎 栄光と悲惨のドラマ』産報〈サンポウ・ブックス〉、1976年。 NCID BN10400973。全国書誌番号:73013925。
編集
[編集]- 『白い大陸に賭ける人々』文藝春秋〈現代の冒険 第5〉、1970年9月。 NCID BN02327969。全国書誌番号:73015942。
翻訳
[編集]監修
[編集]- 『南極物語 生きていた奇跡の犬、タロとジロ 映画ストーリー』村山雅美・蔵原惟繕監修、学習研究社、1983年7月。ISBN 9784051006624。 NCID BA39009175。全国書誌番号:83043561。
脚注
[編集]- ^ 吉田栄夫「村山雅美元国立極地研究所次長を悼む」『南極資料』第51巻第1号、国立極地研究所、2007年3月、i-iv、doi:10.15094/00009389、ISSN 0085-7289、2022年12月15日閲覧。
- ^ “村山雅美名誉教授のご遺族から南極点到達の顕彰状などが寄贈されました”. 国立極地研究所 (2019年1月16日). 2021年12月19日閲覧。
- ^ 青鉛筆『朝日新聞』昭和48年(1973年)4月10日朝刊、13版、23面
参考資料
[編集]- 日本山岳会会報『山』(2003年7月号/下記外部リンク参照)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 村山雅美 - 歴史が眠る多磨霊園
- 2003年7月号 旧師によって擦り込まれた私の南極人生 村山雅美 社団法人日本山岳会 ―会報「山」より― - ウェイバックマシン(2020年5月30日アーカイブ分)