村崎正人
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むらさき まさと 村崎 正人 | |
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生誕 |
1947年 日本香川県内海町(現:小豆島町) |
死没 | 2024年3月11日(76歳没) |
出身校 |
シェナンドー大学名誉博士(人文学) 中山医学大学名誉理学博士 ルール大学ボーフム経済学科ドクターコース単位取得後退学 明治学院大学経済学部経済学科 |
職業 | 教育者 |
配偶者 | 村崎和子 |
子供 | 村崎文彦(長男) |
親 | 村崎凡人(父親) |
村崎 正人(むらさき まさと、1947年(昭和22年) - 2024年(令和6年)3月11日)は、日本の教育者。徳島文理大学などを経営する学校法人村崎学園理事長。
香川県内海町(現:小豆島町)出身。明治学院大学経済学部卒業。ルール大学ボーフム経済学科ドクターコース単位取得後退学。シェナンドー大学名誉博士(人文学)、中山医学大学名誉理学博士。藍綬褒章受章。
父は国文学者で前理事長の村崎凡人。妻は徳島文理大学音楽学部教授の村崎和子。
生涯
[編集]香川県内海町(現:小豆島町)で生まれ、1966年(昭和41年)に徳島県立城北高等学校を卒業[1]。1970年(昭和45年)、明治学院大学経済学部経済学科を卒業。ルール大学ボーフム経済学科ドクターコースに進学し1974年(昭和49年)に単位取得し退学[2]。
1986年(昭和61年)、学校法人村崎学園の理事に就任。1989年(平成元年)、学校法人村崎学園理事長・学園長に就任。また同年に学校法人村崎学園評議員、徳島文理大学と徳島文理大学短期大学部の副学長に就任し日本私立大学協会の理事となり、1996年(平成8年)には常任理事となる。同年、文部科学省教育職員養成審議会委員に就任。1999年(平成11年)、文部科学省大学設置・学校法人審議会の委員に就任[3]。
2024年(令和6年)3月11日に自宅で体調を崩した後、搬送先の病院で亡くなった。76歳没[4]。死没日付をもって正五位に叙された[5]。
受賞
[編集]所属組織
[編集]- 学校法人審議会委員
- 文部省教育職員養成審議会前委員
- 文部科学省独立行政法人評価委員会臨時委員
- 日本私立大学協会常務理事
- 日本私立短期大学協会常任理事
- 日本私立中学高等学校連合会常任理事
- 全国栄養士養成施設協会常任理事
- 四国カナダ協会名誉理事
- 徳島県私立中学高等学校連合会会長
脚注
[編集]- ^ “新天地で育む “照らし合い”の精神”. ビジネス香川. 2024年8月27日閲覧。
- ^ 『徳島人物事典 1969』四国ニュース
- ^ “自己点検・評価報告書”. 徳島文理大学・徳島文理大学短期大学部. 2016年12月6日閲覧。
- ^ “村崎正人さん死去 徳島文理大学などを運営する学校法人・村崎学園の理事長を務めた【徳島】|JRT NEWS NNN”. 日テレNEWS NNN (2024年3月13日). 2024年3月13日閲覧。
- ^ 『官報』第1203号7頁 令和6年4月16日
- ^ “【政府】29日に「春の褒章」発令‐東大・杉山教授に紫綬褒章”. 薬事日報. 2016年12月6日閲覧。
- ^ “平成30年秋の叙勲 旭日中綬章受章者” (PDF). 内閣府. 2023年1月25日閲覧。
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